【エナジーストーン】……様々な物質や概念を由来に創られた、超常的な力を発揮する石。もともとは太古の昔にハートフル戦士の力を補うために妖精が生成したもの。長い戦いのなかでそのほとんどがダークゴットズに奪われている。
「ロケロンは知っていたキュ?」
「ケロ?」
キュウコはロケロンに尋ねた。二人は孤児院の庭にいた。
子供たちは午後から勉強をしており、ランはそれに付き添っていた。机に並ぶ子供たちの傍に屈み、アドバイスを送るランの姿が窓から見えた。時には幼年生の鉛筆の持ち方を正したりもしていた。
「ランが、その……感情が希薄なことをキュ。聞かされていたキュ?」
「そうケロ。ラン自身から言われたケロ」
ロケロンは寂しそうな顔をした。キュウコとオウルンに比べ戦士のバディを務めた経歴が浅いロケロンは、昔のバディとランをつい重ねがちなのかもしれなかった。
「最初はランがサイコパスだってことが信じられなかったケロ。ランはとても優しくて、大人からも子供からも信頼されていて……突然出会った僕の話も、ちゃんと聞いてくれたケロ」
「キュ」
「でもランは……全部、神様に気に入られるための演技だって言ってたケロ。全部嘘だってわかってたケロ……でもランは本当に優しくて、嘘だとは思えなくて……僕はランについ甘えたくなっちゃうケロ」
「……それは……」
才子の顔がキュウコの脳裏を過ぎった。彼女のことがキュウコにはわからなかった。ロケロンにも、ランのことがわからないんだろう。千早のこともキュウコは理解ができない。
彼女たちは、サイコパスという人種はそういうものなのだろうか。この先、このまま信じていてもいいのだろうか。
「怖いケロ」
ロケロンが不意に呟いた。キュウコは眉を寄せた。
「ランがキュか?」
「……いや」
「ダークゴットズがキュ?」
「…………」
ロケロンは俯いて言った。
「何もかもが、ケロ」
礼拝堂のずらりと並ぶ長椅子の前から二列目に座り、神崎千早は教壇に掲げられた十字架を見つめていた。内装は補装されたばかりの外観に比べてかなり古い。飾ってある十字架はおそらくこの教会で最も古く神聖なものだった。
千早は神など信じたことはない。あの十字架を見ても神聖さは感じない。道端にあれが落ちていたら平気で踏むことだってできる。頭の中でランの口にしたセリフを反芻しながら、千早はどうやってあの教信者を言いくるめるかを考えていた。
オウルンがやって来て、千早の隣に座った。オウルンは黙って座るだけで何も話さなかった。そのうち千早が、十字架に目を向けたまま言った。
「神って居るのか?」
「知らないホッホー。私たちはハートフルランド以外の神秘的な存在と干渉したことがないホッホー」
「でもお前らを見ていると、本当にそんなヤツが居るような気がしてくるよ」
「わからないホッホー」
前の列の椅子の背に触れ、千早はその上に突っ伏した。腕に顎を乗せ、千早は呆れたような声を出す。
「鶴来ランは神を信じているわけではない」
「?」
「あいつは全ての責任を信仰に押し付けているだけだ。あいつは自分の行動に動機が持てない。だから神の存在を動機にした。全部神の思し召し、この一言で片づけられる。宗教は究極の責任転嫁だ」
傾いた日差しがステンドグラスを通し、赤や青、緑や黄色などの様々な光を礼拝堂に落としていた。使い古された灯台にこびりついた蝋燭や、教壇にある献花を彩った。千早は昔読んだ聖書の内容を思い起こそうとして、やめた。今は必要ではない。いざとなれば旧約だろうが新約だろうがどちらでも自由に思い出すことができる。
「どんな善行も、悪行も、あいつは神の所為にして誇りも悔いもせずやり過ごす。価値観が無いっていうのは本当に厄介だぞ。あいつは私や日ノ出才子以上に他人の命を奪うことに躊躇しないタイプだ」
深いため息を吐き、千早は腕に顔をうずめた。細い背中を丸める千早をちらっと眺め、オウルンが訊いた。
