「初っ端から遅刻なんて、いい度胸してるねぇ」
そう言って紫音先生は笑ったが、目は笑ってなかった。
「連れてきてくれてありがとうね、彼氏クン。
でもごめん、病室に戻って待っててくれるかな?
リハビリは自分との戦いだから、彼氏が側に居たら甘えの気持ちが出てしまうから、彼女にとって良くないんだ」
そう言って紫音先生は、そうちゃんを閉め出してしまった。
「さて、始めようか」
「君の場合、利き手である右手だからね、日常生活が送れるようにすることが目的のリハビリテーションです。まずは手術後の筋の萎縮や、浮腫を改善するためのマッサージから行うね。運動の訓練はもう少ししてから始めるからね」
「はい...よろしくお願いします。」
紫音先生の手が、わたしの右手に触れたが、全く感覚はなかった...
この先、そうちゃんに手を握られても、感じることが出来ないのかと思ったら、とても悲しくなった...
「どうした?痛い?」
「いいえ...触られても感覚がなくて...」
言葉にしたら、余計悲しくなった...
涙で視界が滲んで、溢れて落ちた。
「泣いても動くようにはならないよ」
冷徹に紫音先生は言った。
「君の場合右手なんだ。生活するにあたって、右手が不自由ってことが、どれだけQOL、クオリティ・オブ・ライフ、つまり生活の質を下げることになるか分かっているか?
だけど君の人生は、これからも続いて行くんだ。
生活をして行かなければならないんだ。
あの彼氏が、今後の人生のパートナーになるかどうかはまだわからないだろう?なったとしても365日、24時間一緒に居られる訳ではないんだ。
自分で自分のことはできるようにならなければならないんだ。動かないなら動かないなりに、訓練をする必要がある。左手の訓練も必要だ。
いいか?所詮人は1人だ。甘えるな!」
いちいちもっともなことを言われてハッとした。
そうだった。
わたしはずっと1人だった。
ずっと1人で歩いて来たじゃない!
わたしもっと強かったはずじゃない!
そうちゃんと加奈に出会ってわたし、甘えるばかりになってたんじゃない?
泣いてる場合じゃない!!
わたしは涙を拭いて、顔を上げ、紫音先生の目をしっかりと見据えた。
「お!いい目をし始めたね、いい子だ」
さっきとは打って変わって、優しい顔をした紫音先生は、長い指をしたその手で、わたしの頭を頭を撫でた...
なんかちょっとドキドキした...
右手はまだ傷の回復を待たなければならないので、左手の運動訓練をいろいろ行った。
文字もこれからは左手で書けるようにしなければならない。練習しなきゃ!
無くしたものを嘆いていても仕方がない!
今在るものに感謝しなきゃ!
右手が使えないなら、左手を使えばいい
ベースが弾けないなら、歌を歌えばいい
ん?
左手は使える...右腕の上下は出来る...
「ギターなら弾けるじゃない!」
リハビリルーム中に響く声で、叫んでしまった...
「紫音先生!ギターなら、ピック持てなくたって、親指の爪を当ててストロークすれば弾けるよね?」
「うん、そうだな、弾けるな」
「リハビリにもなるよね?」
紫音先生は頷いた。
「ギターなら、俺のやつを使うといい」
「紫音先生ギター弾くの?」
「あぁ、趣味程度にな...後で持ってきてやるよ。
もう新たな希望を見つけたな」
「わたしには下向いてる暇なんかないの。やりたいことがいっぱいあるの。早く退院しなきゃ...」
「そんなに焦るなよ...」
そう言って、紫音先生は大きな手を私の頭に置いた。
「先生!この握力鍛える訓練器具借りて行ってもいい?病室でもトレーニングしたいの!」
「待て待て待て...いや、まぁ、それは貸してやるけど、そんなに急にやると左手痛めるからやりすぎるなよ?」
「わかった!じゃあ先生、また明日ね!」
借りたハンドグリップをにぎにぎしながら、そうちゃんの待つ病室へと急いだ。
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