(殺される前に殺せ、か……戦国の死生観なんだろうけど)
現代に生まれたメクルも、それは嫌というほど解っています。
もちろん備えもあります。
例えば手芸部に改造してもらったコルセットスカートの中、両方の太股に巻いたホルスターと9ミリ拳銃とナイフ。
10メートル以内のただの人であるなら、これ一つで即座に手足を撃ち抜き、無力化も可能です。
でも相手はレイズ、御影学園の正体を知りながらも敵対の姿勢を見せる戦闘力不明の能力者です。
例えスカートの中にどんな秘密兵器を隠していても、この心許なさは消えません。
常に付き纏う死の可能性を考えれば考えるほど冷える背筋、身体の強ばりを避けるためにメクルは日陰からゆらりと出ると夏の日差しで背中の寒気を払いました。そしてスマホのカメラを手鏡にして黒絹の髪を手櫛で整えてから表情を作ります。
(……私は親戚の不幸を受け止めきれない少女、従兄の死の真相が気になっている少女)
呟き、昨夜の内に作ってきた役を読み込みます。
転校予定だった矢先、御影学園にやってきた田中由紀は従兄の家を訪ねると彼と叔父の死を知る。
それほど深い親交があるわけでもなかったが、それでも従兄の死に思惑を向けるのは自然な事、故に、田中由紀は田中剛の死の原因を知りたい。
なぜ彼が死ななければならなかったのか、田中由紀は真実を知りたい。
役を創り、表情を偽り、ゆっくりと一呼吸した所で、バンっ――、と屋上の扉が勢いよく開きました。
「お、てめぇか? 田中の従妹ってのはよ」
開け放たれた扉の向こうから現れたのは、随分とヤンチャな風体の男でした。
ツーブロックにそり上げた黒短髪にワックスをたっぷり塗りつけて、だらしなく裾を出したワイシャツ姿に校則違反の派手な赤いTシャツ姿、踵を踏みつけた上履きでメクルへと歩み寄ってきたのは、完全に想定外の人物でした。
「あーえっと、どちら様でしょうか?」
ここに来るはずだったのは田中剛のイジメ問題について情報を提供してくれるという女生徒……そのはずでしたが、現れたのは明らかに男性です。強面です。ガラ悪いです。
「裏SNSで写真みた時は加工かと思ったけどよ、まじで超美人じゃねぇかよ、ダメだろーこんな美人が校則違反しちゃ、ここ立ち入り禁止なのによぉ、あーあ」
咎めるような態度で首を振り、どうやらこちらの質問には答える気はないようでした。
まったく見覚えの無い男です。
湿っぽい笑みで黄ばんだ歯を見せながらメクルへの距離を縮め、ヤニ臭い息遣いが聞こえるほどに迫ると、男の背丈と体格が中々の物だと解ります。奇形に膨れた耳に太い首と肩を見れば、レスリングか柔道、組み技系のなにかしらをやっている人間だとおおよそ察しは付きます。問題はこの男が田中剛のクラスメイトでも無ければ、連絡先を交換した相手でもないことです。
「そうなんですね、今日転校してきたばかりで知りませんでした、教えてくれてありがとうございます、じゃぁ先生に見つかる前に私はこれで失礼しますね」
めんどくさい人間からは距離をとるに限ります。
早々に場を脱して連絡を取り直す必要があると、メクルは男の脇を抜けようとした、その時でした。
「おっ? 誰が逃げていいって言ったよ?」
メクルの肩を男の右手が掴み、離脱を許しませんでした。
「おいおい勝手に逃げてんじゃねぇよ、状況わかってんのか? 自分が犯罪者だって自覚がねぇのかよ?」
「犯罪者? そんな覚えはありませんけど、とりあえず手をどけてもらえますか?」
「いやいやー、おめぇは犯罪者だよ、だってよぉ校則違反の屋上に来てるんだぜ、ルール違反だよなぁ、てことはそれって犯罪と同じだろ? そんでもって犯罪者ってのは罰を受けなきゃだよなぁ」
などと、まるで小学生も驚くようなアクロバティックな因縁の付け方に、
(……うわー、レトロだなぁ)
思わずメクルも一周回って感心すら覚えます。
「その、一応訂正しておきますと、校則違反は犯罪ではないですよ、ルール違反ではありますけど……、あ、それより未成年の喫煙は犯罪ですよ? 健康にもよくないです」
「あぁ!?」
