ぶつくさ言いながらロケロンが引き下がる。千早が嫌味ったらしく舌打ちしロケロンが睨もうとしたが、ランがロケロンを抱き寄せたので怒りは爆発せずに済んだ。ロケロンを抱擁したまま、ランは先の問いに解答した。
「わたしは7歳からここに住んでいます。親は両方とも同じ頃に亡くなりました」
「死因は?」
「事故です」
「兄弟はいるか?」
「いません」
「ここの職員との関係は良好か?」
「はい。とても良くしてもらっています。恩返しをするためにシスターをやっています」
「そうか。お前は頭が良い方か?」
「頭の良し悪しは測りかねますが、通う学校では程良い成績をキープしています」
「ハートフル戦士とダークゴットズの戦いについて理解しているか?」
「はい。ロケロンから聞いています」
「どういう人間がハートフル戦士に選ばれているか知っているな?」
「はい」
「ならお前はどんな人間なんだ? 妖精はお前の何を見て異常だと判断したと思う? つまりお前のどこがサイコパス的なんだ?」
「一つ心当たりが」
「言え」
「私には感動がありません」
ランは変わらぬ調子で、淡々と答えた。端的な回答の意味を千早は察したが、キュウコやオウルンはまだ理解していなさそうだった。ロケロンには既に本人から聞かされているらしいことは、表情を見てわかる。
肘掛けに頬杖を突き、千早は脚を組んだ。
「詳しく訊いても?」
「構いません」
「感情が希薄、という意味で捉えて差し障りないか?」
「はい」
「具体的には?」
「そうですね。例えば……」
ランは窓に目を向けた。談話室の窓からは孤児院の庭が見えた。庭で駆け回り、楽しそうに笑う子供たちの姿がランの青い瞳に映った。遊ぶ子供たちを眺めるランの顔は、変わらずほほ笑んでいた。
「子供たちを見て、あなたは可愛いと思いますか?」
「私は思わないが、ごく一般の感覚では可愛いと感じるだろうな」
「そうですよね」
庭の花壇にチューリップが咲いていた。
「お花は好きですか?」
「別に。綺麗だとは思う。手入れが面倒だ」
「そうですよね」
天気が良く、青空が広がっていた。
「今日は晴れていますね」
「そうだな」
「晴れていると気分が良いですか?」
「日光は人体にも有用だ。晴れている方が好みだな」
「そうですよね。お友達はいますか?」
「学友を友人と言うのなら」
「大切な人を失ったことはありますか?」
「祖母が該当するな。優秀な医者だった」
「悲しかったですか?」
「残念だった。今思うと生きていてくれた方が助かったな。悲しいと言っても問題ない」
「そうですよね」
ランは千早に顔を向けた。最初に顔を合わせた時と全く変わらない微笑を貼り付けていた。
「わたしには、それがありません」
優しいその声は、しかし同時に機械が喋っているような無機質さがあった。
キュウコとオウルンは思い出していた。プロジェクトDに選ばれる少女には厳しい基準があるが、鶴来ランは精神性においてその基準をダントツでクリアしていた。
「子供を可愛いとも、花を綺麗だとも、晴れた空が心地いいとも、寂しいとも、両親が目の前でバラバラになった時でさえ何とも感じませんでした。わたしは何かに心を動かされたことがありません。嬉しいとも悲しいとも楽しいとも感じたことがありません。ただ漠然とした死への抵抗だけがわたしを生かしてきました」
ハートフル戦士に選ばれた少女のなかでも、鶴来ランは生粋の精神異常者だった。
「ならばお前は何を願う? 感情が無いお前に、何がハートフルエナジーをもたらす?」
他者と円滑な社会関係を築くために養われた微笑の仮面で、内側にある虚無を隠したままランは言った。
「千早さん、あなたは神の存在を信じますか?」
「……あ?」
「あなたは神を信じますか?」
「宗教勧誘はやめろ。無宗教だ」
「そうなんですか。勿体ないですね」
「質問をしているのは私だ。質問に答えろ」
「神という概念は素晴らしいとは思いませんか」
「問いに答えろ。私が訊く番だ」
「私は宗教に感謝しています」
「…………」
千早は顔をしかめた。会話の風向きが変わった。言葉のやり取りで千早が少しでも圧されるところを、オウルンは初めて目にした。
「神を信じるという文化はとても素晴らしい発明だと思いませんか。信じる者は救われる、それは本当なんですよ千早さん」
「耳が遠いのか頭がおかしいのかどっちだ?」
「神様は全てを赦してくれるんですよ」
ランは無視しているというより、千早の声が聞こえていないようだった。都合の悪い言葉を完全にシャットアウトしている。話が通じない。
「さっき、わたしはこの教会の皆さんと孤児院に感謝していると言いましたよね? それは本当なんですよ。私を迎え入れ、今まで育ててくれたことに恩を感じているのは真実です」
「情が無いのに何故そう言い切れる?」
否定でなく会話を試みる。ランはあっさり回答を口にした。
「私に生きる意味を与えてくれたからです」
「意味?」
「神様を信じることです」
ランは祈るように手を握り合わせた。首から提げたロザリオがカチャリと鳴った。瞼を伏せて彼女は喋った。
「感動が無く、何を目にしても感情を覚えないわたしの空洞を神様は埋めてくれました。信仰心を捧げること、信じること、祈ること。わたしの足りない何かを神様への信仰心が代わりに満たしてくれるんです」
信じる者は救われる、とはあまりに都合の良い言葉だった。神は歴史上ただの一度として人間に手を差し伸べたことはない。救うのは神ではない、祈った当人自身である。信じた時点でその人間の心は救われている。盲目的な信仰で心の安い安寧を求めるのが宗教のメカニズムだ。
心の空洞を、ランは信仰心という人工的な感情で埋めた。
「生きる希望の無いわたしに、神様は信じるという目的を与えてくれた。これほど素晴らしい救いがあるでしょうか。わたしは生きることを赦されたんです」
「……なるほど。お前が少しわかった気がするよ」
いくら社会に適応するための演技だとしても、ここまで見事なシスターを装うことは難しい。それこそ執念という概念すらない彼女がこのロールプレイングを継続できているのは、妄信的な神への信仰心だったのだ。
なるほど彼女にとって神の遣いは適任だろうと千早は思った。神は全てに平等だ。誰も助けない。
ランも全てに平等だ。感情が無いならば、目に映る全てに価値を感じないはずだからだ。
「悪しき者たちから人々を守る……まさに神の思し召しではありませんか? わたしたちは神の遣いに選ばれたんですよ、千早さん」
ランは満面の笑みを浮かべた。初めて彼女の本当の『顔』を千早たちは見た。純粋で穢れの無い、きらきらと輝く、透明な狂気が渦巻いている。
「神の戦士としてわたしは戦います。神様の意志を顕現させるために。それがわたしの戦う理由であり、ハートフルエナジーの源です」
こくりと頷き、千早は思わず本音を溢してしまった。
「気持ち悪いな、お前」
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