私立■■病院
寝台がスライドし、仰向けに寝た日ノ出才子はドーナツ型の精密装置の中に入っていった。CTスキャンの結果は良好だった。脳や臓器に異状はなく、至って健康体だった。
制御室から出た神崎女医は、廊下で待っていた娘に歩み寄ると、微かに詰問するように尋ねた。
「千早、いい加減話してくれない? あの子は何なの?」
壁に寄りかかり腕を組んでいた神崎千早は、冷静な態度で母親と向かい合った。背後にいたオウルンがひょこっと隣に歩み出た。
「その子は?」
見慣れない少女に母親が訝しむ。千早が顎で母親を指し、オウルンに言った。
「頼んだ」
「わかったホッホー」
オウルンは千早の母親に近づくと、背伸びして頭に手を触れた。オウルンがハートフルマジックを使用した途端、手を振り払おうとしていた母親の動きがぴたっと止まった。
記憶の改ざんを終えオウルンが手を放すと、母親の顔からは不信感が綺麗さっぱり消えていた。優しい笑みを浮かべ、神崎女医は母親と医者の表情を同時に披露した。
「千早のお友達ね、今スキャンしているけど大丈夫そうよ」
「それは良かった」
「暫く入院するのよね? お母さんが手続きしてきてあげるわ」
「助かるよお母さん。ありがとう」
「ゆっくりしていって。良かったらそちらのお友達も一緒に見学していく?」
「いいや、勉強で忙しいから……もう一回、友達の顔見たら帰るよ」
「そう。ちゃんとご飯食べるのよ」
CTスキャンの制御室に、千早の母はくるっと踵を返した。早足で歩くせっかちな背中は、千早と似ているなとオウルンは思った。彼女の白衣姿が、千早の変身した姿と少し重なった。
ここは千早の母親が務める私立の病院だった。医院長は彼女の大学時代の同期の父親で、千早も何度か面識がある。医者になったら是非当院で経験を積んでくれと、幼い頃から勧められたものだ。無駄に活気に溢れた喧しいオヤジだが、見る目はある。
才子の蘇生から一夜明け、早朝からこの病院へ運び特別待遇で検査をしてもらっていた。初めは戸惑う母親だったが、千早の言うことであればある程度無理を通せたし、いざとなれば検査に関わる全員の記憶をハートフルマジックで誤魔化してしまえば済んだ。この様子だと、記憶の改ざんは母親一人だけでも上手くいきそうだ。
記憶を操作するハートフルマジックはかなり難しく、千早でもまだ習得できていなかった。だからオウルンの力を頼るしかなかった。千早としても、未熟な腕で記憶改ざんを試みて失敗し、肉親の脳を壊すことは避けたかった。千早は自分同様、両親が優秀で価値のある人間であることを誇りに思っていた。
千早とオウルンは廊下のソファに腰を下ろした。周囲に人がいないことを確かめ、オウルンが千早に尋ねた。
「病院で検査する必要はあったのかホッホー?」
「あいつの身体の再構築には自信がある。だが何事にも百パーセント確実ということはありえない。念のためのチェックだ。
それに、蘇生して生命活動を再開した以上、ただの血肉スムージーとは違ってあいつ自身がエネルギーを消費する。栄養の摂取と老廃物が発生するわけだ。その世話をするなら病院が最適だ。ここなら医療機器も警備も万全だし、いつ意識を取り戻しても対応できる。主治医は私の母親だ、何も心配は要らない」
オウルンは不安げに小首を傾げ、上目遣いに千早を見た。
「……才子は、起きるのかホッホー?」
深夜に蘇生を終えてから、才子は昏睡したまま目覚めていない。心拍は正常で呼吸もしており、既に意識を取り戻す準備は整っていた。目覚めない理由だけは、千早にもわからなかった。
「CTスキャンが終われば正確な結果が出るが、おそらく何も問題はないはずだ。ただ今は肉体が再結成されただけだからな。君らが言うところの心だとか魂だとか……所詮は脳の信号に過ぎないが、それが追いつくか否かは科学で測れないし、あいつ自身が左右することだ」
血と肉と骨、脳、必要な条件は全部揃った。千早は魂や霊の存在を信じない。脳が完全復活を果たし、脳波含め支障なく活動を再開した今、才子が起きるのはタイミングの問題だ。充分に眠った後、才子は何事も無かったかのように起床することだろう。
もし、仮に魂があったとして。
瓦礫に呑まれた時、才子はきっと自分が死んだことに気づいていなかった。ならば才子の魂はまだ天には召されていないだろう。器が戻った今、もしどこかで彷徨っているとしたなら、磁石のように、あるべき場所へ魂が引き戻されるはずだった。
科学と神秘、どちらの理論でも才子は蘇える。あとは待つだけ。
「起きるかどうかより、考えておかないといけないことがある」
「ホ?」
千早は昨日の昼から寝ていない。あくびを噛み殺し、千早は眼鏡の隙間に指を入れて目尻を拭った。頭をボリボリと掻いて千早は言った。
「目が覚めたあの暴走列車を、どうやって運転するかってことだ。日ノ出才子は私たちの中で一番強いと同時に一番弱い。そして一番イカれてやがるからな」
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