春子さんに連れられて小児病棟にやって来た。
長くこの病院に入院していたが、小児病棟に来るのは初めてだった。小児病棟は、患者の子供たちの心を少しでもやわらげるようにと、廊下やレクレーションルーム、病室内にも様々な装飾がしてあって、とても可愛らしい雰囲気だった。
「入院生活が長引いて、学校に通えない子たちのための院内学級っていうのがあるの。その子たちの相手をしてあげてくれないかなと思ってね」
『院内学級』と書かれた部屋の窓からは、小学校低学年の子から高学年の子まで、男女合わせて5人ほどが机を突き合わせて仲良く勉強をしている姿が見えた。
春子さんに続いて部屋に入ると、多分この中で一番低学年の男の子が駆け寄って来て、わたしにぴとっと抱きついて来た。
ん?誰かに似てるなこの子...
顔をよく見ようとしゃがむと、その男の子はおもむろにわたしのおっぱいに顔をうずめてきた!
「!!」
驚くわたしに向かって
「後でオレの部屋こいよ」
とか言ってニヤっとしてる...
あー!!吉井先輩だー!!
チビ吉井だー!!
「こらっ!和人(かずと)!生意気なこと言ってんじゃないの!」
一番年上そうな女の子に叱られて、チッとか舌打ちしてる。
「和人がすいません」
と頭をさげる彼女にしがみつきながら、わたしの様子を伺ってる女の子と、我関せずとでもいうように、黙々と勉強する眼鏡の男の子。そしてもう1人、こちらの様子に興味は見せてるものの、席に座ったままの大人しそうな女の子。
それぞれ皆あんな小さい身体で、病と戦っているのかと思うと、胸が締め付けられる...
「はいはい、みんな席に座ってくださーい。」
春子さんがみんなを座らせた。
「今日は、お姉さんにお勉強教えてもらってくださーい。
このお姉さんもみんなと同じで病気でね、今ちょっと声が出ません。だから、お話しする時は紙に書いてお話ししてね。
あ、あと右手も不自由だからね、手伝ってあげてね。」
それだけ言うと、春子さんは仕事に戻って行った。
さっきから大人しく座っていた女の子が席を立ち、わたしのもとにやって来て、遠慮がちにわたしの右手に触れてきた。
「お姉ちゃん、手が不自由なの?」
わたしはコクんと頷くと
「わたしは足がないの」
と言って義足を見せた。
「芽衣(めい)が自分から話しかけるなんてめずらしい...」
わたしと芽衣ちゃんのやり取りを見て、一番お姉さんの彼女が驚いてる。
「あ、ごめんなさい。
あたしは由香、白血病で入院してます。
この子は芽衣、骨肉腫というガンで右脚を無くしたの。あまり喋らない子で、あたしにも自分から話しかけてくるようなことはないからびっくりしちゃって...多分、あなたが手が不自由って聞いて自分と同じように思ったんだと思います。」
コクコクとわたしは頷いた。
「それから、さっきの悪ガキは和人、小学1年生で一型糖尿病。
眼鏡の男の子は優斗(ゆうと)小学3年生、心臓が悪いの。
あたしにくっついて離れないこの子は心愛(ここあ)小学2年生、小児がんなの。
あたしは6年生、芽衣は4年生よ」
わたしは慌ててそこにあった画用紙に、側にあったクレヨンで
『わたしは来蘭(らら)高校2年生です』
と書いた。
それからわたしは、子供たちとお絵かきをしたり、算数ドリルや漢字の読み書きを見てあげたりしながら時を過ごした。
ふと部屋の隅にあるピアノとギターが目に入る...
ギター弾く子が居るのかな...なんて思いながらそのギターを持った。
「来蘭ちゃんギター弾けるの?」
芽衣ちゃんがわたしに聞く。
頷きながら、ギターの音を出した。
「紫音先生がね、時々弾きに来てくれるの」
由香ちゃんが言う。
紫音先生、ここでギター弾くんだ...
「あれ...だって来蘭ちゃん右手不自由なのに、どうやってギターを...」
答える代わりにギターを弾いて鳴らしてみせると、脚を無くした芽衣ちゃんが、じっとわたしの鳴らすギターに耳を傾ける姿が目に入り、この子に思いを伝えたいという強い衝動に駆られ、わたしは歌い出していた。
〈紫音side〉
食堂で、奏太の母親である小児病棟の看護師、佐野春子さんに来蘭を預けたのはいいが、来蘭のことが心配で、午後の仕事はずっと上の空だった。
意図はあった。
病に立ち向かう純粋なあの子達と過ごせば、来蘭の疲弊してしまった心が少し和らぐんじゃないかと...
午後のリハビリメニューがすべて終了し、リハビリルームを片付け、戸締りをして、来蘭を迎えに小児病棟へと向かった。
エレベーターが小児病棟のある7階に着き、扉が開いた途端に、来蘭の歌声とギターの音が耳に飛び込んできた。
歌声が聞こえて来る院内学級の部屋を覗くと、そこには、歌に聞き入る子供たちに囲まれながら、あぐらをかいてギターを抱え、のびのびと歌う来蘭の姿があった。
しばらく俺も、廊下で来蘭の歌に耳を傾けていた...
このままあいつをさらって逃げて、2人きり誰も知らない遠くの街にでも行ってしまおうかと思ってしまう...
でもそれは違うな...
あの子供たちの顔を見たら分かる。
来蘭...お前の歌声は、人の心をこれだけ動かす力があるんだ...
「あの歌声を多くの人に届けないと...って強く思い過ぎて、色々先走り過ぎたな、俺...
