浮島に昇る前、サードに言われたことを思い出す。
「実際に戦うのは俺だ。が、魔王軍に戦いを挑むのは貴様だ、愚物」
「――はい」
「何故かは、わかるな?」
「私が、ステラ・マリスの大首領だから、ですよね」
私は断言する。
すると、珍しくサードが笑ってうなずいた。
「そうだ。今後、貴様は大首領として振る舞わなければならない」
彼に告げられ、体温が下がる思いがした。握る拳も、何だか冷たく感じる。
「ステラ・マリスの戦いは、何のための戦いだ」
「私が生きるための戦いです」
この世界で生き残る。それが私の最終目的。私の勝利条件だ。
「ならば、生きることを願え。生きることを諦めるな。生きることを信じ続けろ」
「はい。私は願います。私は諦めません。私は信じ続けます」
サードに説かれ、私もそれに合わせて繰り返す。
それは、自己暗示と呼ぶにはあまりにもささやかな、自分に対する言い聞かせ。
「では往くぞ。一路、魔王城へ」
「はい。……ところで、どうやって?」
――尋ねた三秒後、私は荷物にされた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そして現在、ドカーン、ドカーンって、立て続けに二回、すごい音がした。
体も激しく揺さぶられて、のどの奥から吐き気と一緒に、な、何かが!
イヤな感じの酸っぱみが口の中いっぱいに広がっていくゥ!?
「ハァッ、ハハハハハハハハハァ――――!」
耳元からは、サードのバカ笑い。
直前の二回の爆音は、彼が魔王城の天井を蹴破った音だろう。
そして大きな衝撃がこの身を襲って、風を感じなくなった。着地したらしい。
「目を開けろ」
彼の腕から下ろされて、そう言われる。
全身には、まだ落下時の圧が感覚として残っており、何だかちょっと、夢心地。
でも目を開ければ、もうそこは戦場だ。
消えゆく浮遊感に別れを告げ、意を決した私はまぶたを上げた。
灰色の、とても重々しい空間が、そこにあった。
かなり広く、柱、壁も濃い灰色。
立っているだけで不可視の重圧がのしかかってくるかのよう。
反面、蹴破られた天井の破片が転がる床は、反射するほど磨き上げられていた。
そこに、上下反転しながらも私の姿がしっかりと映り込んでいる。
蒼髪の青年を侍らせた、黒いドレスを着た銀髪を結い上げた女。
ドレスのフリルとレースをあしらったオフショルダーのプリンセスライン。
胸元には色褪せた造花のコサージュと、血の色を思わせる細いリボン。
大きく広がる漆黒のスカートは、さながら月下に咲き誇る黒い薔薇のよう。
サラリとした光沢を放つ長い金髪が、ドレスの黒地に映えて美しい。
切れ長の碧眼に、結ばれた真っ赤な唇。肌は白く、だが血色はすこぶるよく。
その姿、あまりにも毒々しい。それが、今の私。
かつての公爵令嬢にして、これから悪の大首領になる女。
アンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームの艶姿である。
そして――、
「何者かな?」
目を向けた先、玉座の間の最奥から、まだ声変わりしていない少年の声がする。
玉座のひじ掛けに片ひじを突いている一人と、その左右に立つ三人。
魔王シュトラウス・ペリドットと、魔王軍最高幹部の三巨頭だ。
「初めまして、魔王軍の皆々様」
緊張を表に出さず、私は恭しくスカートの両端をつまみ、カーテシーでの一礼。
しかし魔王と三巨頭は反応を見せない。こちらを観察しているのだろうか。
私は別に観察などしない。元々、この場にいる全員のことはよく知っている。
例えば、三巨頭の一角、身長4mを越える筋骨隆々の巨漢である彼。
肌は鉄のような黒みを帯びて、額の左右から反り返った二本の角が生えている。
彼の名前は、ゴリアテ・ヴァーデン。
本編中で〈黒鬼将軍〉の異名をとる魔王軍随一の武闘派だ。
続いて、コウモリの翼を生やしたウェーブのかかった紫髪の彼女。
豊満なその肢体を包んでいるのは、派手に肌を露出させた煽情的に過ぎる衣装。
彼女はリーリス・ラブリュス。夢魔サキュバスの女王である。
残る一人は、煤けた灰色の髪をした背筋の曲がった陰気な眼鏡の青年だ。
色褪せたローブを纏うその見すぼらしい姿からは、何のすごみも感じられない。
彼はファスロ・L・グラハム。
魔王シュトラウス・ペリドットの相談役で、魔王軍筆頭錬金術師。また――、
「オイ、コラァ! 陛下が何モンか聞いちょろうがァ!」
私の思考は、だが、ゴリアテの怒鳴り声によって中断させられた。
玉座の間全体を揺るがるような大声。しかし、私は少しも揺るがない。
見た目だけね! 内心、今にもビビって泣きそうですわよ!
でも、それを表に出さなきゃ動じてないのと一緒なの!
私は、表面だけたっぷり余裕を保ちながら返答する。
「そうですわね。では、まずは自己紹介を。魔王軍の皆様、ご機嫌麗しく。私はアンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームと申しますわ」
「アンジャスティナじゃとォ!?」
私が名乗ると、何故かゴリアテが仰天した。
「き、きさんがあの、アレスティア王国の巨悪令嬢かい!」
巨悪令嬢って何よ!?
「へぇ~、この子があの巨悪令嬢なんだぁ。ふぅん、確かにワルそうかもぉ~」
リーリスが興味深げに目を細めた。
待って、待って、あのって何ですか。あのって! 一体どのあのなんですか!
