〈瀬名side〉
『Jaguar』、『Re Light』とリハーサルは終わり、もう後は開場を待つのみとなった。
山 「ヤバいねこれは…」
瀬名 「これはヤバいわ…」
山 「相当ヤバいの見つけちゃったねぇ瀬名ちゃん」
瀬名 「いや、マジで予想以上にヤバいわ…」
ベテランサウンドエンジニアの山ちゃんこと山本さんと2人、『ヤバい』というワード連発の会話をPA卓の前で繰り広げていた。
遡ること3ヶ月前、それはまだ暑い8月のことだった…
別段いいと思わないようなヤツらを任されていた俺は、変わりゆく音楽シーンにちょっと着いて行けずにいた。
自分のデスクで、担当してるバンドの新曲デモ音源をヘッドフォンで聞いていた。
「相変わらずアクビしか出ねぇ曲だなぁ…」
でっかいアクビをしながらヘッドフォンを外した。
「瀬名さーん、来客ですよー」
後輩の長岡がデカい声を出す
「客?」
椅子から立ち上がると、そこには、老舗ライブハウス『LA.LA.LA』(ラララ)のオーナーの大森さんが立っていた。
「大森さんじゃないですか!どうしたんすか?」
「いきなり尋ねて来てすまんね。瀬名くんにちょっと聞かせたいヤツらが出てきてな、デモ音源持って来たんだよ。どーせ今やってるヤツらには、飽き飽きしてんだろ?」
大森さんとはもう長い付き合いだった。
俺は担当バンドの武者修行の場には、だいたいこの大森さんとこの『LA.LA.LA.』を使って来た。駆け出しの新人バンドがやるには、丁度いいハコってのもあったが、俺は単純にこの大森さんって人が好きだった。
大森さんが「コイツらいいよ」っていうやつらは、たいてい俺もいいなと思ったし、音楽的な感覚が俺と大森さんは似ていた。
「現役高校生バンドとは思えない音出すんだよコイツら『Jaguar』っつーんだけど、音も去ることながらルックスがいいんだ。すぐにデビューさせられる逸材だと思うんだ。ちょっと音源聞いて見てくれないかなと思ってな」
「大森さんが、わざわざ持ってくるなんて期待しちゃうなぁ」
「きっと期待を裏切らないと思うよ」
「聞いてみます!」
「あぁ、そのUSBな、もうひとバンドの音源が入ってる…これは渡すべき音源じゃないかもしれないんだけど…このまま埋もれてしまうにはもったいなさすぎてな…その『Jaguar』と同じ学校の後輩バンドだ。まだバンド名すらない。この音源は、うちのライブハウスでこの間演奏した時のやつだ。途中までのやつだけどな…」
それだけ言うと、大森さんは帰って行った。
俺はすぐさま大森さんの持って来たUSBをパソコンに繋いでヘッドフォンを付けた。
『Jaguar』の音源は、確かに高校生とは思えぬ音で、期待を裏切らないなかなかのバンドだった。
これはすぐにでもデビューさせられるレベルだ。さすがは大森さんのお眼鏡にかなったバンドだな。
もうひとつのファイルに目をやる…
なんとも言えない胸騒ぎを覚えながら俺はそのファイルを開いた。
その音源は、『Jaguar』のボーカルの声から始まった。
「みんな驚かせてごめん。これは機材トラブルでもなんでもないから安心して。ちょっとした演出だから」
もうこの時点で俺は引き付けられていた。
曲がはじまった。
なんだこのピアノ…高校生だろ?エモいなぁ…
ギターの歪みエグっ…
ベース…歌ってるみたいなフレーズじゃねーか…
にしても暗っ!!
こんな世界観を出せる高校生って何者よ?!
