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天文部を後にして、制服に着替えたメクルは長い浮遊感の中にいました。
地下22階を目指すエレベーターの中は空調によって心地の良い環境を維持しているはずなのに、どこか粘つく息苦しさを感じさせます。とても熱い地獄を目指すような、そんな息苦しさです。事実、地下3000メートルの地底に作られた特殊な病室の周りは地熱により100度近い温度があります。その熱から護るように分厚い基礎建築の中、この施設は存在しています。
地上の顔は御影学園内にある大型総合病院、その地下には機密を扱う専門病棟、研究開発室があります。
主にお外に漏れるとちょっと厄介な事になるかねない人間、または生物を看護、診断、治療、実験などを行う部門です。
よってセキュリティーも厳重、一般病棟から入ることはできず、地下駐車場に敷設された警備室前でチェックを受けてから、色々と面倒な手続きと謎の機械による洗浄を受けてから、ようやくその先のエレベーターでさらに地下へと移されます。
今回はちゃんと生徒手帳の効果が発揮された事に安堵しながらメクルは長い浮遊感の中で壁に背を預けて目を閉じて情報の整理を行っていました。
死者蘇生能力者の可能性、その力がどこまでものかを6段階に分けて想定、これから起こりうる物語を構築、幸いなケースから最悪の状況まで考え、それぞれに対策を講じます。
「お、そろそろつくぜ」
声に瞼を開けると、ヒロがグイと背伸びをしています。
その隣には壁に持たれかかって居眠りをするピーシーもいます。
ヒロは昨夜と変わらず際どいジャージに夏モード、ピーシーも昨夜と変わらず紺色コートで冬モードです。
警備室でチェックを受ける時、ピーシーがコートを脱ぐように言われて冷や汗をかきましたが、さすがに今日は下に制服を着用してきていました。なぜ昨夜はコートに裸だったのかをヒロが何度も問いかけましたが、今のところ全て無視したまま眠っていました。
よほど深い事情があるのでしょう。
チーン
と、エレベーターが到着の合図と共に扉が開くと、病院独特の空気がしました。
清潔で広々としたロビー。
白と青を基調にしたロビーは普通の大型の総合病院と遜色なく、待合所には青々とした観葉植物、水槽、テレビモニター、内科や外科やレントゲン室へと案内する矢印が廊下にペイントされ、時折忙しそうに看護師さんがパタパタ走って行ったり、点滴スタンドをついて歩く患者がいたりと、ごくごく普通です。
少し違うところと言えば、廊下の角という角にゴツイ自衛隊員が戦闘服に身を包み、M870を両手に抱えて立っている事ぐらいです。あれには手芸部お手製の粘着弾が装填されています、着弾と同時にピンク色の粘着物質が破裂して付着、5秒もあればカチカチに固まります。少し面倒な人用の捕獲武器です。
あともう一つ少し違う所は、看護師さんは全員ホルスターとテーザー銃を装備している事ぐらいです、発射されたコード付きの針が相手に刺されば暴徒を一発で失神させて、失禁させます。
両方とも清掃員さんに不人気な武器です。
さらに言えば、院内で何かが起こるとすぐさま廊下にある隔離扉が閉まり、沈静ガスが送り込まれて大抵の患者は失神させたり、警報から30分以内に軍隊による包囲が可能だったり、いざという時に備えて複数人のチート能力者が待機していますが、
それ以外はごくごく普通です。普通の病院です。
病院のロビーを抜けて、正面カウンターに来たメクルは手帳を係の人に見せます。
昨日運ばれてきた少女の病室を聞くと、三人は病室へと向かいました。
病室はB1206号室だそうです。
清掃の行き届いた廊下を歩いて、廊下の角を三つ曲がった所で病室が見えてきました。
病室の前にガッチリとしてムッキリとした自衛隊のお兄さんが護衛、もしくは監視をしています。
「お疲れ様です、御影学園生徒会執行部の依頼で来ました」
