〈加奈side〉
来蘭がこの部屋に居るのが、なんだかとても不思議だった。
いつも1人で食事をして、1人で眠りにつき、1人で目を覚ますこの部屋に、来蘭が居るというだけで、殺風景だった部屋が急に華やいだ。
冷蔵庫にあったもので、来蘭は手早く夕飯を作ってくれて、2人で食べた。
そして来蘭をお風呂に入らせて、あたしのTシャツを着させた。メンズサイズの大きめなやつを着させたんだが、大きな来蘭の胸は少し窮屈そうだった。Tシャツ姿になると、胸以外は華奢なのがよく分かる...
あたしもお風呂に入って出てくると、来蘭はソファで眠っていた。起こさないようにそーっと腰を下ろしたんだが、来蘭は目を覚ましてしまった。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ちょっとウトウトしちゃった...」
「来蘭、まだ髪の毛濡れてる。ドライヤー掛けてあげるからここにおいで」
わたしの足の間にちょこんと収まって、少し顔を上げて乾かしてもらうのを待つ来蘭。
来蘭の髪は、柔らかくて細い細い毛質で、乾かすとふわふわで、自然なくせ毛のウェーブが出て、とても愛らしかった。
「来蘭、なにかに似てるなと思ったら、トイプードルだ!」
そう言って2人で笑い転げた。
こんな風にに笑ったのはいつ以来だろ...
来蘭はまだケラケラと笑いながら、あたしの隣で笑い転げていた。
ふとTシャツの脇から痛々しい痣が目に入り、あたしは思わず裾から手を入れて、その痣に触れていた。
「ひゃあぁ...」
びっくりして声を出した来蘭を、そのまま抱き寄せた。
「痛む?」
と聞くと
「ちょっとね...」
と言って笑うから、よけいにせつなくなった...
「加奈、更衣室で着替えた時に見えたの?この痣...」
「うん...人が居なくなるのを見計らって着替えてたから、気になってね...そしたらチラッと見えてさ...」
「そっか、見えちゃったのか...上手に着替えたつもりだったのにな...」
「いつからなの?母親の暴力は...」
「子供の頃からだよ...多分、幼児期からなんだと思う...」
「ママも母親に手を上げられていたみたい...わたしには優しいおばあちゃんなんだけどね...」
「風邪引くからベッド行こう来蘭...」
狭いシングルベッドに、2人で身を寄せあって横になった。身体も温かかったけど、それ以上に心の方が温かくて、こんなに満たされた気持ちになるのは初めてだった。
「ねぇ加奈?わたしも聞いていい?」
「ん?...ダメ...」
わざといじわるを言うと
「ずるいー」
怒ってる来蘭がかわいかった。
「ごめんごめん、何?」
「加奈はどうしてここで一人暮らししてるの?」
「厄介者だから、親に捨てられたんだよ...」
天井を見つめながら、大したことじゃないよというふうにあたしは言った。
「佳子や恭子が言ってたろ?あたしは人とは毛並みが違うって」
と笑った。
「親もそう感じたんだろうな、学費と家賃と生活費は出すから、自立してやって行けってこのマンションをあてがわれたんだよ。」
来蘭はなにも言わずにぎゅうっとあたしを抱きしめてくれていた...
「なにか言いたいけど、ありきたりな言葉は今使いたくないからなにも言わない」
そう言って来蘭は腕に力を込めて、強くあたしを抱きしめた。
そんな来蘭に、不覚にも涙が溢れてしまって、来蘭に気付かれないように、さっと拭った...
「ほら、もう寝な来蘭」
「ん」
それからすぐに来蘭からスースーと寝息が聞こえてきた。
「寝落ちすんの早っ」
あたしはクスクスと笑った。
窓の外には、狭いベッドで身を寄せあって眠るあたしと来蘭を、月が優しく見守ってくれていた...
真夜中、来蘭のすすり泣く声で目が覚めた。
母親からの暴力の夢でも見ているのだろうか...小さく小さくうずくまって怯えているようだった...来蘭の身体をさすり、髪を撫でてやると、来蘭はあたしにしがみついてきた...そして蚊の鳴くような小さな声で呟いた
「そうちゃん...」
来蘭の髪を撫でていた手が止まった...
