『死』を描く

人それぞれで良いんです
野菜ばたけ
野菜ばたけ

case.1 悲しむ

公開日時: 2020年12月26日(土) 21:31
文字数:1,110



 『死』とは誰にでも平等に訪れる人生の終わりである。

 そう誰かが言っていた。


 実際にそうなのだろう。

 否、そうとでも思わなければ、この『死』をうまく消化できそうもない。



 目の前には、棺が1つ置かれている。

 式場の人から花を一輪受け取って、私はそれを彼女の傍にそっと置いた。


 『死』というものは、緩やかに訪れる事もあれば突然に降りかかってくる事もある。


 彼女の場合は、後者だ。


「あんなに元気だったのに」


 啜り泣く声の中に、ポツリと誰かがそう言った。



 その通りだ。


 私が彼女に会ったのは、1週間前。

 その4日後にこんな事になるなんて、いったい誰が思っただろう。

 もしかしたら彼女自身が一番びっくりしているかもしれない。



 彼女は、中学生時代から友人だった。

 どんなに嫌なことがあってもそれをすぐさま笑い飛ばすような、そんな強い子だった。


「笑顔を作りたい」


 そう言って、彼女はイベント企画の仕事に就いた。

 その時「何とも彼女らしい」と思ったのを、今でもよく覚えている。


「まさか交通事故で亡くなるなんてねぇ……」

「でも、子供が居なくて良かったわよね」


 だって親を亡くした子供なんて可哀想で見ていられないもの。


 そんな言葉が私の耳を掠める。



 就職後、彼女は仕事に邁進していた。

 だからというものあるのだろう、32歳になった今も独り身である。


 だからそれは、正しく事実を述べていた。

 しかしあまりに不謹慎な言葉である。


 

 本来の私なら、その言葉に腹を立てただろう。


「幾ら事実だとしても『良かった』だなんて、彼女を送る真っ最中にしかもご両親の前でよくも言えたものだ」


 そんな風に思ったに違いない。


 しかしそんな反感を持てないくらい、私は自分の事で一杯一杯だった。



 ーーいい子だったのだ。

 少々楽観のきらいがあるが、それでも私にとっては唯一無二の存在だったのだ。


 馬鹿な理由で一緒に笑って、辛い時には「気にすんな」と言ってくれて、間違ってる時はきちんと言葉にしてくれて。

 そんな日々が、私の心を足早に駆け巡る。


 もう彼女と、お喋り出来ない。

 その事実が、私の心に深く突き刺さる。


 もう彼女の顔を見る事ができない。

 その事実が、私をどうしようもなく悲しくさせる。


「……またね」


 今はまだ、すぐには会えないけど。

 それでも私が年老いて、あなたと同じ所に行く時が来たなら、きっとまた2人で話をしたい。

 バカな話をしながら、大声で笑いたい。


 掠れた声でつぶやいたその声は、きちんと彼女に届いただろうか。

 様々な『ありがとう』を込めたその声は、果たして。


 棺がゆっくりと、閉じられる。

 安らかな彼女の顔が見えなくなる。


 私の顔は、もう涙でぐしゃぐしゃだ。

 もう、声も言葉の体を成していない。


 だから、心の中でもう一度唱えた。


 「またね」と。



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