懐かしい夢を見た。
あれは、決心した日だった。
憧れのヒロインになると、決意を固めた日だった。
私の人生に、初めて太陽が昇った日。
ベッドの柵を掴み、日ノ出才子は勢いよく体を起こした。
鉄製の柵がガシャンと鳴る。すぐ傍で寝顔を見つめていたキュウコは驚き、ひっくり返りそうになった。
「わあっ!? さ、さ、才子!?」
才子は見開いた目で病室を見回し、自分が置かれている状況を確かめた。窓の外を見てから、ぐるっとキュウコの方を振り向いた。久しぶりの才子の、丸く大きな瞳に見つめられ、キュウコはビクッとした。
椅子から倒れたキュウコは尻もちをついて才子を見上げていた。体には冷や汗をかいていた。
「……才子……目が、覚めたキュ……?」
じっとキュウコを眺め回すと、才子は首を傾げた。
「誰?」
キュウコはハッとした。
「あ、そうかキュ……この姿は見たことなかったキュね」
キュウコは変身を解き、妖精の姿に戻った。キツネの妖精になったキュウコを見つめると、才子はぱっと笑顔を花咲かせて手を叩いた。
「あ~! 妖精さん! 妖精さんだよね! えっと確か~……キュウコ! そうだ、キュウコだよね?」
「覚えてるかキュ!?」
「覚えてるよ! 忘れるわけないじゃん~! 私をヒロインにしてくれた大切な妖精さんだもん!」
キュウコはベッドに飛び乗り、才子の膝の上に立った。
「良かったキュ……本当に目覚めるなんて……」
「? あれ、そういえばここどこ?」才子は枕元にあるナースコールや名札を見た。「病院だよね? あれ? ん~?」
キュウコは慌てつつ、早口で説明した。
「あっ、あの後……ダークグラビティに勝った後、才子は大怪我をしてずっと眠ってたんだキュ!」
「ん~? ……ああ、そういえばなんか倒した……ような気が……うん、あ~そうか……あ、なんか思い出したかも」
才子はおかしそうに笑った。普通の女の子のように屈託のない笑顔だった。
「あはははっ、ずっと寝てたんだ~、変なの。なぁに? じゃあキュウコは起きるまでずっとここにいてくれたの?」
「えっと、その――」
キュウコの小さな手をぎゅっと握ると、才子は満面の笑みで言った。
「ありがとね! キュウコ!」
「…………」
キュウコも初めは笑っていたが、徐々に表情が沈んでいった。才子の、人を殺めたその手に目を落とす。キュウコは才子の指から手を抜き、一歩下がった。
キュウコの様子がおかしいことを、才子は察した。
「どうしたの? キュウコ、元気ない?」
キュウコは俯き、唇をきゅっと噛んでいた。才子は首を傾げ、キュウコの顔を覗き込む。
「お腹空いた? 具合悪いの? 妖精さんでも風邪ひくのかな?」
「……才子……」
サイコはにぱっと笑った。「なあに? キュウコ」
キュウコは拳を握りしめていた。耳と尻尾がしゅんと項垂れていた。
「……才子に、訊きたいことがあるキュ……」
「なになに? 何でも訊いて! 私もキュウコに訊きたいこといっぱいあるよ!」
「……ほんとに?」
「ん?」
キュウコは潤んだ目で、才子を見上げた。堪えていたのに、キュウコの声は震えた。
「ほんとに、何でも答えてくれるのかキュ……?」
きょとんとして、才子は戸惑いつつ頷いた。
「え、う、うん。……何でも答えるよ。どうしたの、キュウコ。泣いてるの?」
「……じゃあ、教えてキュ」
腿の上まで歩き、キュウコは才子の胸に手を触れた。才子の鼓動を感じた。その鼓動はきっと、キュウコが出会ってきた戦士たちと変わらないはずだった。体の中にあるものは同じなのに、どうして、心はこんなにも違うのだろう。
疑問符を浮かべる才子の顔を見つめ、キュウコは嘆くように、言った。
「本当のあなたは……どこにいるんだキュ?」
才子は笑顔を浮かべたまま、沈黙した。ややあってから、「え?」と呟いた。
しがみつくように才子の胸を掴み、キュウコは喋った。一度決壊すると、言葉は次々と溢れてきた。
「あなたの、あなたの本音はどこにあるんだキュ?」
「どうしたの、キュウコ。訊いてることの意味が……」
「その顔も、声も、本当の才子なんだキュ!? あなたは本心で喋っているのかキュ!?」
「キュウコ落ち着いてどうしたの、言ってることがわかんないよ」
「お姉さんがお父さんに殺された時……才子は何も感じなかったのかキュ!?」
