芭海はあの女の子を、以前まで父と暮らしていた家まで運んだ。平屋のごく普通の一軒家で、今は芭海が一人で住んでいる。
彼女を病院へ連れて行くことも考えたが、今すぐ治療しなければ命の危険になる傷ではなかったし、目が覚めてからでもいいだろうと思った。喧嘩沙汰だと警察が絡みかねない。警察は芭海が一番関わりたくない存在だ。
応急処置をした後、芭海の服を着せてベッドに寝かせておいた。気がついたらそれっぽく事情を話して、無事そうならそのまま帰そう。それに、どうせこれっきりなんだから、折角だし……。
(ちょっと話すくらい、いいよね……)
正午頃まで彼女は眠っていた。リビングで待っていると、彼女は眠そうに目をこすりながら部屋から出てきた。
ちょっとだけ緊張を覚えながら、あくまで平静を装って芭海は接した。
「おはよう」
「……おはよう……ごじゃいましゅ……」
(……かわいい)
彼女は寝惚けた顔をしていた。家の中を暫くぼーっと見回してから、かくんと首を傾げた。
「……どこ?」
「ああ、うん。何もわからないよね。……水飲む?」
「……飲む」
グラスを受け取り一口飲んで、彼女は徐々に眠りから覚めていった。目をぱちぱちさせると、彼女は残りの水を一気飲みした。
「トイレ」
「そっちにあるよ」
芭海は彼女に、ここまでの経緯を大幅に省いて説明した。怪我をして寝ているところを見つけたのは本当だし、同年代だから放っておくことができなかったと言えばそれっぽいし、訳アリみたいだったから病院には連れて行かなかったという、それらしい理由をつけると彼女は納得した。彼女も病院には連れて行って欲しくなかったみたいだった。
「……気分はどう?」
「全然平気、元気!」
彼女は非常に朗らかで、明るい子だった。どんな子だったとしても、芭海は話しているだけで楽しかった。
「ありがとうっ! 助かりました!」
「なんであんな所で寝てたの?」
「え~っとねぇ、悪い人たちをやっつけてたら、頭バッドで殴られちゃって~」
「えっ、バッド!?」
照れるように髪を掻き、彼女は笑った。
「石頭なんで大丈夫!」
打撲は多かったが骨折は一つもなかった。華奢なわりにかなりタフな子だった。
(悪い人って、路地裏で倒れてたヤンキーたちかな? 喧嘩してたってマジなのか……)
ちょっとイメージと違ったが、嫌だとは少しも思わなかった。ただただ愛おしいという想いしか溢れてこない、これが恋なのだろう。
ソファに並んで座り、芭海はニコニコして話す彼女を眺めた。
子供っぽい顔が、笑うともっと幼く見えた。声が高くて、よく喋ってよく動く。表情が豊かで、見ていて飽きなかった。
芭海は自覚していた。間違いなくこの子のことが好きだった。隣にいるだけで心が躍る。心臓が、ずっと早いリズムで鼓動している。まさか自分が、と芭海は思っていた。それもただ寝ている姿を目にしただけなのに。
(一目惚れってやつか……流石にお父さんも、そこまでは予想していないだろうな)
時計を見ると、彼女はいきなりバッと立ち上がった。芭海は驚いた。
「なに? どうしたの?」
彼女は焦った様子で訊いてきた。
「あれ、今、お昼……今日、何曜日!?」
「土曜だけど?」
「土曜……」
胸に手をあてて深く息を吐き、彼女はわかりやすくほっとしながらソファに腰を下ろした。
「はあぁ~~良かったぁ~~! 日曜日だったらどうしようかと思ったぁ~!」
「日曜日、何かあるの?」
彼女は目をきらきらと輝かせて、物凄い勢いで食いついた。
「私っ、ニチアサアニメすっごい好きなのっ!」
「うわっ」ずいっと詰め寄られ、芭海はどぎまぎした。顔とか耳が赤くなっていたが、彼女は全く気にしていない風で、興奮気味に趣味のことを語った。
「毎週欠かさず観てて~……日曜日は必ず早起きしてるんだよねぇ~!」
「……へぇ、そうなんだ」
ニチアサアニメが何なのかを芭海は知らなかったが、ノリの悪いやつだと思われたくないので話を合わせておいた。
「私、変身ヒロインになるのが夢なの!」
「そうなんだー」
変身ヒロインって、何だろう?
