もう、疲れたのだ。
罵られる事も、嘲笑われる事も、足蹴にされる事も。
ずっと耐えてきたのだ。
その感情は、決して持ってはいけないのだと。
命とは大切にすべきことで、簡単にソレを選んではいけないのだと。
しかし、ふと思ってしまったのだ。
「私がソレに耐える事に、一体何の意味があるんだろう」
人は言う。
人生捨てたもんじゃないさ、と。
苦しい分だけ楽しい事もある、と。
しかしそれは、ただの綺麗事でしかない。
そう、綺麗なのだ。
汚れた事が無い人が、今まさに泥だらけの人に向かって言っているかの様な、そんな言葉に聞こえるのだ。
つまり、「知らない癖に」である。
そう、自死を非難する人は知らないのだ。
生きる事が、その人にとってどれだけ辛いのかを。
「似たような過去談がある」といって『死』を否定する人もそうだ。
程度は容易に測れない。
同じ行為をされていてもそれによって受けるダメージは千差万別だ。
結局は、個々人の感覚の問題なのだ。
どれだけ苦しくてしんどいかなんて、外から与えられた行為だけではどうしたって測れない。
私は、自分の苦痛を誰かに分かって欲しいんじゃない。
そんな事は、とうの昔に諦めてしまったのだ。
私の願いは、ただ解放される事だ。
その苦痛から。
そのための手段が『死』であるだけで、別にそれ以上でも以下でもない。
未来に希望を見出せない。
それだけの話なのだ。
「あぁ、しんどい」
もう、考えるのも、頑張るのも。
一瞬の痛みよりも、いつまで続くか分からない苦痛の方が私には耐えられない。
他人なんて、いじめてきたり遠巻きに眺めてみたり、見て見ぬ振りをしたりはする癖に、誰1人として私を殺してくれはしない。
ならば、私がするしかないじゃないか。
「自分で、自分を殺す」
それが自殺という名前だろうが、何だろうが、私にとってはもうどうでもいい。
これから『死』を迎える、私には。
こうして、私は自らに選択を下す。
心の端っこの方で、誰かの助けを求めながら。
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