ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
日曜日の午後四時の都心を走る電車はまだ混みあう直前ということもあり、総武線の車内はさほど混んではいない。
(あと、連休明け直後の日曜日でみんな出かけ控えとかもあるか)
最後尾車両に乗った藍は、去り行く千駄ヶ谷の風景を心に焼き付けた。
近いうちにまた来るだろう。けれど、今日は『初めて千駄ヶ谷界隈に足を踏み入れ日』。この日の風景を忘れたくなかったからだ。
黄色い総武線の電車が次の駅に近づく頃には東京版エンパイアステートビルが見えなくなった。
藍が乗り換える秋葉原駅へと車体を揺らしながら電車は走り続ける。信濃町駅からしばらくは都心の中でも線路脇に緑地が見え、大都会のオアシス的な雰囲気を出していた。
こうして東西を走る電車に乗っていると、同じ東京でもエリアによって趣が全然違うと藍はしみじみと感じた。
どこの街が良いかは人によって様々だが、下町育ちの彼女にとって、今回の小旅行は新しい東京を垣間見た機会にもなった。
(学校から時々通うとなると、千駄ヶ谷駅よりは丸の内線で新宿御苑前駅で降りた方が楽かな。足腰鍛えられそうだし、色々な蜘蛛がいそう!)
電車に揺られながら、彼女は日常生活の行動範囲が突如として広がることに高揚感を覚えた。
マスコット紛失事件の現場でもある『中の池』は千駄ヶ谷門寄りで、高校から直で来るには反対方面の『新宿門』か『大木戸門』が最寄りの入り口になる。御苑の中を突き抜けるように歩かなければいけない。
(直進が一番いいけど、それだと蜘蛛探しに支障が出る……。だけど、長距離歩くと体に負担がきそう)
蜘蛛探しに絶好の場である一方で、アチコチ歩き回ることで筋肉痛になり、筝曲部や教室で正座が出来なくなるのが心配だった。それでも、通い続ければ体を鍛えられるし、家の近くでは出会えない蜘蛛、レアな蜘蛛を見つけるチャンス失う方が嫌だった。
(そにれ事件が解決したらきっと亀井先生もタイトル防衛を果たす。そう願掛けしよう!)
それにしても、降って湧いたような『千駄ヶ谷通い』の話は、藍にとってこれまでの高校生活を一変するような出来事だった。
部活は発表会が近づいたときは忙しくなるが、普段はそこまで忙しくない。入学して一年経つが、部活動が学校生活への影響ははそこまで大きくないことは分かっていた。その代わり、千駄ヶ谷通いをすると勉強時間が減る。さらに観る将を楽しむ時間も減る。
藍はなんだか損をした気分もするが、内藤さんの孫のユミさんの恨みを果たす助けをすれば天の神様も味方してくれると前向きに考えるようにした。
(それに味噌ラーメンも食べれるし、時間がある時はマスターのお店で問題集でも解ける!)
そして、千駄ヶ谷に通っていればいつの日か憧れの亀井先生と会う機会が転がり込んでくるかもしれない。
そう思うと自然と彼女の顔はニヤニヤし、その表情が電車の窓に映っていた。それに気がつき慌てて真面目な顔をしたが、周りにいる人はスマートフォンでゲームをしたり、SNSをしていたりと誰も藍を見ていない。
気恥ずかしい気持ちのなか、誤魔化すようにリュックの中からスマートフォンを取り出した。
(誰からかメッセージ届いているかな?)
リュックからスマートフォンを取り出してみるも、マスターや内藤さんからではなく母親や幼馴染の美帆からのメッセージだけが届いていた。
母には『もう少しでアキバに着いて乗り換え』と送信し、美帆には『扇子はゲット! でも、アクリルスタンド完売』の一文と涙マークのメッセージスタンプを送った。
すると、10秒後に美帆からのメッセージが届き、今日の出来事を報告した。
『まじで!どんだけ人気あるのよ亀井さん』
『何度もすごい人気だって言ってきたじゃん!千駄ヶ谷、きれいなお姉さんアチコチにいたんだから』
『まるでアイドル』
『将棋界の貴公子だから。お姉さんたち、亀井先生がよく頼んでいる将棋めしのお店に行くって話していた』
『それと、なんか知らないけれど探偵見習いになった』
『ハァ?!』
『美味しい味噌ラーメンの匂いがして、その喫茶店に入ったら元刑事で探偵やっているおじいさんと知り合った』
『なにそれ、二時間ドラマ!?』
秋葉原駅が近づくと電車のスピードも落ちてくるのと反比例するように、美帆から届くメッセージ間隔のスピードが上がってきた。
『というか、なんで千駄ヶ谷に行ったら探偵に会う?』
『それって騙されているんじゃないの?』
『女子高生を狙った犯罪者かもしれない!』
(美帆ったら、どんだけ暇しているのか……。うん?誰から?)
美帆のメッセージがどんどん届く。
しかし、新しく届いたのは彼女の言うところの『怪しいおじいさん』である内藤さんからメッセージだった。
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