そんな軽口コメントを言えるのもそこまでだった…
か細いシルク糸のような透明感のある悲しい悲しい声が、すうっと耳に流れ込んできた…
その声に俺は心を鷲掴みにされていた…
ワンコーラス目が終わり、ドラムのスネアの1発を合図に、曲の世界は一転する
そのすぐ後、演奏は唐突に途切れ、響き渡る悲鳴…音源は、そこまでで切れた…
その後の仕事は、もう全く手につかなくて、後輩の長岡に怒られる始末で
「なんなんすかもう!瀬名さんもう今日帰った方が良くないすか?」
そう言われて、いつもは終電で帰るのが常なのに、まだ明るいうちに会社を出た。
無意識に足は『LA.LA.LA.』に向かっていた。
落書きと、バンドのフライヤーがベタベタと貼られている階段を降り、薄暗くカビ臭い地下の重い防音扉を開けると、大森さんはバーカウンターでコップを磨いていた
「来ると思ってたよ瀬名くん…」
「まぁ座れよ」
そう言って大森さんはキンキンに冷えた生ビールをジョッキに注いでくれた。
「聞いたか?」
「聞きましたよ…もうあの後仕事になんなかったっすよ…」
俺のその言葉に、大森さんは豪快に笑った。
「『Jaguar』は大森さんが言うように、即デビューさせられるバンドですね、あれは」
「仕事が手に付かなくなっちまったのは、もうひとバンドのせいだろ?」
大森さんは、そう言って少し表情を曇らせた…
「あの悲鳴はなんなんですか?何があったんですか?」
「まぁちょっと話せば長くなる…」
そう前置きをしてから、あの音源の日のライブのことを話してくれた。
「それで今その子は…」
「右手は不自由になってしまったが、元気にしてるよ。最近退院してな、文化祭のライブでまた歌わせてやろうって、Jaguarの奴らも、そのバンドのメンバーも頑張ってるよ」
「文化祭ライブ!!それだ!!
それうちのコロラドミュージックのプロの機材とスタッフ揃えてやらせよう!ネット生配信もして!」
そこから動き始めたプロジェクトだった。
しかし、社内でプレゼンしたが企画は通らなかった。うちの会社とまだ契約したバンドでもないのに、ライブの機材、スタッフをそんなに出せるわけないと、上層部は聞く耳も持ってくれなかった…
ならば有志を募ってやるしかない!
一人一人、一緒に仕事したことのあるやつを口説き落として行った。
単に興味本位のヤツも居れば、経験になると喜んで引き受けてくれた若手も居た。ベテランのエンジニアさんなんかが引き受けてくれたのは、ほんとに有難かった。機材は、大森さんの所から借りれる物は借りることにした。
最低限の予算とスタッフでやるからということで、なんとか会社にうんと言わせ、文化祭プロジェクトは動き出した。
演者である『Jaguar』と後にバンド名が決まった『Re Light』の窓口となり、一緒にライブをプロデュースしていくことになる黒沢優輝とコンタクトを取り、会うことになった。
あのエモいピアノを弾く彼は、どんな子だろう?と、ちょっとワクワクしていた。
彼はなかなかの爽やかイケメンだった。
彼は、これまでのバンドのヒストリーを、何時間もかけて話してくれた。
屋上でのパンツ事件から始まり、廊下に漏れ聞こえた彼女の歌声に稲妻が走って、音楽室に飛び込んで行ったこと。朝までガレージスタジオで練習したこと。少しだけボーカルの来蘭ちゃんに淡い恋心があったこと…
なんだか自分の高校時代やっていたバンドのことを思い出してしまった俺は、無理やりに押し込めて蓋をした想いや記憶が甦って来ていた…
「瀬名さん?どうしたんですか?」
優輝くんがそんな俺の顔を覗き込んでいた。
「あぁ、ごめんごめん、なんだか自分の高校時代のことを久しぶりに思い出してしまったよ…」
「もしかして瀬名さんもバンドをやってたとか?」
「うん…ボーカルやってたよ…」