来蘭が求めたのはあたしじゃなかった...
そうだよな...あたしなわけないよな...
なにを期待してたんだあたしは...
笑ったつもりが、涙が溢れてきた。
何度も何度も手で拭ったが、後から後から溢れる涙は、一向に止まらなかった。
こんなに好きになるはずじゃなかった...
後ろの席で、静かに眺めて居られたら、それでよかったはずだった...あの痣を目にするまでは...
あたしは「心」を、来蘭は「身体」を、親に殴られ傷つけられた。
来蘭を分かってあげられるのはあたしだけだし、あたしを分かってくれるのも来蘭しか居ないと思った。
だけど、来蘭の口から出た名は...あたしではなかった...
怯える来蘭を一晩中撫でていた...
いつの間にか外がぼんやりと明るくなり始めていた。
こんな夜でも、朝はやって来るんだな...
この想いが届かないことくらい分かっていた...これまでも、これからも、あたしの想いは届くことはないのだろう...
大丈夫、「クラスメイトの加奈」を演じることくらい簡単なことだ。
友達として来蘭の隣りに居られたらそれでいい...
「加奈ぁ...」
来蘭が目を覚ました。
「どうした?あたしはここに居るよ」
身体を起こして、来蘭はあたしの顔に触れる...
「夢の中で加奈が泣いていたから...」
「.......」
零れ落ちる涙を見せぬよう、来蘭を抱きしめた...
「泣いてないよ、ばかだなぁ...
ほら、まだ外は暗いから、もう少し眠りな」
来蘭の寝息がまた聞こえてきたのを確認すると、枕に顔を押し当て、声を押し殺して泣いた...
「来蘭が欲しいよ...」
届くことのない声が、枕の中に消えた...
来蘭を起こさないようにベッドを離れた。
そっと音をたてないように冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し一口飲んだ。
来蘭の鞄を開け、来蘭のスマホを探す...
あった...
ベッドに戻り、まだよく寝ている来蘭の右手の親指を当てる...
ロック解除した。
通話履歴から、〈そうちゃん〉と書いてあるのをタップする...
AM4:30か...さすがに出ないか...
「来蘭?どうした?」
出た...
「お前はジジイか!」
「来蘭...じゃないなその声...」
「井澤だよ」
「どうゆうことだ!なんでこんな時間に、来蘭のスマホから井澤が俺に電話してきてんだよ!」
「来蘭うちに泊まらせたんだ。まだよく眠ってる」
「は?泊まらせた?」
「落ち着け青木!来蘭が目を覚ますまで時間がない。なるべく簡潔に話すから黙って聞いてくれ!
みんなでタピオカ屋で解散した後、1人で駅に向かう来蘭の様子がおかしかったから、追いかけて声をかけたんだ。
実は、更衣室で来蘭の腹部にいくつもの痣が見えてしまって、どうしても気になったのもあったし、ちょっと1人で帰しては行けない気がしてさ...
...来蘭、母親からDV受けてる...
父親が泊まりで出張っていうと、母親が手を上げるらしい。
出張ではなく、外に女が居るらしいんだ。
暴力は今に始まった事ではないらしい...幼少期からだと来蘭が言ってた...
昨日うちに泊まらせたけど、来蘭うちに連絡してる様子はなかったから今スマホ見たら、母親から鬼のような着信が入ってた。多分今日学校に連絡が入ると思う。来蘭をあの母親の元に帰す訳にはいかない。
来蘭は青木にこのこと知られたくなかったと思うんだけど、あたしの力だけじゃ来蘭を守れないから、青木の力も貸して欲しいんだ...
というより、来蘭はお前に助けを求めてる...
さっき真夜中に来蘭が泣きながら夢を見ていて...青木...お前の名を呼んでいたよ...」
青木は絶句しているようだった...
無理もない...
「聞いてる?青木!」
「聞いてる...
ありがとう。気がついてくれて、泊めてやってくれて本当にありがとう。腹部の痣じゃ、俺、気が付きようがなかった..」
「そうだよな、気が付かないよな、仕方ないよ青木...来蘭自身も、このことは必死に隠そうとしていたんだから...
大事なのは、これからどうするか!どうやって来蘭を守ってやるかだよ青木!」
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