メアリーとキューシーが、ミーティスを発って数時間後。
王城にある自室にいたエドワードは、ドアをノックする音に反応し、そちらを向いた。
返事を待たずにドアノブをひねり、フィリアスが入ってくる。
まるで自分の部屋かのような振る舞いであった。
「ノックぐらいしてくれないか」
「手間じゃない」
「それが王子に対して近衛騎士が取る態度か?」
「そんな間柄でもないでしょう、共犯なんだからぁ」
「共犯だろうと最低限の礼儀というものがな……はぁ、まあいい。それで何の用だ」
フィリアスは一瞬、鋭い目つきで部屋の様子を観察すると、すぐに元の胡散臭い笑みを浮かべ、答えた。
「近況報告を」
「あいつとはマメに連絡を取り合ってるみたいだな」
「状況が状況だもの」
「そうだな……お父様は何を考えているんだ。グリム教団と手を組むなどと」
エドワードは机に置いた拳を強く握りしめた。
さすがの彼も、今のヘンリーの動きは異常だと感じているらしい。
「おかげで城からも出られない有様だ」
窓はカーテンが閉じられ、外の様子は見えない。
向こうから見られないための処置だ。
おそらく今ごろ、王城前には大勢の民衆が押しかけ、王に罵声を浴びせていることだろう。
残った数少ない兵士が必死で止めているが、誰もが『貧乏くじを引いた』とでも言いたげな表情をしていた。
「メアリー王女曰く、陛下はアルカナに操られているそうよ」
「では、お父様の意思ではないということかっ!?」
エドワードは思わず立ち上がると、フィリアスは噴き出すように笑った。
「ふふっ、嬉しそうな顔してるわねぇ」
「う……あ、当たり前だろう。お父様のことは尊敬している!」
「殺すための大義名分もできて万々歳、ですものねぇ」
「フィリアスッ!」
「そんなに怖い顔しないでよぉ、王子様。大義名分って大事よぉ? 陛下が自滅してくれたおかげで、今のところうまくいってるけどぉ」
フィリアスはエドワードのデスクにもたれかかる。
人の机に――と言おうとしたエドワードだが、話の腰を折ることになりそうなので、ぐっとこらえた。
「ただちょーっと困ったことになってるのよねぇ」
「うまくいってるんじゃないのか」
「メアリー王女の予想では、陛下が例の部隊を使って、王都で虐殺を行おうとしてるっていうのよ」
「馬鹿な……そんなこと許されるはずがないだろう! 何よりお父様がやる意味がない!」
「だから操られてるって言ってるじゃない。陛下を貶めたい誰かにね」
「そ、そうか……なら今すぐに民に知らせよう! 避難させるべきだ!」
「あのデモ隊に?」
小馬鹿にするように口元を歪めるフィリアス。
エドワードは、外からかすかに聞こえてくるシュプレヒコールを再認識し、言葉に詰まる。
今から国王による虐殺が行われる――などと彼らに伝えれば、大混乱に陥ることは間違いない。
最悪、デモ隊が国王の目の前に殺到し、その場でアルカナによる虐殺、なんてことにもなりかねなかった。
「で、では、軍に助けを求めるのはどうかな?」
「それをメアリー王女がやってるのよ」
「良かった……彼らならうまく避難誘導してくれるだろう」
「何を喜んでるのよぉ」
「問題でもあるのか?」
「大ありのありありよ。いい? このままメアリー王女が軍に民の避難誘導を指示したとするとしましょう。そして彼女はその後、勇敢にも、かの悪逆の王に立ち向かい、仲間とともに打ち倒すかもしれないわ」
「立派じゃないか」
「さて問題。こうなった場合、陛下の跡を継ぐのは誰だと思う?」
「……メアリー、だな」
「でしょう? それじゃあ困るのよ、私が!」
フィリアスは胸を叩きながら強く主張する。
あまりにメアリーに民衆の支持が集まりすぎた場合、彼女が望む望まないに関係なく、そういう機運が高まる。
ここでエドワードが王を継ぐと表明しても、不満を持つ者が現れるだろう。
フィリアスとしては、話をこじれさせたくないのだ。
スムーズな王位継承に必要なのは、メアリーに負けない、エドワードの英雄的エピソードなのである。
「わかった、それなら今から僕が軍に話を――」
「二度手間じゃない」
「しかしだな……」
「最優先は勝利よ。王位継承はその次。履き違えちゃいけないわぁ、命あっての物種なんだから」
「……すまない」
しょんぼりと縮こまるエドワード。
フィリアスはそんな彼を気に留める様子もなく、唇に人差し指で触れながら考え込む。
「仮に王女様が軍に助けを求めたとしても、表面上は陛下に忠誠を誓っている彼らはおおっぴらには動けない。何より“避難している”という事実が大きく広まれば、結局は王都が大混乱に陥るわ。そして仮に陛下が本当に虐殺を企てているとすれば――そのための部隊が結成されたのはつい昨日。見たところバタバタしてるから、彼らの準備が整うのにはどのみち数日はかかる。私たちの予定は変わらないわ。衝突するのは早くて二日後、遅くても四日後ってところね……それまでに軍だけで王都数万の民を逃がすのは不可能。それを手助けする方法があるはずよ、王都の内側にいる私にしかできないことが……」
「噂を流す、というのはどうだろう?」
エドワードは緊張した様子で口を開く。
彼も一応は王子だというのに、すっかり立場は逆転していた。
