【プロジェクトD】……『悪魔計画』と呼ばれる、サイコパスをハートフル戦士に擁立する計画。1980年代に蛇妖精のヨルムムンが考案、提出した。当時サイコパスに分類される人間の凶悪犯罪が多発したこともあり、リスクを考慮して封印された。昨今の劣勢に伴い、オウルンによって再提案され、可決された。
『悪魔計画』を立案したヨルムムンは妖精のなかでも変わり者として有名だった。独自の思考を持ち、たびたび仲間と衝突していたが型破りな策で実績を残し、次期議長の呼び声も高かった。しかし西暦2000年の戦いで命を落とし、その頃からダークゴットズは力を増し始めた。
父はよく言っていた。
もし食べることができない人を見つけたら、大事にしなさいと。そしていつか、その人からは離れなければならないと。
――『僕たちは人を真に愛することはできないんだよ』
その日、水鶏芭海は獲物を捕らえるのに失敗した。
捕獲を失敗したというより、企みが破綻したのである。夜、芭海はコンビニバイトから帰る途中の女子高生を狙っていた。綿密に計画を練り、いざ実行に移そうとしたその時、ターゲットの女子高生が男と合流したのである。
彼氏がいることは知らなかった。帰宅ルートなどを調べて今夜に決めたのに、全くの想定外だった。仲睦まじく、彼氏はターゲットを家まで送り届けた。二月後に結局その子は芭海が食べたのだが、彼氏は塾に通う上級生で、この頃に付き合い始めたばかりだった。塾帰りの彼と待ち合わせていたのだ。運悪く、今夜は彼女たちが初めて一緒に帰る日だった。
仕方なく捕獲を諦めた芭海は、獲物を手にできなかったことにイラ立っていた。いつでも平常心でいなくてはならないと、父にはよく教えられていたが、一か月間入念に計画を立てていただけに、徒労感は否めなかった。
人肉の貯蔵も少なくなっていた。芭海は他の動物の肉や野菜を口にすることもあったが、人肉は欠かせないメインディッシュだった。食糧が確保できないのは芭海にとって大きなフラストレーションだった。
八つ当たりでそこら辺の看板を殴りたくなる感情を抑え、芭海は用意していたキャリーバッグを回収するために夜道を歩いていた。道中、通りかかった裏路地に大勢の若い男が倒れているのが見えた。服装からして暴走族だろう。喧嘩の後か。関わり合いにならないように、芭海は早足でその場を去った。
キャリーバッグを隠してある公園に着いた。夜の九時半、当然誰もいないはずだった。ところが、ベンチに誰かが寝そべっているのが見えた。不意だったので芭海はびっくりした。酔っ払いかと思ったが、よく見るとセーラー服を着た女の子だった。
つい足を止めて、芭海は女の子を眺めた。生垣の外にある外灯だけが光源だった。仄かに照らされた少女は、よく見ると怪我だらけだった。
顔が少し腫れている。殴られた痕だ。セーラー服にも血がついていたが、血痕の形が妙だった。自分の血だけではない。
(……誘拐? レイプは、されていないな。どうしたんだろう……手の皮が剥がれている)
人を殴ってできる傷だった。派手に喧嘩をしたようだ。一瞬だけさっき目にしたヤンキーどもが浮かんだが、関係ないだろうとすぐに忘れた。今時スケバンなんて流行らないし、この子はまだ幼い。精々中学一年生か二年生だろう。
疲れてぐったり寝ているという感じだった。本来なら病院に行くべき傷だ。気を失うのも無理はない。
無視して行こうとしたはずの芭海の目は、その女の子に釘付けになっていた。決して肉付きのよくないその子の肢体が、何故かとても魅惑的に見えたのだ。
「……?」
なんでこんなにも胸がざわつくのかわからなかった。まだ起きる気配が無いことを確かめ、芭海はその子の体をじっくり検めた。
華奢だがよく鍛えた筋肉だ。打撲の痕が気になるが、肌質も良く健康体だ。内臓の質には期待できる。
獲物を捕らえることができなかったことで腹を立てていたことは確かだ。家にある食糧が減っていたこともあり、芭海は焦っていたのかもしれない。
こんな時刻にボロボロで、一人で公園のベンチなんかに寝ている中学生を攫ったところで、さほどリスクではない。周囲に人の気配はないし、その子は携帯などを持っていなかった。所持品が無いことは少し気になったが、芭海にとってむしろ好都合だ。
(よし、この子にしよう。ラッキーだ)
艶のある肌を撫で、芭海はごくりと唾を呑んだ。早く持ち帰って解体しよう。
念のため手足を結束バンドで縛り、キャリーバッグに詰め込んだ。獲物が手に入らなくて意気消沈していたが、かなりツイていた。良い拾い物だ。細身の女の子を食べるのもたまにはオツだろう。
キャリーバッグの中身も、ハンドルを引いて歩く足も軽かった。鼻歌を唄いながら芭海は別荘に向かった。
父が海外へ移住したのは半年ほど前だった。人肉解体の技術の全てを叩き込んだ後、父は芭海のもとを離れた。
人を殺し人を食べる芭海たちは孤独でいなくてはならない。それが父の持論だった。芭海はまだ、父の言わんとすることが理解できていなかった。
公園から運んできた少女はまだ眠っていた。好都合、今のうちに解体を済ませてしまおう。着ていたセーラー服を脱がせて、作業台に寝かせた。
瞼の上にかかっていた髪をどかし、芭海は少女の顔を見つめた。可愛い顔をしていた。赤みがかった茶髪のショートで、痣のある頬を手で隠すと幼さのある美少女になった。
作業に取り掛かる時は、ミスをしないようにいつも平常心を心掛けている。なのに今日だけは、何故か芭海の鼓動は早かった。少女の顔から首、未発達の体へと目を走らせていくと鼓動はもっと早くなった。
(……なんでだろう?)
