「フゥ……フウゥ……」
デファーレは、腹部に空いた穴を手で抑えながら、苦しげに肩を上下させた。
大量に流れ出る血液。
傷は再生能力によりやがて閉じるだろうが、彼の消耗は明らかであった。
「おじさん、その体――ぜんぜん使いこなせてないみたいだね」
彼を真正面から見据えて、アミが言った。
彼女の体は血で汚れているが、それは全てデファーレの返り血だ。
「斧で殴る。斧を投げる。せいぜいそれが限界。私でもわかっちゃうよ、それだけなら」
「歳を取るとなァ……どうしても、頭の柔軟さってのが無くなっちまうもんなんだよ――とは言いたくねえなあ」
「私もそうだよ。この力を使って戦うのはほんの二回目。“見つけよう”と思えば、いくらだって見つかるはずなのに――」
アミは、特にその事実に何の感情を抱くでもなく、変わらぬ抑揚で、淡々と事実を口にした。
「死にたがりだから、おじさん。そういう気持ちすら起きないんだね」
「かも、しれねえな。暴れられれば満足だ。派手に散れりゃあ満足だ。嗚呼、しかし――せめて傷跡だけでもと思って始めたことだが、むしろ、余計に惨めに見えちまうかもしれねえなあ」
「平民の意見、言ってもいい?」
「聞かせてみろ」
彼女は首を傾け、にこっと笑って言い放つ。
「ちょうどいいみじめさだと思うよ。軍の偉い人なんて、それぐらいで」
デファーレの視点から見れば、彼の末路は、惨めそのものだ。
信じた主は、気づけば得体のしれない誰かに操られ、行き場を失った自分自身も化物となって果てる。
国を作る――大きな夢の果てにしては、あまりに残念である。
しかし一方で、軍という存在は、アミたち平民からしてみれば圧政の象徴。
自らの最期を『惨めだ』と嘆くその姿は、なおも自分の地位や夢に酔っているようにしか見えなかった。
「おじさん。あなたが思うほど、ドゥーガンも、公国になるって夢も、立派なものじゃないんだよ」
「はっ……わざわざ煽って、戦う理由をくれるのかよ、お嬢ちゃん」
「私は思ったことを口にしただけ。軍なんて、私たちから見たら、ただの暴力を振るう人たちの集まりでしかないから」
「そうかい。だが、認めるわけにはいかねえなあ。負けるわけにはいかねえなァ! 今の俺の惨めさはともかく、叶わなかった夢まで否定されちまうんならよおぉぉぉッ!」
右手の斧が、大地を叩く。
生じた地割れがアミの足元まで伸び、彼女はとっさに横に飛んだ。
続けて、左の斧が地面を砕く。
飛び出た岩を、アミは体をひねって避けると、その上を足裏のローラーで滑って跳躍した。
「ウオォォォォォォッ! ガアァァァァァアアアアアッ!」
今まで以上の猛々しさで、叫び、斧を振り回すデファーレ。
嵐が巻き起こり、周囲の地面や建物は削れ、自動車や街路樹まで風で浮かび上がる。
しかしアミは、騒々しい嵐の中で、髪を逆立たせながらも、その流れに逆らうように、デファーレの周囲を回りはじめた。
避けもせず、逃げもせず。
近づいてきた瓦礫は、周囲を飛び回る車輪の力が歪んで溶かす。
「力で敵わないのなら、重ねればいい。相手は3万、私は2万。でも、2万がふたつで4万になる」
一周、二周――回るたびに加速し、重なっていく回転の力。
もちろん、単純計算で倍になっていくわけではない。
しかし、あの斧の乱舞を前に、恐れを抱かぬ程度には、その身に力が満ちていた。
「力を全部束ねて、そこにお姉ちゃんへの想いを飾り付ければ――死にぞこないなんて、怖くないッ!」
ただ力を纏っただけの“突進”。
小細工なしの、正面突破。
瓦礫を砕き、空を裂き、アミはまたたく間にデファーレの懐にまで到達した。
しかし彼とて、ただそれを許すはずもない。
