「次男も言っていたの。下町に特化したガイドブックとかすごく売れ行きがいいんですって」
「うちではそんなもの置いても売れやしないぞ。そんなの嘘なんじゃないのか?」
「ここ、下町の商店街だから住んでいる人は誰も買わないとおもいますけど……」
「とりあえず、今度この端切れを店頭に並べてみましょうよ」
頼子さんが氏家さんの顔を覗き込み確認するように声をかけた。
「お前の、好きにすればいい……」
「それじゃあ、さっそくお母さんに伝えてホームページとかSNSで告知するようにしますね。値段も決めておいてください。私も端切れがどのくらいで売られているか、調べておきます!」
「ありがとうね、藍ちゃん」
女性陣の会話を黙って聞いていた氏家さんがおもむろに口を開いた。
「そういや将棋みたいな伝統分野でもインターネットが絡んでいるみたいだしな。テレビでこ取り上げらていたけど」
「藍ちゃんはそれで応援している先生の情報を集めているんでしょう?」
「あと、毎月氏家書店で購入している雑誌も貴重な情報源です」
ここは藍が亀井晴也と出会った大切な場所でもあった。
中学二年生の春、いつものように遊びに来た彼女は将棋雑誌を偶然目にし、表紙を飾っていたメガネ男子に心を奪われたのだった。
「そうそう、この前の日曜日に千駄ヶ谷に行ったんでしょう。どうだったの?」
「日曜の集まりの時に良子さんから聞いたよ。勇気を振り絞って出かけるきになったみたい、ってな」
「勇気を振り絞って、お母さん大袈裟だな……」
「いくらでも行ける距離だろう。千駄ヶ谷なんて」
「高校からならもっと近いしね」
マシンガンのように老夫婦から質問攻めを喰らった藍は、何も言うことができずただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。
(聖地に行って『探偵見習いになることになりました』なんて口が裂けても言えない!)
「あいにく、お目当てのアクリルスタンドは私の目の前で完売になってしまいまして……」
「アクリルスタンド?」
「どういうものなの、藍ちゃん」
口で説明するよりも写真で見せた方が分かりやすいと、店先にある少年マンガ雑誌を一冊手に取った。
「この漫画、少年系の雑誌に連載されていますけど女性から絶大な支持を集めています」
「映画も凄い人気なのよね。前ものね、上映のタイミングに合わせて出たムック本を買う女性が何人も来てね」
「そうだったな。あれには驚いた」
「で、その漫画の読者プレゼントの一つがこの『アクリルスタンド』です」
巻頭カラーのページに今週のプレゼントがずらりと並んでいるなかに、イケメン脇役のアクリルスタンドが大きく載っていた。
「これが、か……」
「ほらあなた、昔で言うところのブロマイドみたいなものかしらね」
「そうだな。浅草のブロマイド屋の進化版か」
現代版のブロマイドを理解させることに成功した藍だったが、やはり将棋とアクリルスタンドが合致しない様子の二人からまたもや質問攻めにあった。
「でもよ、将棋でなんでアクリルスタンドなんだ?」
「藍ちゃんのお気に入りの先生がアクリルスタンドになっているの?」
「しかし将棋の先生がアイドル扱いになっているとは、驚いたな」
「まぁね、亀井先生なら何となくわかるけど。他の先生のもあるのかしら。それ、本当に売れるの?」
真剣勝負の世界で生きている将棋棋士が、アイドルや人気キャラクターと同じように『アクリルスタンド』になっている。年配の方は少なからず衝撃を受けるかもしれない。
(確かに、二人の世代で将棋といえば重厚感あふれ過ぎているアノ古山大先生だもの、仕方がないか……)
「若手の先生を中心に商品化されたんです。女性ファン、かなり多いので飛ぶように売れていますよ。指さないけれどお気に入りの先生を応援するファンを『観る将』と呼ばれています」
「ミルショウ?」
「ミルは観戦の観、ショウは将棋の将です」
「指さないけれど将棋ファンか……」
「そういえば、この前テレビで亀井先生がタイトル戦で頼んだ食事やおやつが紹介されていたの見たわ」
「食べたものまで取り上げられるなんて、すごい時代だな」
「ネットニュースでも話題になり、おやつは即日完売だったり問い合わせ殺到ということも珍しくないですよ」
自分たちの知らない間に将棋界が大きく変わっていることを痛感した氏家夫妻は、藍の話にただただ驚くばかりだった。
「結局、アクリルスタンドは買えなかったので亀井先生の扇子を購入して終わりました」
「それでも、扇子が手に入ったのは良かったわね」
「やっぱりよ、棋士といったら扇子だからな!」
「そういえば昔、よく流しの人が扇子をバチンバチン扇ぎながらこの辺りで指していたわね。懐かしいわ」
「ああ、プロ顔負けのアイツか」
「流し?」
「真剣師っていってな、賭けをして稼いで生活していた。もう今じゃ絶滅した」
「賭け事ってイメージが悪いでしょう。金額によっては違法で警察沙汰になるし」
「南千住や北千住界隈の公園や道端でよく見かけたな」
(いつ時代の話だろう……。やっぱり昭和?)
「花火大会とかお祭りの時にフラッと現れて、滅法強いのがいたんだよ」
「本当に、どこからともなく来て風のように去っていく人だったわね」
「この辺りの腕自慢を涼しい顔して軒並み倒してたな」
「それって、昭和の頃の話ですか?」
「そうだな……。いや、平成に入って少し経った頃まではこの界隈に来ていたぞ」
「ものすごい色男でね。いつもその人がくると商店街の奥様方が急いで化粧しておもてなしするくらいの」
「みんなアイツにお熱だったもんな」
「えぇ! それくらいの美男子なら見たかったです!」
藍の言葉に頼子さんは大笑いした。
「藍ちゃんはハンサムさんに弱いのね。陰のある色男だったわよ」
「そうだな。時代劇に出てきそうな過去を持つ謎の男って感じ」
「ふ~ん。過去を持つ謎の男ですか……」
プロ棋士並みに強いけど素性が謎。しかもイケメン。
物語の主人公のような人がかつてこの辺りに出没していたことを想像すると、昭和にタイムスリップしてその人の顔を拝んでみたくなった。
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