背筋をビシっとして立つお兄さんにメクルが生徒手帳を見せると、
「お疲れ様です! ご足労感謝します!」
背筋をさらにビシっと伸ばして敬礼をされました。
こんな女子高生にそんなに畏まらないでもと思いつつ、メクルはできるだけ笑顔で尋ねました。
「現在の彼女の容態とか分かりますか?」
「は! 対象は現在鎮静剤により昏睡状態にあります!」
「あら、もしかして暴れましたか?」
「は! 本日1030、担当の医師と看護師が中に入って点滴の交換中に対象の意識が覚醒、著しい混乱の症状の後、脱走を試みようと暴れ出したため、テイザー銃による無力化し鎮静剤を投与、現在、心拍モニターにて状況を逐次確認しております!」
「なるほど、わかりました、では三人で入ります」
「はっ! どうぞお気を付けて!」
ビシっと敬礼する自衛隊のお兄さんの横の扉を開けて二人が先に中へと進みます。
なぜかヒロとピーシーもビシっと敬礼してから、すれ違い様に「任務ご苦労」と肩を叩きます、偉そうです、年上の方に良くない態度だと思いつつメクルは丁寧にお辞儀をしてから中に入って扉を閉めます。
中はなかなか立派な個室です。
茶色と白を基調にした一室は、ちょっとしたホテルにも見える病室でした。
専用のバスルームにトイレ、ソファーにクローゼットに冷蔵庫もあります、壁にはテレビも掛かっています。普通のホテルと違うのは窓とカーテンがあってもその向こうは真っ暗という事ぐらいです。
「寝てるな、まぁそりゃそうか、10時半つったら30分前くらい前か」
現在午前11時、12畳ほどの部屋の窓際に設置された白いベッドの上で眠る入院着姿の黒髪少女がいました。
白いシーツを腰までかけて、両手をベルトでベッドに固定され、左の手首にはワイヤレスの心拍センサーのベルトが巻かれています。異常な心拍数を検知すると外の自衛隊のお兄さんや担当医師に信号が飛び、すぐに駆けつける仕組みです。
「見た感じ、私達よりちょっと年下くらいかな」
静かに眠っている彼女の顔立ちは、まだすこし幼さが覗えます。
「……メクル、このカルテ、見て」
ベッド脇に掛けられていたカルテを見ていたピーシーがメクルへと手渡しました。
「ん、何かあった?」
受け取ったカルテをメクルが眺めてる間にヒロが少女に近づくとおでこを触ったり、髪を触ったり、足の筋肉を触ったりしています。
どうやら昨夜の身体能力について興味津々のようでした。
「こらヒロ、寝てる人を勝手に触らないの」
「いやだってメクルも気になるだろ、昨日の動きとかよ」
「気にはなるけど……ん、あ、この子、感染症が確認されてる、コレラだって」
「コレッうおっまじかよっ!?」
ヒロが慌てて飛び退くと、慌てすぎて思わず後ろにすっころびました。
「慌てすぎ、保健委員が他の怪我と一緒に治療してたみたいだから大丈夫だよ」
昨夜、彼女は本当に死にかかっていました。
折れたあばら骨が胸の外へと飛び出してはいましたが、運が良かったのは飛び出すように折れた肋の反対側が肺や臓器に刺さっていないことでした。
おかげでヒロが運び込んだ時点でギリギリでしたが治療が間に合い、さらに運が良いことに治療の能力を持つ生徒が一人、病院へと来ていたので一命を取り留めました。
「ったく、なんだよ、ビビらせやがって……」
後ろに転がる程に驚いた事が恥ずかしかったのか、飛び起きるとまた黒髪少女へとちょっかいをかけようとベッドに近づき、パニック映画定番の死亡フラグを立てた、その時です。
「へ?」
眠っていたはずの彼女の目が、唐突にパチリと開いたかと思うとかけてあったシーツがフワリと宙へと舞いました。
一瞬の目隠し、その影で何かが動いたかと思うと、
「双方ら、動くな」
シーツが落ちると、そこには拘束されていたはずの少女が起き上がり、ヒロの腕を後ろへと取り、手にしたペン状の棒をヒロの眼球へと向けていました。
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