「————————」
涙をこぼしながら、キュウコは才子の胸を叩いた。才子は表情を変えず、キュウコを見下ろしていた。
「才子のことを、知ったキュ……お姉さんの体を傷つけたことも、お父さんと一緒に埋めたことも、目の前でお母さんが死んじゃったことも……ずっと、全部才子がそれを見てきたこと、知っちゃったキュ……無視することなんて、できないキュ!」
日ノ出才子は怪物だ。
この言葉も、キュウコの涙も、きっと彼女には届かない。
才子が人の気持ちを知ることが無いように、キュウコもきっと才子のことを理解することはないだろう。
それでも――だとしても。
「キュウコは、才子を見捨てたくないキュ! どれだけあなたが怖くても、わけがわかんなくても! わかり合えなくても! 気持ち悪くても! あなたがどんなヒトだったとしても! ……あなたと、ハートフル戦士として出会った以上、キュウコは……あなたのことを諦めることなんて、絶対にしたくないキュ!」
巨悪を倒せるのが、もっと強大な悪なのだとしたら、おそらくそれは日ノ出才子に他ならないのだろう。
もし日ノ出才子を正義に導ける者がいるとしたら、それはきっとキュウコに他ならないのだろう。
初めて出会った日からずっと迷ってきた。迷い続けていた。覚悟を決めるのに、こんなにも時間がかかった。でも、もう迷わない――キュウコは胸を張ってそう言えた。
私は妖精で、あなたはハートフル戦士だから。
先代の戦士は救えなかった。彼女たちは心を病み、壊れてしまった。もう二度とあんな過ちは犯したくない。
今度こそ、救ってみせる。望まれなかったとしても。
「キュウコが……キュウコが、才子を本物のヒロインにするキュ!」
生きるも、死ぬも、あなたとともに行こう。
一人で地獄に堕とさせはしない。もしキュウコが天国へ行くとしたら、あなたも一緒に連れて行く。地獄へ堕ちるならばともに逝こう。
ここに誓う。
「才子と一緒に戦う、才子をキュウコが導くキュ! だから――」
ぼろぼろとこぼれる涙を、キュウコは拭いもしなかった。泣き叫ぶように告げた後、キュウコはサイドテーブルに置いてあるハートフルフォンを指さした。
「だから、才子も誓って欲しいキュ! 世界を救うって!!」
「………………」
才子は真顔になっていた。彼女の無表情を、キュウコは初めて目にした気がした。
感情が一つも灯っていないかのような瞳で、才子はキュウコを見つめた。鼓動はすぐそこに感じるのに、才子の心は果てしなく遠かった。瞳の奥を覗いても、そこに才子がいるのかはわからなかった。
才子は黙ったまま、キュウコの涙を指先で拭った。頭を撫でると、ベッドの外に足を向けた。キュウコは床に飛び降りた。
裸足のまま立つと、才子はハートフルフォンを手に取った。振り返り、才子はキュウコと向かい合った。
「……わかった」
才子はハートフルフォンを胸にあてた。顔にはまだ表情がなかった。
「楽しみにしてるね、キュウコ。どんな風に、私を主人公にしてくれるのか……。私今ね、とてもワクワクしてるよ」
その時、キュウコは初めて才子の本当の言葉を聞いた気がした。
「こんな気持ち初めて……いや、初めて変身した時以来、かな……」
「……才子……」
才子のハートフルフォンが、赤色に光り出した。才子のハートフルエナジーが触れただけで、ハートフルフォンが反応を起こしていた。戦士の再臨を、ハートフルフォンが歓喜しているかのようだった。
「私も約束する、キュウコ」
生まれて初めて、彼女は笑った。
「私が、世界を救ってあげる」
病室が光で満ち、一本の直線が外へ走り出した。流星のような輝きは空を駆け、どこかを目指すかのように――遠く、遠くへと、飛んでいった。
渋谷109ビルの屋上から、ダークガンとハートフル戦士の攻防を見守っていたダークアイは、身震いを覚えた。肉体のないこの身に、あるはずのない寒気とも言うべき感覚が走ったことに彼は驚いた。
『……ナンダ……?』
ダークアイは、乱立する摩天楼の彼方を振り向いた。
『向コウデ、何カガ……』
その時、真っ赤な閃光が上空を駆け抜け、戦場へ墜落した。
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