斬撃のタイミングを合わせ、両斧を同時に、アミへと振り下ろす。
「グルガアァァァァァアアアアアッ!」
両腕に力を込めると、むき出しになった筋肉が隆起し、肉の赤みがさらに増す。
今にも血が吹き出しそうなほど鮮やかな紅色が、小刻みに震えて、少女の車輪と競り合う。
先に耐えられなくなったのは――肉の斧の方だった。
ブチッと一部の繊維が千切れ、刃から血が噴き出すと、その点を中心にして一気に刃が崩壊する。
「チイィッ! だがぁッ!」
デファーレは斧を捨て、その両腕で少女を受け止めた。
手のひらが削られ、ぶちゅっと肉が潰れ、血が嵐に混ざる。
「ヌウウゥ……グアアァァァア……!」
「私、思うんだ。きっとおじさんは数合わせなんだって。この台本を書いた誰かの都合でしかないんだって!」
「だが……たとえ付け焼き刃だとしても、武人たるもの、死の瞬間まで敗北を認めるわけにはいかんッ! グアァァァァアアッ!」
「武人だったり、部下だったり、夢だったり……大変だね。もう死んだほうがいいと思う」
アミの両腕からぬるりと複数の車輪が生み出され、彼女の周囲に飛び交う車輪に加わる。
“回転”は密度を増すと、彼女が纏う魔力の壁をさらに強固なものへと変えた。
デファーレの両手が吹きとぶ。
なおも千切れた腕で止めようとするが、伸ばした先から消滅していく。
「止まらんか……ぐっ、デファーレ……こんな夢の終わりを見せるためにッ! お前は俺をっ、俺をぉぉおおぉおおおおッ!」
「いっけえぇぇぇぇぇええええええッ!」
防ぐすべを失った彼の体を、アミは貫いた。
巨体のど真ん中に大穴が開く。
デファーレはその場に立ったまま、両手をだらんと垂れ下げて動かなくなった。
アミは彼から数十メートル離れたところで、ようやくブレーキが効いたようで、「おっとっと」とつまづきながらも両足で止まる。
そして彼女が振り向くと同時に、デファーレは倒れた。
体に開いた大穴からは大量の血が流れ出て、風に混ざり、鉄の匂いを周囲に充満させる。
「ふぅ……私っ、初勝利ーっ!」
アミは高らかに、右手で作ったピースサインを天にかかげた。
「お姉ちゃん、褒めてくれるかな。またぎゅってしてくれるかなっ。楽しみだなー!」
そして軽やかな足取りで、キューシーたちと別れた地点まで戻っていく。
もはやアミの頭には、デファーレの存在など残っていない。
元より面識すら無い相手なのだから、それは当然のことであった。
◇◇◇
「おっとと……やぁーっと外れやがった」
メアリーの骨が消え、マグラートは磔から解放された。
しかし彼は四肢を穿たれており、地面に突っ伏したまま立ち上がることすらままならない。
体をひねり、どうにか仰向けの体勢になるものの、それ以上は動けそうになかった。
吐き気がするほどの苦痛。
流れてゆく血液。
下がっていく体温。
刻一刻と迫る死の予感を前に、彼は頬を引きつらせる。
「あー、股間も痛え……あの女、ただ殺すだけでいいだろうに、ひでえことしやがる。試合じゃ金的は禁止だろうが、ショーってのをわかってねえなあ、まったく」
感情をごまかすように独り言を繰り返す彼だったが、その視界に、わずかに白く発光する球体が飛んできた。
彼の操る『隠者』の能力である。
他の人間には視認不可能な球体だが、当然、術者であるマグラートには見えていた。
「でも脱出できたとこで、結局は死ぬしかねえんだよなー。なあ『隠者』さんよ。実を言うとさァ、さすがに自殺は俺もこえーのよ。さっきはテンション上がってたからできちまったけど、誰も居ない場所で一人で死ぬってのはさあ。ああ……ああ……あー……でも、両手両足が痛いままってのも、嫌だもんなぁ。せめて痛みもなく逝きな――可愛そうな俺」
バチュッ。
