§ § §
風をきってバイクが疾駆します。
生徒会から焦眉の急だと頼まれ、霊園から急ぎで飛ばしてもバイクで10分ほどの所にその現場はありました。
遠くからでも目立つ緊急車両の群れ、パトカー、救急車、そこにたむろする警察官に、救命士の方々が見えます。
現場は木造の二階建て一軒家、築30年以上は経っている恐らくは賃貸契約の借家、茶色いトタンの壁のあちこちに緑色の苔と焦げ茶の錆と陣地を争い合っています。
バイクを近くに止めてから、メクルは関係者を名乗りすぐさま入り口のブルーシートの目隠しを暖簾を押すようにして中へ入ると、饐えた匂いが鼻腔を突き刺してきました
腐臭、それもかなり強烈な死の臭い。
夏の暑さに蒸された腐敗臭は、粘つくように鼻に残ります。
家の庭は雑草帝国、何年も放置された小さな庭は地面が見えない程の一年草のカヤツリグサが茂り、ヤブ蚊が来訪者を歓迎するように飛び回っています。
そんな家の玄関前で立つ警察官のお兄さんもこの臭いと蚊に顔を顰めていました。
「お疲れ様です、生徒会執行部からの依頼できました、図書委員の綴喜メクルです」
挨拶をすると、「証明できるものを」と手帳の提示を求められ、シートを潜る前に見せた手帳を再び見せます。
「……どうぞ」
しかめっ面のままの入場許可。
どうやら不機嫌そうなのは間違いありません。
現場の雰囲気がピリついているのは確かで、警察官の方々も態度には出さないものの苛立ちからか、瞼が少しヒクついているのをメクルは見逃しませんでした。
ご立腹はごもっとも。
本来なら自分達が真っ先に中を検証すべき事件のはずが、突然生徒会執行部の名前で現場を押さえられて、年端もいかぬ女子高生が先に現場へと入るのですから、釈然としない警察官も多いはずです。
「あの、暑いですから、どうか休み休みで」
「いえ、本官は大丈夫です、ありがとうございます」
顔は全然大丈夫なんて表情はしていませんが、メクルは軽く会釈だけして急ぎ中へと入ります。
玄関へ入ると、それだけで分かることが幾つかありました。
まずは玄関の靴箱、背が低く、横に長い靴箱の上には郵便物が溜まっています。
開封した痕跡がない物から、なにかの請求書、裁判所からの封筒も何通か。
二日前の荷物の不在票、丸められた領収書、キーケースに小銭と判子。
各所に溜まった埃、踵をふまれた汚れたシューズ、サンダル、変色したビニール傘。
奥へと伸びる暗い廊下、目の前に階段、そのあちこちに中身が残ったペットボトルや空き缶、酒瓶が転
がっています。
これだけで家主の事がある程度は分かります。
メクルはもってきた手袋とシューズカバーを着けると、靴箱の上の紙束を見聞します。
(性格、怠惰、状況、貧困、依存、アルコール、障害、否、メンタル、領収書――)
束になった封筒の下から何枚かの丸められた用紙を見つけて広げます。
(薬局の領収書、治療明細書、薬の説明書……セルトラリン、抗うつ剤、ロラゼパム、抗不安薬、プロチゾラムとゾルビデム……睡眠障害、ストレス過多……通院歴、3年前、複数てんこの感じだと病院をハシゴしてオーバードースか)
情報を次々に頭へと整頓しながら納めつつ、メクルは臭気の強くなる方へと歩き出します。
老朽化が進んでいるのか、クロスの剥がれた壁には黒カビが繁殖し、雨漏りを放置していたのでしょう床が腐食して変色しています。
歩く度にギィギィと鳴く廊下を進み、キッチンらしき場所に出ました。
「あ、ヒロ、来てたんだ」
先に来ていたヒロでした。珍しいことに学園の制服スカート姿です。
恐らくは先日の城、文化財破壊の一件で反省文を剣真に書かされている時に、その場で知らせを受けて急行したのだろうとメクルは察します。
「よう、いいタイミングだ、どう思うよ、これ」
しかめ面で腕を組み、怪訝そうに顎で示す場所はダイニングキッチン、小蠅が飛び回る炊事場、乾ききった米がへばり付いた開けっぱなしの炊飯器、床には鳥らしき足の骨、インスタントラーメンの空容器と無数の割り箸、それと度数が高く量が多くて安い酒のプラスチックボトルが相当数転がっています。
