蜘蛛を愛する観る将JK 将棋の聖地に行ったらなぜか喫茶店で探偵見習いになる

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第5話 千駄ヶ谷の昼下がり 1

公開日時: 2022年9月12日(月) 16:47
文字数:2,164

『二歩』を出てから数分もしないうちに今回の千駄ヶ谷散策のお目当ての一つ、鳩森神社に到着した。ここは多くの将棋ファンが立ち寄る聖地の一つであり、東京都内最古の富士塚のある神社でもある。


 毎日、家のパソコンで千駄ヶ谷界隈をオンライン歩きしている藍にとって、足を運んだことは無いのにすでに馴染みの神社になっていた。


 彼女はフラフラしながら鳥居をくぐり、目の前にそびえ立つ大イチョウの緑色の葉が風に揺られているのをぼんやりと眺めた。その後ろにいる狛犬がギロリと彼女をにらんでいるような気がして、いそいそと富士塚へと逃げるように向かった。


 『ミニ富士山』に登頂しつつ、癖になっている蜘蛛探しをしながら午前中から昼過ぎにかけて起きた出来事を振り返った。


 ほんの十分前の会話を思い出しながら、誰にも聞こえないような声でつぶやいた。


「探偵見習なんて、内藤さんは大袈裟な人なんだか」


 連絡先を交換し、店を出ようとした彼女に『今日からお嬢ちゃんは俺の弟子。そんで探偵見習だ』と声をかけてきたのだ。


 マスターも追い打ちをかけるように『筋がある』なんていうものだから大変。


 凸凹コンビとしてこの界隈の事件を解決させようなんて言い出し、お店のドアに『探偵ならこちら。事件解決します』と貼り紙を出すと張り切っていた。


 木原さんは相変わらず、奥のカウンタ席でまるで『お好きなように』といった様子で優雅にアイスティーを飲んでいた。


 謎めいた大学生の木原を思い出した藍は、心の中で毒づいた。


(関心のあるなしの振り幅が半端なさすぎでしょう、木原さん……)


「亀井先生のグッズを買いに千駄ヶ谷にきたのに、なんで探偵見習になったのか」


 将棋とは関係のないことに巻き込まれたことを考え、事の重要性をひしひしと感じた藍は『ミニ富士山登山』を無事に終えてからも心のモヤモヤが晴れない。草木の手入れが出来ていて、垣根には蜘蛛の巣が全く見当たら上に蜘蛛一つ見つけられなかった。


(まだ五月。蜘蛛のシーズンは始まったばかりだし)


 そんな彼女を尻目に将棋ファンと思われる女性が次々と神社にやって来る。


「ほら、あったよ!絵馬を購入して必勝祈願を書こうよ!」


 二十代半ばと思われるお洒落なワンピース姿の二人組の女性の楽し気な声に現実に戻った藍は、にぎやかな声のする札所にそっと近づいてみると、彼女たちは那須与一をデザインした『必勝祈願』と書かれている絵馬を購入していた。


「来月からタイトル防衛戦が始まるし、絶対に連勝で決めて欲しいよね」

「でも、フルセットまでもつれたらそれだけ晴君の着物姿を拝めるよ!」

「また可愛いおやつを頼むかな?」

「でも、アイスとかチーズケーキの線もあるよ」


 タイトル戦での大盤解説や、就任パーティーで女性ファンが殺到しているのはインターネットを通じて知っていた。観る将文化が浸透しているのを感じてはいたが、こうして目の前にお洒落な格好をしたお姉さんたちが現れると、藍は自分の服装がお子ちゃまで恥ずかしくなってきた。


(情けないけど自分は自分。お姉さんと同じく、先生を応援する気持ちは変わらない!)


 気を取り直して絵馬が掛けられている将棋堂に近寄った。


 毎年、仕事始めの日に役職に就いている棋士の先生や職員、タイトル保持者が一堂に会し『祈願祭』が行われる。観る将歴四年の藍は必ずSNSで情報を収集し、『その年最初の亀井先生の姿を見る儀式』として毎年楽しんでいた。


(私、先生と同じ場所に立っているんだ……)


 今年の祈願祭で彼がいた辺りを探し、藍は目を閉じて目の前に『亀井晴也四冠』がいることを想像した。


 目の前に現れたらどう話しかければいいのか。いや、そもそも声をかけることすらできないかも。いやいや、物陰に隠れてそっと見つめるしかできない。色々と考えたが、結局『まともに喋れない』という結論に達した。


 神聖な場所でもある将棋堂には『祈全冠制覇 亀井晴也先生』『防衛達成 亀井晴也四冠』といった類の絵馬がずらりと並んでいた。中には、プロ並みのイラストが描かれている絵馬もある。


(他の先生を応援している絵馬ってあるかな……)


 ところどころに掛けてあるが、ぱっと見た限り全体の七割近くが『亀井晴也』関連の絵馬ばかり。


 これだけ亀井先生ファンが神社に立ち寄っている。そして、必ず将棋会館に足を運んでいる。となるとアクリルスタンドの在庫数がどうなっているのか考えた藍は一気に不安を感じた。


(・・・・・・! クラウド二世と先生のアクリルスタンドのツーショット写真を撮ること夢が!)


 現在、部屋の片隅に生息しているクラウド二世こと、黄色の半月模様が可愛いハンゲツオスナキグモの雄だ。出会ったのはつい数日前のこと。部屋の窓を開ける時に壁を歩いているところに出くわしたのだ。冬を過ぎ春になっても姿を見せなったお気に入りのハエグモであるクラウドを失った後ということもあって、藍の心の傷を癒す存在になっている。


 大好きな亀井先生と大好きな蜘蛛に見守られながら勉学に励むつもりでアクリルスタンドを求め千駄ヶ谷に来た藍。彼女たちの言動から「完売」の二文字が浮かんでいくる。


 居ても立っても居られず、急いで神社に来た記念とばかりに札所で水色に桜の絵付けが施されている『水琴桜鈴まもり』を購入しリュックの奥底に入れると、猛ダッシュで将棋会館へと向かった。

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