カラン。ギギ。
また滑車が揺れる。刃を吊るす鎖が、犠牲者の手から離れていく。
また一つ、また一つ。
着実に死が、近づいていく。
死神の足音を聞かされる、地獄。
ダークアクアは絶叫した。
『イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!!!』
ランは瞼を伏せた。
「怖がらないで。これは、救いです」
『イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテクダサイ!!!!!』
最後の一人……椅子の最前列に座る幼い女の子。首のないミナが、鎖の最後の一本から手を放した。鶴が面を上げ空を仰ぐかのように、鎖がミナの手から宙へ舞い上がる。その光景を、ダークアクアはじっと見つめていた。
滑車が回る。
カラン、カラ、カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ――
『イヤダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
「ハートフル・フィニッシュ――『贖罪の断頭台』」
刃が、ドスンとダークアクアの首に落ちた。懺悔の断末魔が、ピタッと途切れた。
ダークアクアの鎧が砕け散り、胸の中にあったアクアストーンがランの足下まで転がってきた。ダークアクアの悲鳴は、礼拝堂の高い天井に反響し続けていた。
悲鳴が反響する天井から、光が降り注いだ。温かな光に溶かされるように、礼拝堂の壁や椅子、床、祈る犠牲者やギロチンがドロドロに崩れていった。礼拝堂は光に満たされ、ランだけが残った。
瞼を開くと、ランは更地にいた。爆発に見舞われた街に戻って来たのだ。
目の前にはダークアクアの残骸があった。首のあった場所に大剣が突き立てられ、斬り落とされた兜は粉々になっていた。
ランの手には、ロザリオとアクアストーンが握られていた。もう一度目を閉じ、ランはこうべを垂れた。そこにいる誰かに、感謝するように。
♢
聖△△教会は瓦礫の山に埋もれていた。住宅地の外の景観も滅茶苦茶になっているため、教会がどこにあったのかすらわからなかった。
鶴来ランは赤いステンドグラスの破片を見つけた。たぶんこの辺りが教会だったんだろうな、と思った。しかし触ってみると、それは血がついた青いガラスだった。
瓦礫の山に埋もれた人の血や臓物の臭いが漂っていた。初めてランは不快な臭いを感じた。
ランはもとの姿に戻っていた。変身する前の制服姿。ブレザーは破けているし、タイもなくなっていた。
大規模水素爆発で市街が消し飛んでから4時間が経っていた。街のいたるところで、消防や自衛隊による救助作業が行われていたが、まるで手が足りない様子だった。ランがいる住宅街には、まだ消防の手は及んでいない。どうせ今更来たところで間に合わなかった。
ランはステンドグラスがあった地点から、おおよその予想をつけて孤児院の自分の部屋があった場所へ向かった。途中、見慣れた幼い手が落ちていた。手首から先は肉が垂れているだけで誰もいなかった。ランは無視して歩いた。
瓦礫の下を一応探してはみたものの、ランが絵を描いていたノートは見つからなかった。探している場所が正しいのかもわからないし、見つけ出せる可能性は無いに等しい。記念に、と思ったのだが、しょうがない。それに今のランならば、あの絵が無くとも平気だった。
安定していそうな瓦礫の山に登り、ランは教会の跡地を見渡した。特に感傷はない。今まで覚えようとしていなかったから、思い出も何もなかった。写真でもあればいいと思ったが、瓦礫の中を探すのは無駄な努力だ。
首に提げたロザリオを撫でながら、ランは呟いた。
「……誰の顔も覚えていない……」
礼拝堂があった場所に、ランはタンポポの花を置いた。背後から、神崎千早の声がした。
「雑な供え物だな」
風で飛ばないように、タンポポの茎に石を置いた。ランは手を握り合わせ、祈った。
「さっき、ここに来る途中で見つけたんです。タンポポの生命力って凄いですよね。アスファルトの亀裂から力強く育つ。あの爆風のなかでも飛ばされずに残っていました」
祈りを済ませて振り返ると、おそらく門があったと思われる場所に、千早とキュウコとオウルン、そしてロケロンがいた。
爆発から逃れるために力を使い切った千早は、オウルンの肩を借りていた。暫く休んで回復はしたようだが、顔にある疲労は隠し切れなかった。
「それに、タンポポは首チョンパがし易いです」
ロケロンが肩を落とした。「台無しケロ……」
ランは千早たちのもとへ歩き出した。持てる物は何もない。あるのはロザリオと、顔のない子供たちとのおぼろげな思い出と、初めて仲間と言える者たちだけ。
ランにはそれで充分だった。これまで過ごして来た虚無に比べれば、持ち過ぎているくらいだった。
歩いて来るランに、千早が愛想なく言った。
「……あの時間、既に登校していて無事だった孤児院の子供もいる。そいつらのことはいいのか?」
「大人がなんとかしてくれるでしょう。だいいち顔も覚えていませんし、今さら家族だなんて思いません」
「お前がいいなら良い」
ランは千早の隣を素通りしていった。すれ違いざまに、ランはいつもの微笑を浮かべて言った。
「どうしたんですか? 意外ですね、まるで引き留めるようなことを言うなんて」
千早は鼻を鳴らした。
「後から、やっぱり帰りたいなんて言われても困るからな。念を押してるだけだ」
「……平気ですよ」
街の被害とあの水素爆発では、原形を残した死体の方が少なく、正確な死者数を突き止めることは難しい。ランがいなくなっても、名の無い肉片のうちのどれかが彼女だと判断されるだろう。そして行方不明者に登録される。誰も不思議に思うことはない。生き残った子供たちもランが死んだものと考えるに違いない。
「今日、ここでシスターを務めていた鶴来ランは死にました」ランはハートフルフォンを握りしめた。「そして今、ここに生きているのはハートフル戦士サイコ・ブレイドです。わたしはわたしを生んだ人間たちが存在した意義を遺すために……あなた達とともに戦います」
「…………」
オウルンの肩を叩き、千早は踵を返した。人が来て面倒なことになる前に去った方がいい。
「……そうだな。それでいい」
歩こうとした千早の足下に、ボロボロのロザリオが落ちていた。礼拝堂にいた誰かの物だ。そのまま踏もうとしたが、逡巡して千早はロザリオから足を避けた。
――『神に誓って私はお前を助けよう』
我ながら気持ちの悪いセリフを吐いたものだ、と千早は苦笑した。
「あの誓いは嘘じゃない。私が違えることはないよ、ラン」
オウルの肩を借りながら、教会を後にした。
人に変身したロケロンとキュウコと、ランは手を繋いだ。背の低い子供と並んで歩く様は、つい朝まで教会で目にされていた光景と何ら変わらなかった。少し違うのは、ランが感じるロケロンとキュウコの感触が、いつもよりも温かいことだった。人の肌に温度があることを、ランは初めて知った。
そして、ランのほほ笑みは、普段よりもほんの少し嬉しそうだった。
荒れ果てた道とも言えない瓦礫の荒野を、ランたちは歩いて行った。ロケロン以外、誰も振り返らなかった。
(一週間で3人目……日ノ出才子を蘇らせるまで、あと1人だな)
他の戦士と合流する算段と、才子復活の手順を改めて頭の中で整理しながら千早は言った。特に何も考えず言ったことだったが、キュウコたちは驚いた。
「帰るか……私たちの家に」
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