サイコ・ブレイドは万物を斬る。硬度や大きさ、形に関係はなく――それが例え何トンという膨大な水であったとしても、際限はない。
右半身を失ったダークアクアは崩れるように膝をついた。黒い鎧が傷口からボロボロと崩れていた。ランは大剣を線路に引きずり、ダークアクアの方へ歩み出した。
「終わりにしますか、ダークアクアさん」
『……ザ……ルナ……』
わなわなと震える左手に、ダークアクアは水の玉を創り出した。ランは眉を寄せて首を傾げた。
「まだやるんですか?」
ダークアクアの眼がカッと光った。
『フザケルナヨ人間風情ガッッッ!!!』
「!」
左手の水の玉を線路に叩きつける。破裂した水が、線路の両端に切り開かれた水に触れた。ダークアクアはまだ何かする気だった。
攻撃か? 逃げるのか? ランは大剣を構え、何を仕掛けられても対処できる姿勢を整えた。
アクアストーンが轟々と燃え盛る。鎧の継ぎ目や関節部からも青い光が漏れ出た。今までで最も強いダークエナジーが発せられていた。二重に割れた声でダークアクアは言った。
『コノ手ハ、使イタクハ無カッタガナ……ハァッ!!』
ダークアクアが咆哮する。どんな動きも見逃すまいと、ランは目を見開いた。
次の瞬間、線路の水が全て消えた。
「!?」
線路を浸水させていたほどの大量の水が、一瞬にして消滅した。何が起きたのかわからず、ランは大剣を構えたまま硬直した。
(水を消す能力……とか、でしょうか?)
ダークアクアにはそんな能力まであったのか? 千早はそんなこと言っていなかった。隠し技か何かか?
大剣を構えながらランはダークアクアの動向に集中した。ダークアクアは特に大きな動きを見せなかった。ただ、左目の光だけが勝利を得たかのようににやりと歪んでいた。
地下鉄内から突如水が消えたのを目にし、千早は瞠目していた。
(水が消えた? 何だあれは……ダークアクアは何をした!? 3つ目のストーンの能力!? いやそんなはずは……造った水を消す能力なんて何の役に立つ? この場でそんなことをする意味はない……!)
一つ、この現象の正体が思い当たった。千早の体にゾッと寒気がした。キュウコやオウルンが初めて目にするほど、千早は狼狽した。
「? 千早、どうしたホッホー?」
「うそだろ……ッ!」
千早は急いで周囲を見た。目に見える地下鉄の入り口を全てチェックする。地上から地下鉄へ降りる全ての階段に溢れていた水が、同様に消失していた。
水が視認できなくなっていたのだ。
「くそッ!」
舌打ちし、千早は自分の血を鞭のように伸ばしてキュウコたちを掴んだ。脹脛から血液が飛び出し、バネのような形で千早の足を包んだ。
「千早!?」
「逃げるぞッ!」
ランを助けることを一瞬逡巡したが、千早はすぐに諦めた。そんな暇はない。血のバネを利用して、屋上が崩落するほど強く床を蹴り、千早は跳躍した。前に伸ばした手から血の糸を発射し、建物を掴んで引き寄せる。別のビルに飛び移ると、壁を蹴ってまた跳んだ。
突然のジェットコースターにキュウコたちが悲鳴を上げる。
「キュううう~~~!」
「ケロぉぉぉ~~~!」
舌を噛まないように気をつけながらオウルンが喋った。
「どうしたんだホッホー!? 千早!」
千早は少しでも、もといた場所から離れようとしていた。目指していたのは、街の外……厳密に言えば、浸水した地下鉄から――水が消えた地下鉄から離れた場所だった。
歯ぎしりし、顔に汗を浮かべて千早は言った。千早らしくもない、尋常でないほど焦った早口だった。
「あいつ……水を『分解』しやがったッ!!」
ランはまだ、何が起きたかを理解できていなかった。
水がなくなったこと以外に異変があるとしたら、肌に感じる空気の感触が少し変わった程度だった。
線路上に膝を落としたダークアクアが、不気味な笑みを漏らした。現在、ダークアクアは水に一切水に触れていなかった。殺すなら今だ、とランは思った。
『クク……コレハ、ダークエンペラー様ニ献上スル分ノダークエナジーマデ消費シテシマウ……ダカラ、使イタクハナカッタノダガナ……コレデ、貴様モ終ワリダ』
「?」
ダークアクアは左手を握り、拳を振り上げた。ダークアクアの位置と姿勢からでは到底、ランには届かない。狙いがランでないことは明らかだ。
『燃焼ニ必要ナ3ツノ要素ヲ……貴様ハ知ッテイルカ?』
ダークアクアが口にした妙なセリフを、ランは初め無視しようとした。が、その真意を悟ると、ランはこの場で何が起きているのかを徐々に理解していった。
亀裂の走った兜をにたぁと歪ませて笑い、ダークアクアは言った。
『可燃物ト酸素ハ、既ニココニ揃ッテイル……アト必要ナノハ、点火源ダケダ』
ランは目を丸くし、鳥肌が立った。ダークアクアの言葉の意味がようやく理解できた。
水は消えたのではない。まだここにある。正確に言うなら、かつて水だった物質がまだここに残っている。
水素と酸素――ダークアクアは水、つまり一酸化二水素を分解し、途方もない密度の水素と酸素を一瞬でこの場に用意したのだ。
ダークアクアが発生させた水は、街の地下に張り巡らせた広大な線路のほぼ全域に渡っていた。ダークアクアの能力は触れている水を操るが、ここと繋がる全ての線路にある水に、ダークアクアは触れていたことになる。地下鉄にあった全ての水が分解され、街の地下に水素と酸素が溢れていたのだ。
『分解シタ気体ヲ再ビ水ニ戻スコトハ出来ナイ……ダガ、貴様ヲ葬ルノニハ、コレデ充分ダ』
燃焼に必要な三要素――可燃物と酸素と点火源。水素は可燃物、そして充実した酸素。今この街の地下鉄は、いつ大規模な水素爆発を起こしてもおかしくない条件下だった。地下鉄そのものが爆弾になったと言っても過言ではない。
「……!」
ランはダークアクアにトドメを刺そうとしたが、下手に動けなかった。大剣やヒールが金属に触れ火花が発生すれば、たちまち地下鉄は火に包まれる。僅かな静電気すら許されない。
しかしランが自発的に爆発を起こすのを待つほど、ダークアクアは愚かではなかった。ダークアクアが振り上げた拳を、ランは凝視した。
低く、割れた、おぞましい声がした。
『粉々ニナレ、ハートフル戦士』
「待っ――――ッ!」
ダークアクアが、線路に拳を叩きつけた。
籠手と線路の鉄が擦れ、小さな火花が散った。が、燃焼反応にはその火花で充分だった。
ランの視界が、眼が眩むほどの白い光に覆われた。直後に感じたのは、強烈な熱だった。
火花によって着火された水素は酸素の助けを得て、瞬く間に連鎖反応を繰り返し燃焼を広げていった。直結する全ての線路内に浮かぶ水素に延焼が重なり、急速に発生した発火は爆発となり、地上を吹き飛ばした。
△△町の市街は、地下鉄から発生した超大規模な水素爆発により瞬く間に消滅した。地上は抉られ、瓦礫は数キロ先まで飛び散り、かつて街だった景色は白煙に包まれた。
爆発の衝撃波が雲を薙ぎ払い、爆音は飛行していた多くの鳥の鼓膜を破った。白煙に覆われた街に残ったのは、もとの形状すらわからない瓦礫の山と、更地だけだった。
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