どの電化製品も十数年前の古びた型の物ばかりが所狭しと空間を埋める中、一際大きな物体がダイニングの机に突っ伏していました。
――遺体でした。
男です、大柄な男、しかし腐敗による肥大が始まっているのも考えれば、中肉中背の成人男性、よほどお腹が空いていたのか山盛りのチキンライスに顔を埋めています。
食べ始めてかなり時間が経ったのか、チキンライスは赤黒く変色し、蛆が湧き始めていました。
男の耳にはワイヤレスのイヤホン、テーブルの下にスマホが転がっています。
音楽でも聴きながら食事をしようとした所に、
「後ろから一発……かな」
チキンライスかと思えばどうやら元は炒飯のようで、真っ赤にトッピングしているのは、倒れ伏した男の頭蓋から飛び出した自前のキャチャップ、腐臭の原因はこれのようでした。
「銃か?」
「至近距離でね、この間取りと位置からだと狙撃は無い、頭の真ん中を綺麗に撃たれてる……食事中に近距離から一発かな、弾とかみてない?」
「見てねぇよ、俺達も今来たところだからな、なぁピーシー」
メクルが振り向くと、そこにはピーシーが立っていました。
「遺体、田中庄司、43歳、無職、離婚歴有り、田中剛の父親」
変わらずのコート姿でピーシーは額に汗を浮かべています。
ピーシーは暑熱順化を止める気はないようで、さらにマフラーをマスク代わりに強めに括り付けていました。
「だよねぇ……ここ田中君の家だし」
「暑い、臭い、酷い、暑い、死ぬ」
「だったら脱げって、このおっさんの……あー、田中の親父さんの仲間入りしてもしらねぇぞ」
ここはメクルが創造世界へと閉じ込めた少年、あの田中剛の実家でした。
ある程度の家庭事情は事前に調べていましたが、この様子だと予想よりかなりヘビーなご家庭のようです。
とりあえずご遺体にメクルが手を合わせると、ヒロも思い出したかのように手を合わせました。ピーシーも遅れて手を合わせます。
「で、ピーシーはどこ行ってたの?」
「二階、調べてた」
「……それで影柄君は」
「二階、来て」
踵を返すピーシーについて行くようにメクルとヒロもキッチンを後にします。
離れると臭気が徐々に弱まって、廊下を戻り階段へ、やたらと歩幅が狭くて急な階段に積まれた漫画や雑誌の束に注意しながら上ると再び臭気が強くなります。
登り切って廊下にでると、一階とは違って清掃されています。
まるで階段より下と上で別世界を作るかのように、物という物がありません。
明らかに下で生活している父親と、上で生活しているツヨシ君という親子でありながら明確な境界線がそこには有りました。
そこに漂う、強烈な死の臭い。
無機質な白い壁の廊下、そこを漂う死の香りは、この廊下の先からでした。
嫌な予感はさらに感度を上げていきます。
ピーシーが先に廊下を進み、突き当たりの扉を開くと、その予感を裏付けるように死が吹き出してきました。
「うっ……ぐ……こりゃ、なんだ」
まるで突如として壁と廊下が腐肉へと変貌したかのような圧倒的不快感、嘔吐きそうなるほどの饐えた臭いに、メクルとヒロは口元を押さえ鼻を塞ぎました。
「先、窓、開けてくる、中もっと、酷い」
悪臭の原因があるだろう部屋の中へ臆することなくピーシーが入っていくと中からカチャガラガラ、外へと臭気を逃がしてくれているようでした。
「ひろ、さきどうぞ」
「いや、ここはふぉーすとれでぃーだ」
「……でふぁ、ふぁーすとれでぃー、いきます」
別にメクルは大統領夫人ではありませんが、突っ込むのも辛いくらい息を吸いたくありません。浅い呼吸で意を決し、メクルが中へと入ります。
続けてヒロも中に入ってきて、思わず2人して息を止めました。
「これ、影柄君」
扉から入って正面、ピーシーが指さす先に、壁に立て掛けられるように両手を広げる青年がいます。
御影学園演劇部所属、影柄輝男、その死体が『裸』で壁へと貼り付けられていました。
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