「ほんとですか?聞かせてくださいよ、瀬名さんの話しも」
優輝くんが巧みに聞き出すから、なんとなく話し始めてしまっていた…
「それで?そのバンド内の紅一点の女の子のこと、瀬名さんも好きだったんでしょ?」
話の途中で、優輝くんが俺に言う。
「まあ…そりゃ、好きになるだろ普通…」
「ですよね…好きになるなって方が無理がある…」
優輝くんも自分と重ねているのだろう…急に切ない顔をした彼に、俺のあの頃の想いも紐を解かれたように溢れ出して来ていた…
多分、バンド内で俺が1番初めに彼女を好きになったと思う。…いや、みんなそう思ってんのかもな…
みんなそれぞれ彼女が好きだったけど、バンドも大事だったから、全員片思いだった。
だけどみんな、どうにかして数分でも数秒でも2人っきりになろうとして、今思うと笑っちゃうようなアホなことしてた。
唯一俺が彼女と同じクラスだったからなんだろう、彼女から相談があるって言われた時は、舞い上がったよなぁ…すぐ奈落の底に落とされたけどね…
メンバーの中でも1番スカしてたというか、「俺は別に好きじゃねーし」みたいな顔してたギターの奴のことが好きになっちゃった、どうしよう…とか言われた時はもうほんとに絶句したよ。
でも…俺も本当に彼女のことが好きだったし、それ以上にギターの奴のことも大切だったから、好きな気持ちは伝えた方がいいって言ったんだ。
それから間もなく彼女はそいつに告白して、付き合うようになった。
幸せそうに手を繋いで登下校する2人を、しょっちゅう冷やかしたっけなぁ…
でもそんな時間は僅かだったな…
脳腫瘍という病気が彼女を襲ったんだ。
手術の前の日に、彼女から俺にメールが届いた。
私にもしものことがあったら、彼をよろしく
というような内容のものだった。
手術は…成功はしたが…
重い後遺症が残った。
日に日に塞ぎ込むようになった彼女は、段々見舞いに来る人を遠ざけるようになって行ったんだが、何故か俺が顔を出すのは拒否しなかった。でも、彼女の口から出てくるのは
「そうちゃんは…そうちゃんは元気にしてる?」
アイツのことばかり俺に聞いてきた。
「そんなに気になるなら会えよ!」
そう言ったところで、彼女は首を横に振るばかりだった…
いよいよ彼女の様子がおかしいと感じた俺は、ギターのそいつに、会いにいってやれよ!!って怒鳴って殴った。
それでも尚、彼女はそれを望んでないとか言って会いに行ってやらなかった…
それから間もなくのことだった…
彼女は身投げをして、この世を去った…
俺はそいつのことを許せるはずもなく、バンドは空中分解し、卒業まで口をきくこともしなかった…卒業してからもう何年も経つが、どこでなにをしているんだろうなアイツ…
「その頃の写真とかないんですか?」
優輝の言葉に、ハッと我に返った。
「写真?あぁ…持ってるよ…やっぱりあれが俺の原点だからね、それを忘れないようにって思って、財布に入れてる…」
「見せてくれたり…しないですよね…」
遠慮しながら優輝くんが伺う。
誰にも見せたことのない写真を、何故か俺は優輝くんに、なんの躊躇もなく見せた。
それはたった1度だけ、俺たちがやった文化祭のライブの時の写真だった。
やけにじっくりと、不思議そうな顔をして、優輝くんは時間をかけてその写真をだまって見ていた。
「うん…これは…好きになりますよ…」
「だろ?俺も久しぶりにこの写真見たわ…
ってゆーか、そっちも見せてくれよー!来蘭ちゃんの写真見せてよー!」
「え?あぁ…うん…瀬名さん見ない方がいいかも…当日までのおたのしみにしておくってのはどお?」
「なんでよ?」
「ほら、オッサンになるとさ、日常に刺激もなくなるでしょ?ちょっと刺激になるんじゃない?」
「オッサンゆーなや!!まだ28だわ!!
