〈蓮side〉
「傷の手当て、ありがとうな来蘭。今度ちゃんと礼する。」
「お礼だなんて別に...あ、それなら今度わたしの歌聞きに来て!『Re Light』ってバンドで歌ってるか、弾き語りで歌ってるから」
「弾き語りって...ギターどうやって...」
「弾けるよ?」
来蘭は、近くにあったギターを左手で持ち上げギターを構えると、右手の親指で弦を鳴らした。
「その右手で...なぁ、今聞かせてくれよ」
「今?...んー...ちょっとだけだよ?」
来蘭はハーモニクスでチューニングをすると、いくつかのコードを鳴らし、ひとつ深呼吸して息を整えると、静かに歌い出した。
右手が掻き鳴らすギターは、時に優しく、時に力強く、動かない手で鳴らしてるとは思えない音に驚く...
歌が入ってくる。
言葉を失った。
今まで喋っていた声とは全くもって別物の声で、繊細だが芯のある不思議な声が、俺の触れられたくない弱さや脆さの部分を撫でた...
.☆.。.:.+*:゚+。 .゚・*..☆.。.:*
〈 惹かれるのは、もう必然だった 〉
.☆.。.:.+*:゚+。 .゚・*..☆.。.:*
頬を流れる涙に気が付き驚く。
涙なんて無駄なものを流すことは、もう何年も前にやめたはずだったのに...
歌い終わった来蘭は静かにギターを置き、席を立って、座っている俺のもとにやってきて、涙を左手の親指でそっと拭った。
そして
「わたしの歌、届きましたか?」
と言って優しく微笑んだ...
もうどうにもならなかった。
そのまま彼女の胸に頭を預けて、何年か振りに泣いた...
来蘭はただだまってそこに居てくれた。
少し落ちついてきた俺に来蘭は言った
「ねぇ...その見えない右目に宿る悲しみを、わたしに聞かせて...」
俺の母親は...優しい人だった。
ただ、弱い人でもあった...
いつでもあの男のいいなりだったのは、少しでも言い返せば手を挙げるあいつが怖かったからなのだろう...
どんどんあいつの暴力はエスカレートして行った。母親の身体がどんどん弱っていくのを、子供ながらに黙って見ていられなくなっていったある日、俺は決死の覚悟であの男に立ち向かった。
いつでも酔っ払っていたヤツだったが、あの日のあいつの酔っ払い方は尋常ではなかった。今にして思えば、あの時はきっとなんらかのクスリもやっていたんだろうと思う...
母親をボコボコにしているヤツに飛び掛って腕に噛み付くと、振りほどかれつつ部屋の隅にすっ飛ばされた。怒り狂ったヤツは金属バットを掴み、振り回し始め、母親を殴り出した。あっという間に母親はぐったりと動かなくなった。泣きながら母親を庇うように覆い被さる俺をも容赦なく殴るあいつに、最後の力を振り絞って飛び掛かろうとした時だった、金属バットは俺の右目横を振り抜き鈍い音をさせて骨を砕いた...そしてうつぶせに倒れこんだ所にあった割れたガラスのコップが眼球に刺さった...
俺の右目は、父親のDVにより失明させられた。
母親も、その時の脳損傷によりしばらく植物状態で居たが、程なく息を引き取った...
まだ小学生だった俺は、孤児施設に入れられ、そこで育ってきた。
孤児施設に入ってからは、もう泣くことはしなくなった。泣いたところでなにも変わらないし、疲れるだけだと思い知ったからだ。
施設に居たのは中学を卒業するまで。
その後は仕事をしながらどうにか生きてきた。
金をくれるって言うなら、なんでもやってきた。
そうしなきゃ生きていかれなかったからだ。
そんな風に生きていたら、この界隈の裏の世界じゃ有名な『一匹狼』として名が知れるようになっていた。
「俺、こんな身の上話を人にしたのなんか初めてだよ...」
「同じ匂いがしたんだ」
ただ黙って俺の話しを聞いていた来蘭が口を開いた。
「同じ匂い?」
「わたしもね、ずっと母親から暴力を振るわれていたんだ。逃げ出せたのは少し前のこと...
