蜘蛛を愛する観る将JK 将棋の聖地に行ったらなぜか喫茶店で探偵見習いになる

kamekame89 k
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第10話 愛しのクラウドはいずこ 1

公開日時: 2022年9月16日(金) 09:54
文字数:2,204

 藍は端切れを大切にしまい、老夫婦に軽く会釈をして書店を出て、三十歩で着く我が家へと向かった。

 

(イケメンの将棋指しって昔からいたんだ。あっ、でも氏家のおじいちゃんの言う『アイツ』はアマチュアの人か……)


 将棋のことを考えつつも、店主の『少しでも足しに』と口にした書店の将来を心配した。


 『氏家書店』はこの商店街では最古参の部類に入る歴史ある書店だ。


 明治時代に入り尋常小学校が誕生して教科書を扱う店が必要になり、それまでやっていた竹細工といった日曜雑貨品の商いと並行して教科書や本を揃えていた。本の売り上げが上回るようになったら本屋を本業にしたという。


『創業は江戸。幕末の動乱も大震災も戦乱もくぐり抜けたのが氏家書店』というのが氏家のおじいちゃんの口癖だった。


(うちは焼き菓子とかフルーツジュースがヒットしたけど、本屋さんで客集めっるとなると何が一番いいかな。おじいちゃんがやっている紙芝居じゃ、客層子どもだしお金を落とさないし……)


 色々考えている間に『やまぎわ青果店』の前に着いていた。


 いつものように良子が常連客と立ち話をし、聖四朗はレジ打ちをしている。


「おかえりなさい藍ちゃん。本当にね、うちの孫も藍ちゃんみたいに賢い子だったらよかったんだけど」

「何言っているのよ! お孫さん、甲子園常連校のレギュラーでしょう。そんな簡単になれるもんじゃないですよ!」

「怪我したらおしまいでしょう!藍ちゃんみたいに頭脳があれば食いはぐれないから羨ましいわ」


 店先ではいつものような会話が繰り広げられている。家族全員が最初はウンザリしていたがもう慣れっこになり華麗にスルーする技も覚えた。


 最難関都立高校に受かったことで、「やまぎわの野菜を食べたら子どもが賢くなる」という噂がこの界隈で席巻した時期があった。


 近隣でも商人の子が大学進学が当たり前という高校に進学するケースはあまりなく、両親も最初は戸惑っていたが藍の決意は固かった。


 全て亀井晴也四冠の影響。本郷への道に近づけるルートを考えた際、現在通っている都立高校が最適だったのだ。


 もしかしたら道端で先生に出会えるかもしれない。そんな淡い気持ちを抱きながら、全身全霊で勉強し合格を掴み取った。


 しかし、同じ東京に住んでいても、ファンになって二年経つというのに未だお姿を直接見たことがなかった。


 都内のイベントに行こうとしても文化祭と重なっていたり、人数制限の前に抽選で外れるなど全く縁がない。先日、ついに意を決して千駄ヶ谷の地に足を踏み入れても色々あってアクリルスタンドを手に入れることも叶わなかった。


(どこかでお祓いでもしてもらった方がいいのかな・・・)


 店先で突っ立っている藍に良子が見かねて声をかけた。


「氏家さんとこ、寄ってきたの?」

「あ、そうそう。えっとさ、何か手伝うことある。というか、今日は段ボールの片づけくらいかな……」


段ボールと口にしてから、藍はクラウド一世のことを思い出して慌てて聖四朗に近づき小声で確認した。


「ねぇ、クラウド一世はいた? 踏んだりしていない?」

「ハエトリは見てないな。ただ大田から付いてきた蜘蛛はいたけど、商店街の方に歩いていったよ」

「大田!それじゃあ市場から来たニューフェイスね」

 

 新たな蜘蛛の情報に彼女は興味津々で質問攻めを始めた。


「ど、どんな蜘蛛?」

「と、父さん、そこまで詳しくないからな……。まぁ、よく見るような蜘蛛だ」

「よく見るって、黒くて小さくてってこと?」

「そうだな。黒くて小さい蜘蛛」

「よく見る言ってもね、模様があったりして一つ一つ違うから」


 藍の迫力に押され、聖四朗は頭をかいて苦笑いを浮かべた。


「そう言われてもな……」

「とにかく、店の外に出て言っちゃったのね。写真撮ってくれればよかったのに」

「九州産のトウモロコシの箱を運んでいた最中だから、そんなの無理だよ・・・」


 彼ににとっては助けに船。さっきまで立ち話をしていた常連さんが買い物を終えてレジへと来たのだ。嬉々としてレジ打ちを始める姿に藍は内心面白くなかった。


「毎度あり!」

「トウモロコシとタケノコが並んでいるなんて、昔じゃ考えられなかったわね!」

「物流が進歩してね、九州のものと東北の旬のものが店頭に並ぶからね」

「うれしいけれど、季節感がね」

「それなら、今じゃサクランボやラフランスくらいだね。この果物は作られている地域が限定的だからどうしても旬が短い」


 気になる女の子を口説くがごとく、お客さんに売り込む姿はまさに商売人の鏡といったところだった。


「あらやだ、そんなこと聞いたら買うしかないじゃない」

「もう少し先ですけど、その時はお待ちしていますよ!おっと、もう少しでスイカも並ぶから今年も楽しみにしていてくださいね」


(お父さん、ちゃっかり営業トークしているし……)


 話し相手が仕事場へと戻ってしまった藍は、POP広告の文字を書き直ししている良子に小声で話かけた。


「ねぇ、クラウド一世、見かけた?」

「野菜とか品物を並べている時に気をつけながら探したけど、見当たらなかったね」

「父さんが新しい蜘蛛を大田から連れてきたみたいなんだけどさ・・・」

「あぁ、市場の箱についていた蜘蛛ね」


 大量に置いてある九州産トウモロコシを指さし、良子がつぶやいた。


「えぇ~、九州からきたのかな?それならこのあたりではお目にかからない種類かもしれないじゃん!」


 小声ながらも語尾を強める藍を前に、良子はあきれた様子で見る。

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