日ノ出才子は見通しのいい公園から、廃墟の山と化した街を眺望していた。
黒煙を上げる建物で再び爆発が起こり、屋根が吹き飛んだ。どこからともなく立ち昇る火の手が、見知ったはずの街を焼き尽くしていく。
「……何が……」
今朝から聞こえていた爆発音や破壊音はこれだったのか。てっきり派手な事故かテロでも起こっているのかと思っていたが、これはもはや災害レベルだ。
仮にテロだとして、例え飛行機を街に墜落させてもこれほどの被害にはならないだろう。戦時のように空爆をしたならば、似た景色にはなるかもしれないが。
「あ、なるほど。戦争でも始まったのか」
ポンと手を叩き、才子は陽気にそう言った。
「う~ん、でもヒロイン願望としては、悪い怪人が起こした事件だったら凄く嬉しいんだけど……」
この様子では学校も無事ではないだろう。学校が無いなら街に出ても意味がない。登校しても待っているのはきっと元校舎の瓦礫と死体の山だけだろう。
「しょうがない、帰ろっか」
才子が踵を返そうとしたその時、街から巨大な影が飛び上がった。その物体は、才子がいる方へ向かってきていた。目を凝らしてよく見ると、こちらへ飛んできているのは街にある才子もよく知る小ビルだった。1階のCD屋には下校ついでに寄ることが多々あった。
「ほ~」
感心しながら眺めていると、小ビルは才子の頭上を跳び越え、高台の住宅街に突っ込んだ。
小ビルが家屋と激突する轟音とともに、地響きがこの場所にまで届いた。住宅街に落下した小ビルは、数軒の家屋を巻き込んで粉々になっていた。
街の方から轟音が鳴る。あの小ビルと同じように、幾つもの建物や自動車が街から飛び上がり、放物線を描いて住宅街へと降り注いだ。
住宅街は瞬く間に破壊し尽くされ、ガス管にでも当たったのか、どこかの家が爆発で吹き飛ぶのが遠目に見えた。
「……あっ」
昔から住んでいた住宅街が蹂躙される光景をぼんやり眺めていた才子は、あることに気が付き思わず声を上げた。
「やっば~、私の家も壊れちゃったかな~」
才子の家がある辺りも、街から飛んできたビルの激突を受けて瓦礫の山と化していた。
「あぁ……どうしよう、帰る家が……ていうかお姉ちゃん死んだな、あれ……」
暫し考え、才子は公園から街へ下る坂へ足を向けた。
「別にいいか。どうせクソの役にも立たないニートだもんね。……ここにいてもしょうがないし、それに……」
才子は目の前で巻き起こる惨状とはあまりに場違いな、無邪気な笑みを浮かべて意気揚々と街へ足を運んだ。
「もしかしたら本当に悪い怪人が起こしてるかもしれないし! もしそうだったら変身ヒロインになれるかもしれないっ!」
♢
煙と死臭の立ち込める街を、才子は悠々と歩いて行った。火事と崩れ落ちる建物を避け、道路の真ん中を通る。道路には電柱に激突し停車している車両や、無傷だが乗り捨てられている車両があったがどれも無人だったので、邪魔になるとボンネットの上を乗り越えた。
事故に巻き込まれ道路に寝そべる死体に躓きそうになりながら歩いていると、炎上する家屋から火だるまの女の人が飛び出してきた。
「おっと、あぶなっ」
ぶつかりそうになり身を翻して避けると、女の人は道路に倒れもがき苦しんだ。やれやれと鞄を肩に提げ直し、才子は息絶える女性を無視して先へ進んだ。
「う~ん。いないかなぁ~、怪人さ~ん……」
破壊し尽くされた街の景色は、普段見ている馴染みのある景色との間違い探しのようで新鮮だった。
ちなみに才子が通う中学校は既に塵になっていた。更に街を探すために、才子は駅の方へ向かった。
「ん……あっちの方はまだ壊れてないみたい」
駅から先はまだ壊れている建物が少なかった。車も走っていて、あちこちから緊急車両のサイレンが聞こえる。
ここにきて才子はようやく、そういえばこの災害は何が引き起こしているのかを疑問に思った。しかし空爆をされたわけでもないし、それにビルが宙を飛んだりなど明らかに自然ではない。
これはやはり、犯人が怪人であることに期待が持てる。
「んっ?」
突然、地響きがした。地震かと思ったが、才子が立っているアスファルトそのものが揺れているようなより激しい感触だった。
聞いたこともない地鳴りがした。何かが軋むような、砕けるような複雑な破砕音が繰り返し鳴り響く。
一際強い衝撃が走った。すると、周囲の建物が地面から剥がれ、宙に浮き始めた。
アスファルトが盛り上がり、家屋の基礎が地中から飛び出す。地面を離れた家やビルはどんどん高度を増し、空高くに上昇していった。
「うわっ、なにこれすごっ」
周囲の建物が根こそぎ空へ飛び、辺り一面が見晴らしのいい平地になった。
その、時――――
「あ……………」
建物が消え、晴れた視界のその先に――奇妙な人影があった。