大切なものを、握り潰してしまうところだった...」
いつの間にか後ろに居た瀬名が呟いた。
「来蘭ちゃんを救ってくれてありがとう紫音...
咲のことが頭をよぎって...俺...怖かった...」
膝から崩れ落ち、瀬名は泣いた。
俺は瀬名の前にしゃがむと
「今度は救えて良かった..来蘭を救えたことで、俺もやっと背負っていた十字架を降ろせそうだよ...
来蘭の歌声を、Re Lightの音楽を、どうか瀬名の手で多くの人のもとに届けてやってくれ。
ただし、来蘭に無理だけはさせないでやってくれよ?
それと...
来蘭とアイツだけは離したらダメだ」
「お前が居ないと咲がダメだったようにな...」
「いや、むしろ逆だよ...」
と言ったその時に、エレベーターの扉が開いた。
奏太を先頭に、加奈、陽介、優輝が降りて来る。
来蘭の声が耳に入った奏太は、俺と瀬名のことなど目にも入らず部屋に駆け入ると、一直線に来蘭の元へと向かい、ギターを奪い、来蘭を抱きしめた。
「俺の方が、咲が居ないとダメだったんだよ...」
〈奏太side〉
エレベーターの扉が開くと同時に聞こえてきた来蘭の歌声に、もう身体は勝手に走り出していた。
歌声の漏れ聞こえる部屋に、無我夢中で駆け込んだ。
来蘭の姿しか目に入らなかった...もうそれしか、それだけしか見えなかった。
ギターを奪い、膝を着き、抱きしめた。
「良かった...無事で良かった...」
「そうちゃん...ごめんなさい...声が出なくなって、怖くなってわたし...」
「ばか...謝るな...来蘭1人にいろんな重圧を背負わせてしまった俺たちがいけないんだから」
来蘭の頭に手を置き、髪を撫でる。
「なんだよー!せっかく来蘭ねーちゃんの歌聞いてたのによー!じゃますんなよーもー」
なんかちっちぇー吉井先輩みたいなガキが、ブーブー文句言ってる...
「こらっ!和人!まったくもぅ...
あの...今、来蘭ちゃんが歌ってくれた曲ってもしかして『Re Light』ってバンドの曲じゃ...
最近SNSで仲良くなった子がRe Lightのこと大好きで、少し聞かせてくれた曲に似ていたような...」
そう話す女の子の背後から優輝が
「いかにも!今来蘭ちゃんが歌ったのは、僕ら『Re Light』の曲だよ!」
「僕ら?」
「ボーカルの来蘭、ギターの陽介、ベースの加奈、ドラムの奏太、そして僕がキーボードの優輝。」
優輝が順番に紹介をすると
「えっ?! 今目の前に『Re Light』のメンバー全員が居るってこと?」
驚く彼女に向かって全員で頷いた。
「信じられない...」
「私...来蘭ちゃんの歌、すき...
来蘭ちゃんがすき...」
パジャマの裾から義足を覗かせる女の子が、来蘭に歩み寄り呟いた。
「来蘭ねーちゃんは、オレのなのっ!」
チビ吉井がどさくさに紛れて、来蘭のおっぱいに顔をうずめる...
「うぉいっっ!!なにやってんだよっ!!そんなこと俺だってしたことねーのにっ!!」
来蘭は苦笑いしながら、おっぱいにぐりぐりしてるチビ吉井をよしよししてる...
「和人ずるい...私も来蘭ちゃんのおっぱいもふもふしたい」
義足の女の子がむくれてる。
「はい、ほら芽衣ちゃんもおいで」
来蘭はそう言って右側のおっぱいに迎え入れ、左側にはチビ吉井を抱いてやった。
「うわ...あんなんパラダイスじゃん...」
思わず呟いた陽介の後頭部を叩く。
「痛って」
「生乳の迫力なんかあんなもんじゃないよね?青木?」
「あんなもんじゃないよ!っておい!加奈!見た事あんのかよ!」
「あるに決まってんじゃん、一緒に住んでる女同士なんだから」
と言って、不敵な笑みを浮かべた。
「来蘭ちゃんって子はほんとに、老若男女を虜にさせちゃうよなぁ...あの魅力に堕ちないヤツは居ないもんなぁ...本人全く自覚ないけど...」
と言う優輝に
「優輝さんも来蘭ちゃんに?」
と聞く一番お姉さんの女の子
「ん?僕?もちろん堕ちたよ、あの歌声にね...
僕があの歌声を見つけたんだ...だから来蘭ちゃんを『歌姫』に導くのは僕の使命なんだよ...」
と言って来蘭を見る優輝の横顔を、隣で刹那に見つめる女の子の視線には、優輝はまだ気が付かずにいた...
「Re Lightのライブ、いつか見に行ってみたいなぁ...」
と言う女の子に、初めて視線を向けて優輝は
「おいでよ!えっと...君の名前は...」
「あたしは由香。行ってみたいけど...まだこれから抗がん剤の治療があるの...白血病なんだ、あたし」
「.....よし、わかった、僕らがこれからやるライブには、必ず由香ちゃんの席を用意しておくから、由香ちゃんが病気を克服したら、必ず見においで!僕たち待ってるから!」
「ほんとに?あたしの席を?」
「ああ!いつ来たっていいようにしとく!だから治療がんばれ、由香」
由香と言われた彼女の頬が、ほんのりと桜色に染まった。
優輝と由香ちゃんの間に生まれた恋を、俺たちは微笑ましく見守っていた...
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