「今、何を考えているんだホッホー?」
「鶴来ランを、この教会から連れ出す方法だ。戦うとは言っていたが、あいつあの口ぶりだとここを離れる気が無いぞ。それじゃあ困る」
夕方になる前には、千早たちは教会を後にした。ランを口説き落とすにはまだ材料が足りなかった。近所のホテルに泊まり、また明日も来るとランには伝えた。
「明日わたしは早くに学校へ出ますが、小さい子たちの祈りの時間がありますのでその頃に是非いらしてください」
ランは笑顔で見送った。何から何まで千早の癇に障る女だった。
千早は近所にあるビジネスホテルに宿泊した。一人でチェックインしたため、当然ベッドは一つしかなく、キュウコとオウルンはソファで寝る羽目になった。就寝時でも、やはり千早はキュウコたちに変身を解くことを許さなかった。
「ちなみに……」
ベッドに入りながら千早が言った。キュウコとオウルンはともに首を傾げた。
「私は死ぬほど寝起きが悪いから、明日の朝は頼んだぞオウルン」
「任せろホッホー。叩き起こすホッホー」
「じゃあな」
布団を被るとものの数秒で千早は眠りに落ちた。千早が寝ているうちにこっそり元の姿に戻り、キュウコとオウルンは話した。
「オウルンは千早とコミュニケーションをとるのが上手いキュ」
「それほどじゃないホッホー。別に難しいことじゃないホッホー」
シロフクロウによく似た姿のオウルンは、大きな眉毛を曲げて自嘲っぽく笑った。
「彼女たちサイコパスは他人なんてどうでもいいんだホッホー。それを踏まえていれば、地雷を踏まなければちゃんと付き合えるんだホッホー」
夜更け、高校入学を機に与えられたランの一人部屋のドアがノックされた。ランはノートに何かを書き込んでいた。鉛筆を止めノートを閉じ、ランはドアを開けた。
「あら、どうしたんですか? ミナちゃん」
幼い女の子が立っていた。寝間着姿に枕を抱きしめ、潤んだ目でランを見上げた。孤児院に住む6歳の子だ。
「一緒に寝てもいい?」
遠慮がちにミナは言った。ランは優しくほほ笑んで頷き、部屋へ迎え入れた。
「いいですよ。でも、明日はちゃんと皆の所で寝て下さいね」
「うんっ」
ミナをベッドに寝かせ、布団をかけてあげた。
「わたしはもう少しお勉強してから寝ます。ちょっとだけ待っていてくださいね。電機は消しますけど、机の電気は付けていますし、わたしはすぐそこにいるので、安心してください」
「うん」
「良い子ですね」
ミナの頭を撫で、ランは机に戻った。椅子はベッドに背を向けるかたちで置かれている。ランが座れば机のうえはベッドから死角だった。
勉強をする、と平気で嘘をついたランの机に教科書などは置かれていなかった。あるのは一冊のノート。ランは先ほどまで熱心に鉛筆を走らせていたノートを開いた。
ノートにあったのは描きかけの絵だった。西洋画風のタッチで、陰影が鉛筆だけで精巧に描かれている。ぼかしもふんだんに使われ、ランの右手は黒くなっていた。ミナを寝かせる時は右手を触れないように気をつけた。
鉛筆を握り、ランは絵の続きを始めた。
描いているのはイエス・キリストの絵だった。十字架に磔にされた有名な場面。杭を打たれた手、体を貫く槍としたたる血。しかし何故かイエスが下半身に穿いていたのは現代風のトランクスだった。
周囲には磔になったキリストを囲むように大勢の人々が立っていた。その人々も現代風のファッションに身を包んでいた。背景には横転したトラックと、屋根が消失した乗用車があった。その絵の異様な点は、人々のファッションや背景だけではなかった。
キリストを含む、描かれた人物の全員の首がなかった。鋭利な刃物で斬首されたかのような断面まで細かく描写され、衣服に血が流れ落ちている。
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