人々が困惑と混乱に見舞われ、悲鳴を上げながら無様に逃げ惑うなか、黒い人影が1人悠然と立っていた。
明らかに普通の人でないことは、一目でわかった。
背丈は優に2メートルを超える。機械的な印象を持つ鎧が全身を隙間なく覆い、顔にも角ばったフルフェイスの面を被っている。
胸の、人で言うと心臓にあたるところで紫色の炎が燃えていた。その炎は黒い鎧の内側にあって、透けて見えているのだと直感的に理解できた。
鎧の人は片手を掲げていた。上昇を続けていた家屋やビルがぴたりと止まった。
「…………」
あちこちで悲鳴や怒鳴り声があがるなか、才子は棒立ちして鎧の人影のことを凝視していた。
黒い鎧の胸にある炎が強く燃え上がった。鎧の人が掲げていた手を振り下ろす。才子は、その手と空を浮く建物が連動していることを、直感で悟った。
20メートル近く上昇していた全ての建物が、一気に降下を始めた。崩壊しながら自由落下する建物が、頭上から迫る。
周囲1キロメートルほどの建物が全て浮き、落下していたのでどこにも逃げ場はなかった。駅に来る前の学校があった街は、これと同じようにして崩壊させられたのだ。そしてほぼ間違いなく、この超常現象を引き起こし街を破壊しているのは、あの黒い鎧だった。
空中で崩れた建物の破片が降り注ぐなか、才子は迷いなく走り出した。黙って立っていても瓦礫の下敷きになる未来は目に見えている。とはいえ、一帯の更地に避難できる場所などどこにもない。しかし、才子は走った。
逃げ場のないなか、才子は鞄を捨て少しでも身を軽くし、一直線にある場所に向かっていた。
彼女が向かうある場所とは――この現象を起こしている、鎧怪人のところだった。
才子は鎧怪人の目の前にダイブした。次の瞬間、建物が街に降り注ぎ、全方位から凄まじい破壊音と断末魔が鳴り響いた。
耳を塞いでうずくまっていた才子は、衝撃が治まるのを見計らい顔を上げた。
景色は一変していた。つい先ほどまで普段通りだった街が、一瞬にして才子がもと居た街と同じ地獄のような惨状に変わり果てていた。
不思議なことに才子は無事だった。あちこちから人の悲鳴やうめき声が聞こえ、何人もの重軽傷者がいるなか才子はアスファルトの上に飛び込んだ際の掠り傷しか負っていなかった。
「……はは、やっぱりそうだ」
アスファルトの上に起き上がり、才子は目の前に立つ黒い鎧の怪人を見上げた。建物が落下し始めた瞬間に、常人離れして冷静な頭で、才子は活路を見出したのである。そして予想は当たっていたのだ。
「……自分の上には、建物を落とさない……当たり前だよね」
黒い鎧が振り向き、才子のことを見た。面の隙間の奥に灯る紫色の光と、才子の目が合った。
才子は2つの確信を得た。
1つは、この怪現象を起こし街を蹂躙しているのは、この怪人だということ。
もう1つは、この怪人が――自分が大好きなアニメでいうところの、『倒してもいい』悪役であること。
瓦礫と火災、そしておびただしい量の死体に囲まれ、異形の怪人と相対する非日常的な状況下にあるにもかかわらず――才子は太陽のような、満面の笑みを浮かべていた。
心底嬉しそうな明るい笑顔を浮かべる彼女の心拍数は、走ったことによる上昇から回復し、信じ難いことに、既に正常値に戻っていた、死の危機に直面し、異形の怪物を目前にしても、彼女の心拍数は平常だったのである。
「見つけ――」
才子が「見つけた」と言おうとした、その時。
「見つけたキュ!」
突然、やけに甲高い声がした。
声がしたのは才子からして右の方角、怪人にとっては左の方角だった。才子と怪人は、同時に声のした方を振り向いた。
才子は声の主を探した。人らしい姿は見当たらない。
だが、人でない者なら発見した。
アスファルトに逆さまに突き刺さった道路標識の上に、白いぬいぐるみが立っていた。
白い二頭身のぬいぐるみはキツネをモチーフにしており、尻尾は9本あった。巫女装束のような恰好をしており、その眼はぱっちりと開いていて、瞳の輝きには確かな知性を感じた。
それがぬいぐるみでなく、何かの生き物であることは明白だった。
予想通りそのぬいぐるみのような生き物は口を動かして、生き物のように尻尾を揺らして、そしてとっても可愛い声でしゃべった。
「やっと見つけたキュ! ハートフル戦士の適任者!」
才子を指さしてそう叫ぶ可愛い謎の生物――いや、違う。夢にまで見た、妖精さんを見て才子はほほ笑んだ。
「ははっ、マジか……ほんとうに変身できちゃいそうだね」
妖精が口走ったダサいヒロイン名は置いておいて、きっとこれが始まりになるんだと思った。
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