紫色に灯る芭海の鋭い瞳が、ダークハンマーを見据えた。ダークハンマーの体がビクッと震えた。上位捕食者が自分を狙っていることに気がついた被捕食者のように、本能が警鐘を鳴らしていた。ダークハンマーは空洞の体でありながら、明確に恐怖を覚えたのだ。
これまで芭海が使用してきた、トラックや戦車などの武器。それら全ての質量が変換されたカロリーを吸収し、芭海は神秘的な力ではなく、物理的なエネルギーを得たのだ。膨大なカロリーは芭海の肉体を急速に育て、傷を癒し、強固に鍛え上げた。骨と肉と血を増し、純粋なヒートパワーを宿す少女の心をそのままに、体を屈強な大人へと変身させたのだった。
ハートフル戦士のステータスは、少女が元来持つ能力にハートフルエナジーが上乗せされる。素の身体能力が増せば、当然戦士としての力も比例して大きくなる。
「大事なのは、前準備さ。人肉を調達する時や、調理をするときと一緒だよ……入念な下ごしらえが、上質な味を生む」
眼球が予め蓄えたカロリーを自身の肉体へ吸収させる――それが芭海のハートフル・フィニッシュ『淑女の晩餐』だった。
ステータスを分析し予め予想していたとはいえ、芭海のハートフル・フィニッシュを実際に目の当たりにしたプードルンは言葉を失っていた。強化型のハートフル・フィニッシュを見るのは初めてではない。だが、これほどまで顕著に急成長と強靭化を遂げる戦士は居なかった。
「あれはもはや……進化だワン……ッ!」
変身は完了した。あとは、強化された自分自身の体で――敵を屠るのみ。
赤い肌から蒸気を発し、芭海は歩き出した。ゆっくりとした歩みは、一歩一歩ダークハンマーへと近づき、踏みしめた地面には焼け焦げるような足跡が残った。
芭海が近づくと、ダークハンマーはビクッと震えた。捕食者の眼光がじっとダークハンマーを捉え、眼を逸らすことを許さなかった。
『……ッッ!』
間合いまで芭海が迫る。ダークハンマーはまだ動けなかった。
面頬が微かに開き、芭海がどこか艶めかしい低音の声を発した。
「これで少しは、君のガタイに追いついたな……それでも、君の方がまだだいぶ大きいが」
成長したのは肉体だけのはずだったが、芭海の態度は大らかな落ち着きを得ており、心の冷静さを裏付けるように、堂々とした歩みには余裕があった。
芭海が地面を踏む音が、まるで死神の足音のように近づく。全身を震わせる恐怖や悔しさ、焦燥を振り払い、ダークハンマーは鉄球を芭海に投げつけた。
『ウオ……ウオオオォォォォォォォッッッ!!!』
至近距離からダークハンマーが投げた鉄球は、芭海の眼前でぴたりと止まった。おもむろに芭海が前に出した手が、鉄球を受け止めていた。
『……ナ……ナァッ!?』
引き戻そうとするも、鎖がピンと張るばかりで芭海に掴まれた鉄球はびくともしなかった。芭海の五指は鉄球に深々とめり込み、もはや何トンあるのか予測もできない握力が、鉄球を静止させていた。
たまらず、ダークハンマーが怒鳴った。『喰ラエッ!!』
鉄球からパイルが発射する。
芭海は間近から発射したパイルを凄まじい反射神経と動体視力で見切り、もう一方の手で高速でキャッチした。芭海がキャッチしたパイルは、顔などの急所へ襲ったものに限られていた。
他の部位、肩や腹、脚に当たったパイルは鋼鉄の筋肉に跳ね返され、回転しながら彼方へ飛んでいった。パイルの直撃を受けた部位は皮膚が裂けた程度で、高密度の筋線維は無傷だった。
キャッチしたパイルの束を、芭海は純粋な握力で握り潰した。へし折れたパイルが地面に落ちる。
「ふんッ」
芭海が手に力を込めると、鉄球が粉々に弾けた。バラバラに砕けた鉄球の欠片が散り散りになる様を、ダークハンマーは唖然として眺めていた。
芭海が手を開くと、小石のようなサイズまで粉砕された鉄球の破片がこぼれ落ちた。ダークハンマーは肌の無いその身で、冷や汗と鳥肌を覚えた。
蒸気を纏う手をダークハンマーの兜へ伸ばし、芭海は言った。
「前菜は終わりだ。メインディッシュといこう」
『……ウ、オ……』
鉄球の破片が霧になり、ダークハンマーの右手に集まった。武具を棘まみれのグローブに変形させ、ダークハンマーは悲鳴を上げるように絶叫して芭海に殴りかかった。
『ウオオオオオオワアアアアアアアアアッッッ!!!』
がむしゃらにダークハンマーが放った拳を、芭海は正面から貫き手であっさりと貫いた。グローブを砕き貫いた手はダークハンマーの兜を鷲掴み、まるでプラスチックかのように捻じり取った。
首をもがれたダークハンマーはぴたっと静止した。固まった鎧の胸部からエナジーストーンを二つ奪うと、芭海は猛烈な回し蹴りを浴びせた。
破片をまき散らしながら、ダークハンマーが空を飛んでいく。滑空する鎧の胴体へ、芭海が兜をぶん投げた。直線を描いた兜は剛速球で激突し、ダークハンマーの亡骸は四散した。
芭海の大きな手のなかで、エナジーストーンが鎮火する。地面に落ちる頃には、ダークハンマーの鎧は掬い取れないほど細かな塵に還っていた。
束の間訪れた静けさに、芭海の深々としたため息が響き渡った。全身を隠すほどの蒸気が、何かを発散するように芭海から噴き出した。
霧のように立ち込めた白い蒸気が風に流され、もとの少女の背丈に戻った芭海が現れた。紅潮していた肌は平常な血色を取り戻しつつあった。
地面でとぐろを巻く、色素を回復した長い髪だけが、『淑女の晩餐』の余韻だった。
満足そうに手を合わせると、芭海は「ごちそうさま」と呟いた。
すぐ傍のビルから激闘を見守っていた自衛隊員の生き残りは、のちにその姿を――あまりに美しい悪魔だった、と報告した。
神崎千早と鶴来ランが現場へ到着したのは、芭海が勝利を掴んで間もなくだった。
ダークハンマーが雲散霧消し、芭海が蒸気に包まれ小さくなる様を彼女たちは目撃した。
サイコ・ブラッドに変身した千早は電球の割れた外灯の上に立ち、ぐったりと脱力して空を仰ぐ芭海のことを、遠目に眺めていた。外灯の隣に立つ、大剣を携えたシスターに千早は言った。
「まさか一人で倒すとはな……」
「物凄い腕力でしたね」
「自分であの姿に戻ってくれて助かったよ。……私が治さなきゃいけないかと思った」
柔和にほほ笑み、ランが尋ねた。
「わたしと、どちらが強いですかね?」
「さぁな」
さも興味無さげに千早は答えた。
「君もあいつも、腕だけなら私より強いだろうな」
芭海を映した髑髏型の目を細め、迷いに似た間を空けてから、千早は呟いた。
「どっちも、日ノ出才子には及ばないが」
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