何を緊張しているんだ。いつもの解体じゃないか。なんてことはない。
そう自分に言い聞かせようとしたが、鼓動とは別の妙な感覚が胸の奥で渦巻いていた。締め付けられるような、苦しいような。でもそんなに悪くない気分だ。
(……集中できない)
目を覚まして暴れたりしないように少女の手足を拘束具で固定し、芭海は一旦作業台から離れた。ベランダに出て外の空気を吸うと徐々に心拍は落ち着いた。安楽椅子に腰かけ、少女を解体する手順を頭の中でシミュレーションした。心は平常だ。何も問題はない。
少女の顔を思い浮かべた時、また胸が締め付けらえるような感覚がしたが、気にしないでおいた。きっと、最初に狙っていた獲物が手に入らなくてイライラしているんだと自分を誤魔化した。
解体部屋に戻り、作業台の前に立った。もう大丈夫だ、と思ったが、少女の姿を見た途端にまた心臓が騒ぎ出した。なんでなんだ、と歯噛みしつつ、きりがないので芭海はそのまま作業に移った。
少女をワイヤーで吊るし、バケツを用意しているあいだも心拍は治まらなかった。むしろ鼓動は早まる一方だ。キュッと胸が締め付けられる感覚も繰り返されている。特に、足枷にワイヤーを繋げていた時に少女が寝言を発した時は、心臓が飛び出るかと思った。寝ている獲物が声を上げることは今までもあったが、芭海が驚いたことなど一度もなかった。
(おかしい……なんでこんなに……)
なんでこんなに、ドキドキするのだろう?
少女の顔を見ていると心臓は余計に暴れたので、顔は目に入れないようにした。いつもやってることをするだけだ、焦らなくていい。もともと狙っていた獲物ではなかったんだし、失敗しても別にいいじゃないか。
頭と胸のもやもやを振り払い、獲物の鼓動に触れるいつものルーティンを済ませてから、芭海は少女をワイヤーで吊るした。少女の鼓動は芭海よりずっと穏やかなリズムだった。
ショートヘアだけど、指を絡めれば頭をしっかり掴むことができた。髪を引き、伸ばした首に鉈をあてた。よく狙いを定め、芭海は鉈を振りかぶる。
「…………」
鉈を振り下ろす。
「………………」
鉈を、振り下ろ、
「…………………………」
鉈を、
「……どう、して……」
芭海は鉈を振り下ろすことができなかった。少女の首を切り落とすことができなかった。
殺すことができなかった。
どうして?
芭海は暫く呆然と、逆さ吊りにした少女を見つめていた。相変わらず鼓動は早かった。そうしているうちに、このままでは少女の体に良くないのではないか、と思い至った。
気がつくと芭海は少女を作業台に下ろしていた。痛くないようにそっと頭を置き、ワイヤーを外した。
「……ん」
「っ!」
寝息を立て、少女は寝返りを打った。まだ起きてはいなかったが、芭海はビクッとたじろいだ。少し寝苦しそうに眉を寄せたが、静かな寝息に戻ると、少女は再び深い眠りに落ちていった。芭海はほっと胸を撫で下ろした。
冷静になってから、自分は何をしているんだと思った。なんで下ろした。どうせ殺すんだから、どうなったっていいだろう。
凶器がしっくりこないのかもしれない。鉈を置いて大き目の肉切り包丁に替え、少女の頭の横に立った。この際寝たままでいい。この包丁なら首も一気に切り落とせる。
少女の首をよく見て、芭海は肉切り包丁を振り上げた。今度こそ殺してみせる。
「…………」包丁を握る芭海の手は震えていた。芭海は顔をしかめた。「どうして……っ!」
芭海の手から包丁が落ちた。包丁は床に突き刺さった。
「……!」
やけになり、芭海は作業台に置いていた鉈を掴み上げて思い切り少女に振り下ろした。が、少女の喉にあたる直前で、鉈は止まった。
他でもない、鉈を持つ芭海の手が止まっていたのだ。
「……なんで……なんで……ッ!」
鉈を握る手が小刻みに震える。歯を食いしばり、芭海は刃を少女の首に押し付けようとした。体は芭海の意思に反し、決して少女を傷つけなかった。
「ああッ!」
怒鳴り声をあげ、芭海は鉈を壁に向かって投げた。その時だけは思い通りに動けた。鉈は壁に深く突き刺さり、柄だけがハンガーフックのように飛び出していた。
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
芭海の怒鳴り声にも少女は目覚めなかった。よほど呑気なのか、疲れて熟睡しているのかわからないが、今起きられても芭海が混乱するだけだった。
試しに少女に素手で触れてみた。ただ肌に触れるぶんには、体は言うことを聞いてくれた。掌に少女の体温を感じると心臓が跳ねた。
「……っ……」
歯ぎしりして芭海は少女を見下ろした。どうして彼女を殺せないのかわからなかった。この子はいったい何なんだ? もしくは、芭海の方がおかしくなってしまったのだろうか?
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