葛藤とも呼べぬ意味の曖昧な自問自答の後、球体がマグラートの頭を潰した。
地面に鮮やかな血の花が咲く。
そして彼の意識は――魂は、アルカナを伴い、最も近い新たな肉体へと転移する。
投与された血液は、まず“肉体の持ち主”を選別するための、脳の特定部分を変異させる。
その状態でマグラートは乗り移り、その後で本来の持ち主の人格を消しながら、肉体を変異させるのである。
ゴキッ、メキャッ、と骨格が音を鳴らしながら変形し、肉も潰れ、千切れ、こねくりまわされ、完全なるマグラートへと近づいていく。
当然、彼はその間の苦痛も感じさせられていた。
とことんマグラートに優しくない、そして彼にすら制御できない復活システム。
ショックだけで数回は死ねそうな激痛の後、次に彼が目を覚ましたのは、アリーナの中だった。
「あー……ここは……」
周囲を見回す。
その広い空間には、本来、避難者がひしめき合っているはずだった。
しかし、そこに立つ人影は――右腕を竜の頭部ように変形させた異形、ただ一つ。
「……メアリー、お前」
彼女の姿を見つけると、マグラートの口元が、嬉しそうに歪んだ。
「お前、お前っ、お前お前お前さああぁぁあああああっ! ハハッ! あはははははははっ! 最高じゃねえかっ! いいねえ! そういう思い切り、俺、大好きだよぉおおおっ! 痛みだって忘れちまうよブラヴォォォオオオオ!」
その声を聞いて、メアリーはギリッと歯を鳴らし、激昂する。
「黙りなさいッ!」
「黙らねええぇぇえっ! こんな素敵なエンターテイメントを見せられて、黙れるかっての! 絶頂らずにいられるかっての! 反り上がりながら歓喜の雄叫びをぶちまけちまうぜヒヒャアァァァァァアアアッ!」
彼は言葉通り、のけぞりながら奇声を発す。
そしてその姿勢のまま、思いっきり深呼吸をした。
「すうぅぅぅ――はっ、へへははははっ! この鉄臭さァ、生臭さあァ、満ちに満ちたッ、“死者の匂い”! 俺らが初めて出会った死神の谷に似た、しかし新鮮さにおいて圧倒的に上回る、刺激的で、衝撃的で、あまりに鮮やかなジェノサイドの残り香ああァッ! メアリィィ……お前、お前ェ――」
彼はぐわんっ、と髪を振り乱しながら体を起こすと、両手で血にまみれたメアリーを指差す。
そして歯茎が見えるほど限界まで口角を釣り上げ、鼻息は荒く、見開いた目を血走らせながら、今日一番ハイテンションな声をあげた。
「ここにいた全員、殺っちまったんだなアァァ!? 何百人もいた、何も知らない、無垢な一般市民A~Zの×何倍かをッ! 一人残らず、その死神の口で食っちまったんだなァァッ!?」
メアリーは強く左の拳を握り、手のひらに血をにじませた。
うつむきがちな彼女の目元は、前髪に隠れて見えないが、震える腕を見るだけで感情が憤怒一色に染まっていることは明らかだった。
「黙れと言っているんです!」
「やだよぉ! やぁあぁだよぉ! こんなに楽しい場面で黙るとか俺の人生否定するようなもんじゃねえか! カーニバルだぜぇ!? これはよお! 最高のエンタァァァァァテインメントだろうがよぉおおおッ!」
「なら死ね!」
左手から放たれた骨片を、「おっとぉ」と避けるマグラート。
そして再びへらへらと笑う。
「しかし――ははっ、やべえな。もう逃げ場ねーじゃん」
「ええ、あなたの顔を見るのはこれで最後です! いい加減、終わりにしましょう」
それは嘘偽りない本心。
奇抜な姿も、こうも何度も見せられるといい加減に飽きる。
メアリーは左手にブレードを伸ばし、その切っ先をマグラートに向けた。
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