救い出してくれた子がね、言ってたの『同じ匂いがする』って。
彼女も親に心や人格を踏みにじられた経験のある子だった..
でも同じ匂いを感じたのはそれ以上に...」
来蘭は動かない右手で俺の見えない右目に触れた。
「痛かったね...」
そう言って来蘭は涙を流した。
俺も自然と来蘭の腕の傷に触れていた。
「来蘭も痛かったろ...苦しんだろ...」
俺のその言葉に、来蘭はもうくしゃくしゃの顔をして泣き出した。
先天的に見えないとか、動かないとか、後天的に失うとしても病気や、自己的な不慮の事故ではなく、理不尽な他者の攻撃によるもので〈右側〉というものを無くした俺と来蘭にしか分からない、お互いの悔しさとか痛みとかが流れ込んで来て、来蘭は俺のために、俺は来蘭のために泣いた...
真っ当に生きてる奴らからしたら、想像もつかないような暗闇の中を俺も、きっと来蘭も、1人で歩いて来た...
そう思ったら、隣で小さな身体を震わせて泣く来蘭が愛しくて愛しくて...もうそれは自然な流れで俺は来蘭を抱きしめていた。
そして唇が触れようとしたその時
「だめ」
来蘭は拒絶した。
「それはできない」
「どうして?」
「恋人が居る...彼を裏切れない。裏切りたくない。」
「そう...か...ごめん...」
来蘭は大きく首を振って
「わたしがいけない...ごめん...」
そう言って、さっきまでとは明らかにちがう涙を流した。
「泣かなくていい...別にお前は、俺を誘惑したわけじゃない。俺が勝手にお前に堕ちただけだ」
来蘭は顔を上げ、俺の目を見ると
「ありがとう...ごめん...」
そう言って泣きながら懸命に笑った。
女には困ったことはなかった。
母親を、あのキチガイから守れなかった後悔の念からなのか、女に手を上げてる奴を見ると黙ってられずに身体が勝手に動いてしまうようになってしまっていた。
裏社会では、女に手を上げるクズばかりで、それでもそんなクズにすがって泣く女も多くて...
助けた女は大抵が寂しい女で、抱いてくれと俺にせがんだ。それで少しでも寂しさが埋まるのならと、抱いてやった。
そうゆう女たちは、しばらくは俺の側に居て『俺の女』になろうとするが、そのうちに俺を『私の男』にしようとしたがる。
そうなってくると、俺の闇をこじ開けようとして来るんだ。しかし俺は、誰にもその扉を開けようとはしなかった。
諦めた女は、静かに去って行った。
来る者も拒まないが、去る者も追わない。
だから気がつけばまた一人だった。
ずっと一人だったから、また一人に戻ったまでだと思うだけだった。
今日だっていつものように、女をボコボコにしてる場面に出くわしてしまって、見て見ぬふりは出来なかっただけだった。
相手が4、5人の時点で分が悪いのは明らかだったが、俺がやられてる間に女が逃げられりゃ、それでいいと思ってやったことだった。
来蘭にゴミ投げつけられてなきゃ、朝までゴミの中で寝てただろう。
なんの因果か、来蘭と俺は出会ってしまった。
男だ女に関わらず、人に執着したこと自体、経験がなかったが、来蘭には『堕ちた』...
恋人が居ようが、構わずに「抱いて」と誘って来る女しか出会って来なかったから、恋人が居るからと拒まれたのは初めてのことで、が故に強烈に来蘭を欲しいと思った。しかしそれ以上に『大事』にしてやりたいとも思ったんだ。
きっともうその時点で、来蘭への想いは『恋』ではなく『愛』だったのだろう。
「いけない、もうこんな時間! 加奈が心配する」
「加奈?」
「その私を救ってくれた子、加奈と一緒に暮らしているの」
「そうなのか...心配させたらいけないな」
「今度の土曜日、バンドでこのステージに立つから、見に来て...蓮、あなたに聞かせたい歌がある。」
「気が向いたら行くよ...」
そんな曖昧な返事をして、俺たちは別れた...
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