不覚にも、それが全ての始まりだった。
その一言、その一音、その一文字が、全ての始まりだった。
「そう、そのたった一言を発してしまったのさ、不覚にもね。これで『 』は有、つまり1へと転じた、そして『 』、無くしてしまった神は再び『 』を求めたが、もう後の祭りさ、あ、A、阿、ア、有るは転じて無を証明し、無は転じて有を誘う、1と0、光と闇、白と黒、やがて二つは伸び縮みを繰り返し、分裂し、波を作り、渦を作り、宇宙を作った」
そう言うと、キラリは自分のハワイアンソーダのグラスを指で倒した。
グラスは簡単に割れ、中身がテーブルへと広がった。
純白のテーブルに青い宇宙ができていた。
「世界の誕生は事故だった、て事?」
「そう、事故さ、全ては事故、事故で亡くすんじゃなくて、事故で生むところが神なのさ」
そう言われて、メクルが思いつくのは、彼のことだけでした。
事故、車、アスファルト……焼き付きそうになる頭をグラスへ強く押し当てて追い払います。
「でも人間だって0から1を生む、命ってそうじゃない?」
メクルはおでこに当てていたグラスを離すと、青い宇宙の真ん中に置きました。
パチパチとグラスの中では炭酸が青い海の中に気泡を生み、人の営みのように浮いては弾け、やがては消えていきます。
楽しそうにキラリは続けます。
「いいや違う、人間は0から1を生み出しているわけじゃない、なぜなら雄《おとこ》と雌《おんな》という素体があり、精子と卵子という素材があり、交配という起因があり、既にある熱量を摂取して育み、生み出し、生まれたそれはまた同じ事を繰り返す。星にある物が形を変えているだけだ、0.1を10個集めるのと、0を1にするのは訳が違う」
「つまり、死者蘇生のチートは、バラバラになった0.1を集める能力、って言いたいわけだよね」
「正解!」
「そして私達も神じゃない、0から1を生み出してるわけじゃない、“何かを”借りて変換しているだけだから調子に乗るなよと」
「さすがメクル! 大正解の大好き! 正解者には私のキッスを進呈!」
「ありがとう、嬉しいよ、辞退します」
「まぁそう言わず」
テーブルに広がる青い宇宙に手をついてキラリはメクルに迫まって来ました。
「ちょ、キラリ……」
メクルが少し椅子ごと下がると、キラリは少し寂しそうに唇を尖らせました。。
「冷たいなぁ、今のメクルの唇は……さぞや甘いだろうに」
手を蒼いジュースにつけ、顔を近づけたままキラリはそんな事を言います。
小さく見せた舌先がテラリと唇を湿らせて、微笑む顔は蠱惑的で、瞳の奥をうかがえません。
「甘いのがお好きなら、こっちのジュースをあげるから」
と、メクルはテーブルに置いたグラスに手を伸ばし取ろうとしました。
「――おっと危ない」
伸ばした手を、キラリは自らの片手を押しつけて止めました。
パシャリとメクルの手が青い宇宙へ押しつけられ、炭酸が弾けて小さな波が生まれます。
キラリはただメクルを見ています、見据えて、捉えて、握り絞めます。
「このまま手を伸ばすと、きっと怪我をするよ、メクル」
メクルの指先、まだ無事なグラスのすぐ前に砕けた破片がありました。
鋭利に尖った、青い宇宙の器です。
「ここに赤が混ざったら、もう取り返しのつかないことになる……わかるよね」
「……わからないよ、キラリの話は私には難しすぎる」
「ふふ、それにこんな綺麗な手を傷つけたら大変だ」
そう言って押さえつけていたメクルの手を取り、自らの口元へと持って行くと、キラリは舌を出してペロリと指先を舐め取りました。
「……甘い」
「ジュースがついてるからだよ」
丹念に、丁寧に舐め取りました、餌のついた主人の指先を舐める猫のように、蜜に縋る蟲のように、指に着いたソーダを舐め取り、しっかりと口内に甘い液体を溜め込んでから、一息にゴクリと飲み込みました。
「……気はすんだ?」
メクルは驚きません、古い友人のどうしようもない癖を目の当たりにしたぐらいの気持ちで、キラリを優しく窘めました。
「はむはむほむはむは」
「人の指を食べながら喋るでない」
「……どっちかというと、ムラムラしてきた」
メクルはすぐさま手を引っ込めました。椅子も少し後ろへと引きました。
「冗談だおー、冗談っ、えーっと、さぁて仕事の話をしようかにゃー」
茶目っ気ぽく冗談だと口にしながら、キラリは自分の席へと戻りました。
「んじゃ帰還者君について、仮になんと呼ぼうか? このままだと帰還者だとトーマスぽいだろ」
「そんなこと言ったら私も元機関車メクルになるよ」
「ところでトーマスって付喪神の一種なのかな? 私は昔からそれが気になってるんだけど」
「はいはい、脱線しないで、じゃぁ蘇生能力者だから……リザレクションとか?」
「長い、呼びづらい、次の候補を」
「じゃぁリカーム」
「メガテン? 好きだけどメジャーな方でザオリクのリク君とかどぅ?」
「んー意図が伝わり辛いかな、間をとってレイズとかは?」
「ほほう、レイズ……」
キラリは何度かレイズと小さく呟いて半数し、
「レイズデッド、レイズね、いいじゃんいいじゃん、1へと戻す者、霊子ってね」
「決まりだね、じゃぁレイズちゃんについて」
「レイズ君かもだけどね、まぁそれは追々と、まずは私が調べた事を報告しよう」
そう言ってキラリは手をパンパンと叩くと、植物園の明かりが落ちました。
そしてプールの床が突如として黒くなりました、この床、実は巨大モニターです。
本来は海中の映像などを映して、屋内でシュノーケリングを楽しむ物です。
「まずはレイズがこちらへと帰還した際に発生した力場を突き止めた、大雑把だけど第一校舎の近くだったよ、そしてその力場の発生元を追いかけて私は宇宙を旅した」
まるで何かのモノローグのように語るキラリに合わせて、プールの中に映像が映し出されました。青い星、我らが地球です。
「地球に到達した帰還者が通って来た力場の軌道を辿り、泳ぎ泳いで到着したのが、ここ」
映像の地球からは白い線が真っ直ぐに伸びていました、その白い線を追いかけるようにカメラは銀河を離れ、光速よりも速く飛び、いくつもの銀河を飛び越えて、やがて止まります。
見えたのは惑星です。茶色い、どこか暗い冷たさを感じさせる惑星です。
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