「どんな噂を流すのぉ?」
「それは……お父様が毒ガスを撒く、とか……」
「んー……悪くないわね」
「本当か!?」
目をキラキラと輝かせて喜ぶエドワード。
まるで飼い犬が主に褒められたかのような表情だ。
「い、いやでも、やっぱりダメだ。王都が混乱してしまう!」
「いいのよ、噂なんだから。いっそのこと『陛下が虐殺を計画してる』って本当の情報を流しちゃいましょうよ」
「いいのか? そんなことをしたら!」
「誰も信じやしないわ、自分の国の民を殺そうとする王なんて、普通ありえないんだから」
「言われてみればそう……なのか?」
「馬鹿げた話なのよ。ええ、完全にゴシップだわ。誰も信じないけど、不安だけが広まる――今の陛下ならやるかもしれない、と思わせるぐらいがちょうどいいわね。そして戦いが終わった後でそれとなくバラすのよ。実はエドワード王子の案でした、ってね」
「おお……まるで参謀だな! 頭が良さそうに見える!」
「実際はそうでもないけどねぇ」
「おい」
「ふふっ、怖い顔しないの。事実なんだから」
「くっ……それで、どうやって広めるんだ? 新聞を使うのか?」
「それだと強度が高すぎる。テロリストさんたちに頼んでみるわ、早急にね」
話を終えると、フィリアスは部屋を出た。
すると、廊下に立つ彼女に、白い制服を着た、小柄な女性が駆け寄ってくる。
制服はフィリアスと同じもの――つまり彼女も近衛騎士である。
「団長、またエドワード王子と密会されてたんですね」
「あら密会だなんて、人聞きが悪いわ」
「噂になってますよ、王子とそういう関係なんじゃないかって」
「恐れ多いわね。ちょっとした相談に乗っていただけよ。ところで、何か用事があったんじゃないのぉ?」
「陛下がお呼びです」
「そう……久しぶりね」
フィリアスは口元にかすかに笑みを浮かべる。
近衛騎士として、王の身を守るのは最重要任務だ。
ヘンリーの近くには、常に数人の騎士が待機している。
他にもキャサリン王妃や、もちろんエドワード王子だって警護の対象である。
だがそれとは別に、単純に話がしたいとか、お茶を飲みたいとか――そういう要件で呼ばれることがたまにあるのだ。
フィリアスも定期的に王からご指名を受けることがあったが、最近はすっかりご無沙汰だった。
もっとも――今回の呼び出しがそういうものだとは思えないが。
「陛下の様子はどうだった?」
「落ち着いた様子でしたよ。落ち着きすぎているぐらいに」
「ご健康ならそれでいいのよ。伝言ありがと」
軽く手を振って、ヘンリーのいる玉座の間へと向かうフィリアス。
部下はそんな彼女の背中を、不安そうに見送った。
◇◇◇
「フィリアス・トゥロープ、ただいま参りました」
玉座に腰掛けるヘンリーの前に、フィリアスはひざまずいた。
彼は頬杖をついて彼女を見下ろす。
白髪交じりの茶色い短髪に、鋭い目つき。
どちらも娘には遺伝しなかったものだ。
いや――目つきだけは、少しフランシスに似ているだろうか。
メアリーにはどこも似ていない。
“似ている場所を探そうとすれば”、少しは見つかるかもしれないが。
輪郭はスマートだが、生やしたヒゲと骨格のたくましさが風格を演出する。
体には金細工が施された赤と白の服を纏い、宝石の装飾が施された玉座と共に、差し込む陽の光が反射し輝いていた。
「面を上げよ」
「はっ」
「久しいな、余とお前がこうして向き合いって話すのは何ヶ月ぶりか」
「最近はあまりに呼ばれないので、嫌われてしまったのかと心配しておりましたわぁ」
「お前は妙に勘がいいからな。悪巧みをしているときは近くに置きたくないのだよ」
「ふふふ、悪巧みだなんて。陛下の行いならば全て正義ですわ」
「娘を殺したとしてもか?」
声のトーンが一気に低くなる。
部屋の温度までもが下がった錯覚に陥り、近くに立っていた騎士がわずかだが体を震わせた。
だがフィリアスの表情は不動。
やはりあの胡散臭い笑みを浮かべたままだ。
「何か考えがあってのことだと信じておりますから」
「はははっ、買いかぶりすぎだ。不要だから捨てたまでのことだ」
「不要、ですか」
「知ってのとおりだ、あれは役に立たん。むしろよく我慢した、と自分を褒めてやりたいぐらいだ。フランシスに先回りされたのは想定外だったがな。どのみち――二人とも殺すつもりだった」
「そうでしたのね」
「これを聞かされてもなお、余に忠誠を誓うか?」
「無論でございます」
「感情のこもっていない言葉だな」
「騎士に感情など不要。いついかなるときでも、無条件で陛下に付き従う存在なのです」
「ははははっ、中々どうして、尻尾を出さないものだな。まあよい。今日はお前に教えてやろうと思ってな」
ヘンリーは悪魔のように口角を吊り上げ笑う。
知性を感じさせない、いかにも(・・・・)な悪役の表情だ。
「明後日、王都を滅ぼす」
そして、彼は言った。
与えられた役のままに、まるで物語に出てくる悪人のように。
フィリアスは硬直する。
そして困惑しながらも――
(何よそれ。そんなに堂々としてたんじゃ、エドワードと話し合った意味がないじゃない……!)
そう毒づいた。
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