「粘着質のファンよりは、ちゃんと彼に近づく手段として努力しているとは思うけどね」
「それ、褒めているの?けなしているの?」
「もちろん、褒めている。間近で藍の努力をみているから」
中学二年の春、商店街の氏家書店で見かけた将棋雑誌の表紙を飾っていた男性に一目ぼれしたことで人生が大きく動き出したのだ。
「もう四年経つのね・・・・・・」
「で、将棋は多少なりとも指せるようになったの?氏家のおじちゃんも気にしていたよ」
本当は将棋も覚えたいのだが、未だに居飛車と振り飛車の違いしか分からない。将棋アプリでも、十八級止まりという体たらくだ。それに比べ、氏家書店のおじちゃんはアマ強豪で藍のような『観る将』や『読み将』が良く理解できないらしい。
「野球をやらないけれどチームや選手を応援するファンと同じって、この前説明したんだけどね。イマイチ分かってくれない」
「今度さ、SNSの大盤解説の写真でも見せたら。きれいなお姉さんばかりで驚くかも」
「それいいね。就任パーティーでの画像も見せるか!」
観る将は女性中心に浸透しているが、やはり氏家のおじちゃんのような生粋の将棋愛好者には謎のようだ。とはいえ、藍は昭和の頃の対局日誌を図書館で借りて読み漁ったりもしているので氏家のおじいちゃんからは『よく知っているな』と感心されることも多々ある。
パンケーキを食べつつ、美帆は課題の古文を藍のアドバイスを聞きながら進めていき、藍はマネージャーのようにスケジュールを考えた。
「古文の次は数学だね。数学は美帆得意だから私の出る幕ではないかな」
「量が半端ない・・・・・・」
「頑張れ~」
「励まし方、軽っ!」
数的センスが抜群の美帆は、恐ろしい集中力で問題を解いていく。
「やった! 終わったよ。それにしても疲れた少し休憩していい?」
「残りは英語のみだよ!」
「お情け下さい・・・・・・。ウーロン茶を飲まして下さい。そして、千駄ヶ谷の話を聞かせてください」
「分かったよ。全く仕方ないな、美帆は」
炭酸水もコーヒーもダメな美帆は、ドリンクバーといえばウーロン茶か紅茶、緑茶とお茶系しか飲まなかった。
「で、千駄ヶ谷で知り合った探偵さんってどんな人?」
たっぷりの氷をグラスに詰め込んだウーロン茶を美味しそうに飲みながら、美帆は待ってましたとばかりに尋問をスタートした。
「地元の人。七十代半ばくらいのおじいさん。氏家のおじちゃんと同年代かな」
「本物なの?」
「元刑事ってことだけどメモの取り方みても、本物だと思う」
「それで、どんな事件が起きたの」
「元刑事で探偵している内藤さんの孫娘さんの大切なマスコットが紛失した」
「で?」
「だから、マスコットが紛失したの。新宿御苑で」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
美帆は明らかに落胆した表情を浮かべた。
「すごい大事件かと思って、ワクワクしていたのに孫娘のマスコット探しとはね」
「でもね、本当に犯罪の匂いがするの」
藍は声を潜めてそう告げた。
「ど、どいうこと?」
「しっ、静かに・・・・・・」
藍は周りを見渡して声のボリュームをさらに下げて話を続けた。
「お孫さんは高校一年生でデビューして半年のアイドルグループのファン。推しメンの限定マスコットを通学カバンにつけていた」
それまでとは打ってかわり、美帆は目を見開いて黙って話を聞く。藍は淡々と新宿御苑や原宿界隈で起きている紛失事件の話をした。
「なるほどね。転売屋の犯行の線が濃厚か。それで、藍がおとり捜査官になるわけ」
「そういうこと」
「和柄の布選びはこの界隈なら簡単だけど、そんなの相手にして大丈夫?」
「内藤さんが知り合いの刑事さんと連絡しているみたいだけど」
「物取りだから、大勢の警察官が潜むことはないでしょう」
「たしかに、そうだね・・・・・・」
「それに、元刑事で探偵といっても七十代のおじいちゃん。マスターっていう人も年齢不詳。怪しい身なりの大学生は、柔道とか空手とかやっていそう?」
親友から鋭い指摘に藍は黙るしかなかった。内藤さんは多少なりとも護身術が身についているかもしれないが、残りの二人はそういう気配を感じられなかったからだ。
「う~ん、ちょっと考えなかったかな・・・・・・。内藤さんは元刑事だから護身術とかできそうだけど、年齢的に厳しいか」
「ほら、甘すぎ。そんな頼りない人に囲まれて、おとり捜査なんて危ないでしょう」
美帆の意見に反論できず、藍は天井を見上げた。
「外で人の目もあるし、刑事さんが見守っているから大丈夫だよ。うん。」
自分に言い聞かせるような様子に、美帆はあきれ顔でウーロン茶を飲み干した。
「数学はあと残り2ページ。必ず昼間で刑事さんや警官が複数人隠れている状況。それが不可能ならおとり捜査には参加しなと条件突き付けな」
「分かった分かった。ちゃんと連絡しておく」
「今、ここでメッセージ送信しないと私が全力で阻止するから」
親友からの厳しいアドバイスを聞き入れ、グループメンバーにメッセージを打ち始めた。
『友達が心配しているので、必ず昼間行い複数人の刑事や警官が隠れているようにして欲しいです。よろしくお願いします』
メッセージを見せながら送信すると美帆は満足げな表情を浮かべた。
「これでひと安心。あとは相手からのメッセージを確認して、お開きにしましょうか」
「もう課題はOK?」
「ああ、英語の長文読解がサッパリだから助けてください・・・・・・」
「はいはい、分かりました」
消え入りそうな声で嘆願してきた美帆から渡された英語の課題を見て、これは厄介だなと心の中で思いつつ母親にメッセージを送った。
『駅近くのファミレスで人助け中。帰りは少し遅くなる』
帰宅するのは一時間後くらいだろうかと美帆は考えながら、最後の最後にラスボスを残した友を救うべく長文と向き合った。
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