荒げる息にメンソール独特のタバコ臭さが混じっています。
煙草は二十歳になってから。
「てめ! 誰が犯罪者だッコラっ!!」
誰もそこまで言っていません。耳と頭に疾患があるのやもしれません。
唾と怒声を飛び散らせながら、肩に痛みが走ったかと思うとメクルは強引に制服を引っ張られ、金網のフェンスへと追い込まれました。
少しバランスを崩しましたが、何事もなかったようにメクルは男を冷めた目で観察します。
なにかが、変でした。
「……へぇ、おめぇ今のでビビらねぇのか」
今の恫喝で怯えなかったのが意外だったのか、男は見下すように顎先を上げながら、
「あーあ、俺はお前が屋上に向かってるのが見えて善意で注意してやろうと思ってここに来ただけだってのによ、証拠も無いのに人のこと犯罪者扱いとかマジで最低だな、だけどまぁ俺って優しいからよ、許してやるからこれからちょっと付き合えよ、なぁ?」
品定めするような目つきに下卑た笑み、荒くなる鼻息とオマケに舌なめずりときました。
「……ただじゃ帰してくれないって感じですか」
「お、わかってんじゃん、そうそう大人しくしてたら俺達が良いところ連れて行ってやるぜ?」
「俺達? あぁ……わー、団体さんですねぇ」
まるでそれを合図にでもするかのように屋上の入り口から新たに4人の男子生徒が現れました。
なるほど、なんともベタベタとした状況だと、メクルは溜息と共に思案します。
まずこの状況をどう見るべきか、いくつかの可能性を考えてみます。
すぐに思いつくのは本当にただのナンパという可能性、この容姿であるなら可能性もなくはないでしょう、とはいえ普通のナンパではなくこんな囲い込みのようなやり方には違和感がありました。
ならば誰からの嫌がらせという可能性もあります。
午前中までの行動で誰かにとって突かれたくない部分を触ってしまったが故に、部外者を使って相手を強制的に排除、もしくは脅しの一つでこの一件から手を引くようにと警告するため……。
(もしくは、索敵か……)
そして最後にレイズによる索敵の可能性です。
(レイズが打ってきた一手の可能性も視野にいれるとして……さてどうしたものかなぁ)
怪しい物を調べる人間もまた怪しく、ならば他の人間を当て馬にまずは様子見をしようといった可能性も充分にありました。
思惑に乗らないためにもここで無難なのはすぐにこの場から逃げる事、しかし男達は出口への道を塞ぐように立っています。
ならば防衛という方向性はどうか? 美少女転校生が偶然にも大の男を倒せる程の武術を身につけていた。
(うーん、我ながらそれも怪しい)
スカートに忍ばせた武器を使うならまだしも、5人を素手で倒すのは可能かどうかも微妙な所です。
仮にこの人数を組み伏せたとあればどっちにしろ怪しさは満点です。
普通ではありません、非一般的乙女証明です。
(しかたない、ここを無傷でかつ乙女らしく抜ける方法はただ一つ……苦手だなぁ)
メクルは再び猫を被りつつ、息を命一杯吸い込みます。
「俺達と静かに休めるところで朝まで楽しもうぜ? なぁお前ら?」
他の男達が笑いながら「どうせラブホだろ」とニヤつき囃し立てます。
どうにもこうにも解せませんが、ここは一つ、恥も外聞もなく、メクルは可憐な乙女らしく、悲鳴の一つでも上げることにしました。3人の男を打ちのめした女生徒より、3人の男に襲われそうになった女生徒の方が怪しまれる可能性を少しでも回避できるだろうとの魂胆です。
目立つ事に変わりはないとしても、校舎の屋上で悲鳴があがれば誰かが気付くはず、そこまで目立てばさすがに彼らも手を引くだろうと、メクルは意を決して乙女になります。
私は暴漢に襲われる乙女、私は暴漢に襲われそうな可愛い乙女と、第一声を張り上げる、その時でした。
「そこまでだっ!! この下郎共ッ!!」
颯爽と高らかに、男子生徒達に降り注ぐ勇ましき声がありました。
それはもちろん聞き覚えのある声、アオメでした。
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