〈来蘭side〉
「ねぇ、そう言えば加奈は?戻って来ないねぇ...」
「あ、いちごみるく置いてあったよ。気を使ったんだな、きっと」
いちごみるくを手にしてそうちゃんが言う
「そっか...」
「また明日にでも来るって...」
それっきり加奈は全然顔を出してくれなかった。
スマホでメッセージをすれば、返事は返って来たけど、なにやら忙しいらしくて一向に会いには来てくれなかった...
翌日、朝ごはんを食べ終わり、読みかけていた本を読み始めようとすると、コンコンとノックする音がして、主治医の先生と、その後ろに爽やかイケメンが一緒に入って来た。
「具合はどうだい?術後の高熱は辛かったね...下がって良かった。傷の痛みは落ち着いてるかい?」
先生が優しく聞く
「もう身体は大丈夫です。傷の痛みもだいぶいいです。ただ先生、なんだか痺れたままなんです...麻酔がまだ効いてるみたいに...腕ごと上下とかは動くのだけど、手が...指が...動かないの...」
「うん、その話をね、今日は先生しに来たんだよ」
いい話ではないような気はしていた...
嫌な予感はしてた...
「来蘭ちゃんのその傷はね、とても深かったんだ。大きな血管と、大事な神経も損傷している状態だった。繋ぐ手術はしたけれど、この先大なり小なりの障害は残ると思う。利き手である右手だから、生活への支障ももちろんあると思う。でも訓練、つまりリハビリをすれば、回復する可能性もあるから、これからはリハビリの先生と一緒に頑張って欲しいんだ。紹介するね、理学療法士の紫音(しおん)先生だ」
「よろしくね、来蘭ちゃん。リハビリがんばろうね。午後から早速、少しづつ始めて行こうね」
そう言って主治医の先生と、紫音先生は部屋を出て行った。
1人になった病室で、流れる涙もそのままに、天井を見つめていた。
わたしの右手動かなくなっちゃったんだ...
何かを持つことも、字を書くことも、そしてベースを弾くことももう出来ないんだ...
運ばれてきたお昼ご飯には手を付ける気にもならなかった...
紫音先生に、2時にリハビリルームにおいでと言われ、どうにかベッドから起きてそうちゃんが置いてったそうちゃんの大きなパーカーを羽織ってエレベーターに乗った。
リハビリルームは5階...
5のボタンを押そうとした指は、屋上階のボタンを押していた...
久しぶりの外の空気に思わず深呼吸をする。
知らないうちに季節は進んでるんだな...
もう夏の空気だ...
ここであの日の明け方、そうちゃんも朝焼けを見てたんだ...
「来蘭ちゃん?」
名を呼ばれ振り返ると、見知らぬ看護師さんが立っていた。
「はい...そうですが...」
「あぁ、ごめんごめん、いきなり知らないおばさんに名前呼ばれたらびっくりするよねぇ
あたし奏太の母親の佐野春子
離婚して旧姓に戻ってるから今は佐野
奏太はあたしのこと春子さんって呼ぶけどね
個室のかわいい女の子のイケメン彼氏が、片時も離れないって病院中の噂になってね、どれどれって見に行ったら、まさかの自分の息子でびっくりしたわよ」
そう言って あははと大きな声で笑った。
「そうちゃんのお母さん?」
そう言えばお母さん看護師してるって言ってたのを思い出した。
「ちょっとそこに座らない?」
そう言って春子さんは、ベンチを指さした。
「リハビリ行く気にならなかったか...」
春子さんが優しく言った。
「ただ深く切れただけかと思ったの...傷さえ治れば元通りになると思ったの...動かなくなってしまったなんて思わなかったから、ちょっと受け止めきれなくて...」
「うん...そうだよね...」
「わたし、そうちゃんと一緒にバンドやってるんです。そうちゃんはドラムで、わたしはベース弾きながらボーカルやってて...このバンドでてっぺん目指そう!って約束したんです。それなのに、この手じゃ、ベース弾けなくなっちゃった...」
大粒の涙が、膝に置いた手の甲にぽたぽた落ちた...
「涙の感触も、右手には感じないや...」
更に涙は溢れて落ちた。
「でも、歌は歌えるんじゃない?」
春子さんが言う
「え?」
そうか、私には歌があった。
「声は、奪われてはいないでしょう?」
そうちゃんと同じ目をして、春子さんは微笑んだ。
「来蘭!」
そうちゃんが、血相を変えて探しに来た。
「春子さんと一緒に居たのか...良かった...」
「邪魔者は退散しまーす」
おどけてみせながら春子さんは去って行った。
「そうちゃんのパーカー借りた...」
「うん」
「そうちゃんのだからダボダボ...」
「うん、ちょっと萌える」
「そうちゃん...わたしの右手、動かないんだって...ごめん、多分もうベース弾けないや...」
言い終わる前にそうちゃんはわたしを抱きしめた...
「でも今春子さんに言われたの...あなたには歌があるじゃない って...」
抱きしめた手を離してそうちゃんは、わたしの目を黙って見つめた。
「わたし、ベース弾けなくなっちゃったけど、このバンドで歌ってもいい?」
「当たり前だろ!!みんなそのつもりで待ってるよ!!」
そう言ってまたわたしを抱きしめた。
「来蘭の右手には、俺がなるから心配するな!でもリハビリはしよう?な?」
涙でぐちゃぐちゃの顔でわたしは、コクんと頷いた。
それから、そうちゃんと一緒にリハビリルームに向かった。
「遅くなってすいません、赤井来蘭をよろしくお願いします。」
そうちゃんが紫音先生に頭を下げた。
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