「巨悪令嬢アンジャスティナ。またの名を、悪女巨星アンジャスティナ、ですか」
ファスロがボソボソと聞こえにくい声で言う。って、また知らない名前出た!
何なのよ、その、男の子向けロボットアニメのタイトルみたいな私。
私が逃げてる間に、私の評判は一体どんな究極進化を遂げてしまったの!?
――っと、いけない。ロールプレイが崩れかけた。
私は再度、深呼吸をする。
思いがけない奇襲によって、思わず地金を晒しそうになってしまった。
ダメだ、この程度で動じたらダメ。もっと面の皮を分厚くしていかなきゃ。
「フフフ」
努めて、私は薄気味悪く笑う。
「巨悪令嬢、ですか。何とも甘い評価ですこと。私の悪名もまだまだですわね」
使えそうな風聞なら、いっそ自ら誇ってしまえ。
今の私はとっくに悪の大首領。巨悪のレッテルはむしろ望むところだ。
「それで、祖国を逃げ出した大罪人の巨悪令嬢が、何だって僕達のところに?」
響いたのは、幼くて、だがどっしりとした重みを感じさせる声。
短い黒髪の少年――、の、姿をした魔王シュトラウス・ペリドットのものだ。
十代前半にしか見えないその身から、不似合いすぎる圧力が放たれている。
さすがは魔王というほかない。
でもロールプレイの甲斐もあってか、私もこの空気に慣れてきた。
玉座から続く赤いカーペットの上に立って、私はまっすぐ魔王と相対する。
「本日は魔王軍の皆様に宣戦布告、並びに降伏勧告をするために参りました」
「……宣戦布告? 降伏勧告?」
私の宣言に、魔王シュトラウス・ペリドットの顔つきがにわかに変わる。
「はァン? 人間風情がワシらに宣戦布告じゃとッ!」
そして撃発するゴリアテ。それは予想通りの反応で、彼はさらに私へ怒鳴る。
「きさん、ドコのモンじゃ! アレスティアか、東方のヴァレンシアか!」
ゴリアテのその詰問に私は確信する。今だ。
ヒールの先でレッドカーペットを踏みしめて、私は口元に右手の甲を当てた。
「アレスティア? ヴァレンシア? 何をおっしゃられますの、ゴリアテ将軍、私が『率いる』のはそんな『チンケな国』などではございませんことよ!」
さぁ、笑え、笑え。力の限り。
ここからがステラ・マリスの大首領アンジャスティナのショウタイムよ!
「オーッホッホッホッホッホ! 私はアンジャスティナ。巨悪令嬢にして悪女巨星、そして、いずれ世界を征服する悪の秘密結社ステラ・マリスの大首領、アンジャスティナ・マリス・ジオサイド・ヘルスクリームでしてよ! たかが大陸二大強国如きに収まる器ではありませんの!」
私は高らかに笑い、そして高らかに宣言する。
以前の、パーティー会場でのハッタリ口上とはワケが違う。
今回のこれは私のこれからの生き方を決定づける、正真正銘の宣誓なのだ。
これによりステラ・マリスからの魔王軍への宣戦布告という構図が成立する。
そして私は右手を腰に当て、軽くあごを上げて魔王を睥睨した。
マウントを取った気になって、口元に笑みを。
可能な限り余裕に満ち、相手を小馬鹿にする歪み切った自尊心まみれの笑みを。
「魔王シュトラウス・ペリドット陛下におかれましては、抵抗は無駄ですので、速やかにステラ・マリスの軍門に下っていただきますよう、お願い申し上げますわ」
「なるほど、つまり君達は魔王軍を乗っ取りに来たワケなんだね」
「乗っ取るだなんて心外です。私を絶対の主と認めていただきたいだけですわ」
なめきった声と態度で、私は魔王を煽り倒す。
すると少年魔王の顔に深く大きく、それでいて残忍な笑みが刻まれた。
「ゴリアテ、潰していいよ」
魔王が命じたその声に、私は内心でガッツポーズをする。
私からの宣戦布告、誰でもない魔王自身が受諾した。マッチメイク、成立だわ!
「おおおおおお、魔王陛下、その言葉を待っちょったわい!」
咆哮と共に飛び出した〈黒鬼将軍〉が私めがけて突っ込んでくる。
「きさんのガラァ、踏まれたアリみとぉにペシャンコにしちゃるわァ!」
勢いよく振り上げられたその拳に、私は最悪の末路を想像してしまった。
悪寒が背筋を抜ける。恐怖に足が竦む。のどの奥からは悲鳴が漏れかける。
だけど、私はグッと堪えた。
全身に力を入れて震えるのを耐えた。笑みを崩さずに、悲鳴が出るのを止めた。
大丈夫だ、私は死なない。私は、私が生きることを信じている。
例え、私を殺す暴力が眼前に迫ろうとも、自身の生存を心から信じ続けられる。
だって――、
「ホザくなよ、でくのぼうが」
硬いものがぶつかり合う音がする。
「ぬぉ!?」
ゴリアテの巨大な拳が、私に当たる寸前で止まっていた。
当然、私なんかには止められない。止めたのは、私の前に立つ彼だ。
「これより先、貴様が言うことは何一つとして実現しない」
〈黒鬼将軍〉ゴリアテの拳を片手で軽々と受け止めて、蒼髪の青年が言う。
そう、今の私は、自分の生存を確信できる。
「学ばせてやろう、でくのぼう。――俺が上で、貴様が下だ」
だって、私にはステラ・マリス最強の戦士サードがついているのだから。
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