(そういえばまだ名前も聞いてなかったな……)
彼女はずいずいと芭海に迫った。体じゅうに打撲があったにもかかわらず、ものともしない。本当に丈夫な子である。
「良いよね! 変身する女の子たち! ビシバシ悪者をやっつけるの、最高にかっこいい!」
「あ、うん……そうだね」
芭海はソファの端まで追い詰められていた。彼女はほとんど芭海に体を覆い被らせていて、襟から服の中が見えそうだった。既に裸も全部見ていたはずだが、悪い気がして目を逸らす。
「あなたはどの変身ヒロインが好き? えっと……」
きょとんとした顔で顎に指をあて、彼女は首を傾げた。ソファに座り直し、彼女は芭海をまじまじと見た。彼女の方から離れてくれたので、心臓が爆発しそうになっていた芭海は助かった。
「ふぅ……」
「ねぇねぇ」
「ん、何?」
彼女は芭海をじっと見て尋ねた。
「そういえば、お名前なんて言うの?」
どこまでも澄んでいて、水晶玉のように綺麗な瞳だった。くりくりとした丸い瞳は、芭海をまっすぐ見つめて捉え、離さなかった。澄んだ瞳に惹きつけられ、芭海は目を逸らせなかった。
彼女は、どこか不思議な雰囲気だった。芭海が会って来たどんな人間とも違った。
幼いとは言えない年齢でいながら、子供のような純粋さを保ち、無邪気な顔にも時折確かな知性を感じさせた。芭海が恋をするほどの相手なのだから、普通と違うのではないかと思っていた。もしかしたら自分と同じ種類の人間なのではないかと。
しかし、彼女は芭海とも父ともまた違う人種だった。見たことがないタイプだ。
その時、芭海は自分が――異常者であるはずの自分が、『異質』だと感じることがそもそも異状事態であることに、気がついていなかった。
芭海は動揺を悟られないように、年上のお姉さんを演じて名乗った。
「僕は水鶏芭海。君の名前も、聞いていいかな?」
「くいなはみちゃんだね! わかった!」
彼女は嬉しそうに笑って言った。その名の通り太陽のように明るい笑顔だった。
「私は日ノ出才子! よろしくね芭海ちゃん!」
これが水鶏芭海と日ノ出才子の出会い。
日ノ出才子がハートフル戦士となり、ダークグラビティと死闘を繰り広げる三か月前の出来事だった。
♢
現在
水鶏芭海は別荘の解体部屋で、いつものように捕らえた獲物を解体していた。今解体していたのは、近所のマンションに春から一人暮らししていた新卒のOLだった。
血抜きを終え、体から内臓を取り出しているところだった。芭海の背後で解体部屋の扉が開いた。
芭海は壁のマグネットに貼り付けた肉切り包丁に反射して映る、扉の傍にいる背の高い女を睨んだ。作業を続けたまま芭海は口を開いた。
「今は解体中だ。邪魔をしないでくれ」
女は厳かな声で芭海に言った。
「……まだ、戦う気にはなってくれないかワン?」
OLの腹から引きずり出した十二指腸を桶に入れ、芭海は長身の女に冷たい眼差しを向けた。桶を流しへ運び、新しい包丁を壁から取って作業台の前へ戻った。
「手伝わないなら出ていけ、プードルン。君もしつこいぞ」
OLの胸に、芭海は刃先を突き立てた。胸骨の切開を始めながら、芭海は突き放すような口調で言った。
「何度言っても同じだ。僕はハートフル戦士になるつもりはないよ」
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