刺激ぐらい!……ないな…うん…」
そんなこんなで今日まで俺は、来蘭ちゃんの顔を知らぬまま、本番の日を迎えたのだった。
機材の搬入作業がひと段落し、あの頃を思い出しながら、文化祭で賑わう校舎内を歩いていた。
タピオカミルクティーとか、飲んだことねーけど飲んじゃおっかなーなんて呟きながら歩いてると、人混みの中に見覚えのある後ろ姿を見つけた…気が付くと俺は必死になってその後ろ姿を追いかけていた。
追いかけても、追いかけても、なかなか距離は縮まらない…
廊下の突き当たりを曲がってしまう所で、たまらずに俺は名を呼んだ。
「咲!」
走って追いかけ角を曲ると、もう咲の姿はなかった…
いや…咲なわけないよな…
ってかここどこよ?
完全に迷子だ…
「ねえ君?」
メイド服を着た子に声を掛けた。
「はい、なんですか?」
振り返った彼女に、息が止まりそうになった。
咲にとても似ている子だったのだ…
体育館への行き方を聞いて、彼女にお礼を言い、体育館に向かって歩いていた…
なんだ?ここは…パラレルワールドか?
んなわけないか…
ステージの音響の方も、もうリハーサルを待つのみとなっていた。
控え室へと向かう。
優輝くん以外のメンバーと会うのは、やっとだな。
音楽室の防音扉を開ける。
あ…さっきの咲に似たメイド服の子…
まさかこの子が来蘭ちゃん?
開場となり、客が次々と入って来て、フロアを埋め始めた。
「なぁ山ちゃん…前に飲みながら話した、亡くなってしまった俺の初恋の子の話し覚えてるか?…」
「あぁ…もちろん覚えてるよ…」
「咲に似てるんだよなぁ…来蘭ちゃん…不思議なことってあるんだなぁ…」
「咲ちゃんが、導いてくれたのかもしれないね…『縁』というものは繋がっているんだよ瀬名ちゃん」
「そうかもしれないな…よし!本番頼むよ?山ちゃん!」
気がつけば、フロアに入り切らない程の客が入り口付近に溢れていた。
生配信の方も、すごいアクセスだ!
さぁ本番だ!!
『Re Light』のステージパフォーマンスは、凄まじかった…
生配信は、アクセス集中でサーバーダウンしたと、Webスタッフが騒いでる…
一度照明が落ちる。
来蘭ちゃんの弾き語りを見るためにフロアに出た。
学生に紛れてステージに見入る背の高い男…
「紫音?…」
「瀬名?…」
2人で並んで来蘭ちゃんの弾き語りを聞いた。
いい歳したオッサン2人して、嗚咽するほどに泣いた…
そうか、咲…そうゆうことか…
想い残して逝ったんだもんな…
俺たちをまた繋げたかったんだな…
そして、俺たちが果たせなかった夢を、あの子に託したかったんだな…
ライブの終わった体育館の隅に、紫音と2人で座っていた。
「お前が理学療法士になれたなんて奇跡だな。お前一番バカだったじゃん」
「うるせーよ!」
「そうか…やっぱりあのギターは紫音のだったか…あのGibsonのビンテージギターに見覚えがあったんだよな…」
「お前に殴られた時にぶっ飛んで、あのギターに突っ込んでな、すごい傷が付いたんだよあのギター」
「知るかよ!」
学生の時みたいに、紫音と掛け合いの会話をして、あの頃みたいに笑った。
「咲、喜んでそうだな…」
と俺が言うと
「その辺に居て、一緒に笑ってんじゃないか?」
って、紫音は笑った。
「瀬名…来蘭たちのこと頼むな…」
「おう!任しとけ!」
近いうちに咲の墓参りに行こうと、連絡先を交換して、俺たちは別れた。
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