ファイルの最後のページに、ぽたっと水滴が落ちた。
「…………」
キュウコは泣いていた。ファイルを持つ手が震えていた。
ぽたぽたと、ファイルに涙がこぼれ落ちた。
才子が死んだ時でさえ、才子が蘇えった時でさえ流れなかった涙が、何故か溢れて止まらなくなっていた。
「……才子……」
どうして。
どうして、神様は才子にここまで残酷だったのだろう?
「……才子……あなたは……っ、あなたは、どうして……っ」
才子は生まれてから、幸福だった瞬間があるのだろうか。
荒んだ家庭で育ち、目の前で姉を殺され、ともに遺棄を行い、目の前で母親に死なれて。あなたはいつから正気で居ることを諦めた?
それとも、まだあなたは正気のままなのか?
ファイルに記された一連の事件の概要のなかで、一際異質な存在感を放つのが才子だった。キュウコは才子が狂ってしまった原因を紐解けると思っていた。でも、余計にわからなくなってしまっていた。
才子が狂った瞬間がどこにも見当たらない。
一貫して、才子という存在がぶれた瞬間がどこにも無かった。
もし事件が起きる前に才子がおかしくなってしまったのなら、まだ救いがあると思った。どうかそうであってくれとすら、キュウコは思った。
どうか。
どうか、狂っていてくれ。
でなければ。
もし、幼少期から才子は才子のまま、一度も正気を失ったことがなく、確たる自己を保ち続けているのだとしたら。
荒んだ家庭での生活も、
姉が殺されることも、
死体をバラバラにすることも、
死体を埋めることも、
母が壊れていることも、
母が自殺することも、
才子にとっては些細な出来事で、「昔のこと」と一蹴できる程度の感傷に値しないことなのだとしたら。
「才子……あなたは……あなたは……っ!」
これを読んだキュウコ以上に、心を痛めることが無かったとしたら。
それはもう、ただの怪物だ。
♢
日ノ出才子はテレビを見ていた。
日曜日の朝に放送する女児向けアニメだ。女の子が可愛い衣装に身を包んで悪者をやっつけるという内容で、シリーズが何年も受け継がれている作品だった。
退屈な日常のなかで、そのアニメだけが才子の楽しみだった。
明るい音楽と愉快な物語、悪者をやっつける爽快な展開、可愛い妖精たち。
多くの女の子が一度は憧れる存在だ。例に漏れず才子もテレビの中の変身ヒロインになりたいと思った。
でも、憧れのヒロインたちと自分のあいだには覆しようのない相違があった。
主人公たちはみんな、明るい家庭で幸せな生活を送っている。お父さんもお母さんもいつもにこにこ笑っていて、一緒に食卓を囲んで、一緒にお出かけをしたりする。
才子の家庭とはかけ離れていた。
あまりに遠いその差は、まるで才子がテレビの中の彼女たちのように、物語の主人公になれないことを突きつけられているかのようだった。
「……良いなぁ」
この時、少しでも発想が違えば、未来は変わったのだろうか。
奇しくも、幼いながらに緻密な頭脳を持っていた才子は、憧れのヒロインのような家庭で過ごしたいという願望に対し、現実がどうあっても叶うことはないだろうと理解してしまった。
この時、父と母のどちらかでも、彼女に愛情を伝えれば変わったのだろうか。
自分が過ごすこの醜い家庭が変わることはないだろうと、早々に判断した才子はある一つの結論に至る。
この時、姉が手を握ってくれていたら、その温もりに気づくことができたのだろうか。
「……邪魔だなぁ」
父と母と姉。彼らは自分の家族に相応しくない。
七歳のある日、才子はそう結論付けた。二年後、日ノ出家は崩壊を始める。
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