「おぉ痛ぇ、なんちゅう蹴りだよ本当に人間かっての……いや、いやいやいや、そんなわけねぇよな、ただの人間なわけがねぇ」
倒れていた4人の中から一人だけ立ち上がった男がいました。
最初にメクルへと絡んできた一番巨漢の男です。
その声に拘束した腕を放したアオメが膝を折り項垂れる男を尻目に振り返ります。
「ほう、あれを食らって立てるのか? 目方《めかた》からして他の男達より加減せずに蹴ったつもりだったが、なかなかに丈夫ではないか」
「俺はこれでも鍛えてんだよ、それにそいつらは俺が雇ったエキストラだ、ただの一般人、なのにあぁあぁ問答無用でやりやがって……、後で慰謝料と治療費と……これでこっちは大赤字だよったくよう」
ここに現れた時の子供じみた雰囲気は消え去り、蹴られた顎を摩りながら、もう片方の手を二人へと向けました。
「まぁそれでも、これで依頼は完了だ、悪くおもわんでくれよ、お二人さん」
差し出された手にスマートフォン、画面には通話中の文字が『ここで止まれと』赤信号のように点っていました。
撮られていました会話だけではなく、おそらく映像も。随分な手際の良さです。
「……最初から全て演技だったわけですか」
メクルが問いかけると、巨漢の男は悪戯を成功させた子供のように微笑んで一度頷き、
「なかなかのテンプレなチンピラ具合だっただろ?」
満足そうに男は辺りの状況を見回すようにカメラで撮影し、またメクル達にスマートホンを向けました。
「依頼内容は私達の実態調査及び、できることなら時間的拘束といったところですか」
「そゆことだ、まさかこれだけやって一般人で通すのはさすがに無理だよな」
「彼女が実は世界でも活躍する凄腕の格闘家だった、とか?」
「ねぇなぁ、それはねぇよ」
と、男はベッコリと凹んだ貯水タンクにスマホを向けます。
特殊な合金で作られたタンクには、食パンへ指でも押し込んだようにアオメの足跡がはっきりと残っていました。明らかに一般的な常識の範疇ではありません。
「……ですね、厳しいです」
たしかに言い訳のしようがない状況でした。
アオメへの注意や説明を怠った見事なまでのメクルの落ち度でした。
「むぅ? つまり、どういう事なのだ? こやつはただの悪漢ではないのか?」
二人のやりとりに状況を飲み込めないアオメをメクルが補足します。
「この人は学園内で調べ事でお金を稼いでる……分かりやすく言うと密偵だね」
「み、密偵!? こんな目立ちそうな奴がか!?」
密偵のイメージが男の風貌がかけ離れていたのか、青い目を丸くしてアオメは驚くのでした。
「良い値段だったぜ、お前らの情報」
「MEMEですか、幾らで買い手がでたんですか?」
「それは言えねぇな、守秘義務ってやつだ」
ただの学生にしては随分なプロ意識をもった男でした。
「メクル、なんだそのミームというのは? 複製可能情報? 翻訳はされるが、よくわからん」
「あ、そうだね、ここでのミームは、他の脳に複製可能な情報って一般的な方の意味じゃないんだ」
アオメの脳内翻訳に引っかからないのも無理はありません。それは一般的ではない造語の一種です。
「ミームっていうのは、学園内の情報を個人や団体が非合法にやり取りしてる場所で、この人はそこで情報を売ってる人……あ、よかったらアカウントぐらいは教えて貰えますか?」
ミーム、その実態は情報マッチングサイトです。
御影裏アプリで接続できるダークウェブ内に点在する情報マッチングサイト『MEME』は学園内情報の売買を目的に何者かが立ち上げたサイトです。
ルールは買いたい情報を金額と共に提示し、売り手はサイトを通じて相手に情報を提供し、買い手は持ち寄られた情報から『信じたい』情報をクリックして支払い、そして後日、その買い手を必ず評価《ホシ》を付けること。
「残念だがアカウントも教えられねぇな、ま、俺の仕事はここまでだから、あとは依頼主に聞いてくれや、ほれ」
まるで手に取れと言うように差し出されたスマートフォンに、メクルは逡巡するもすぐに手に取りました。
「……わかりました、後はこちらで話をつけます。けど貴方にはもう少し付き合ってもらいます」
「そりゃ無理だ、俺も忙しい身だからよ、ここらで帰らせてくれねぇか」
「そうはいきません、アオメ」
「よくわからぬが……任されよ」
「…………わかった、そのお嬢ちゃんに凄まれたら逃げられる気はしねぇよ、ここで大人しくしてるよ」
この男の対処は後に知り合いに頼むとして、それより問題はこの電話の先にいる人間でした。
メクルはスピーカーモードから切り替えて耳へと当て、「もしもし」と応えると、声はすぐに返ってきました。
『――初めまして、綴喜メクルさん』
深く、甘い、声でした。
耳裏に吹きつける風の音、ふわりとした優しい声色で男が続けます。
『こんな風に手荒な手段をとってしまい、本当にすみません』
スマートフォンから流れてくる声は本人に似た声を機械が再現しているだけ、なのに、彼の声は穏やかに囁く春のようで……。
『本当は会って直接話したかったのですけど、状況が状況ですから』
落ち着いた声でした。
今から始まる問答に備えているような、丁寧でいて深く落ち着いた声です。
メクルは息を深く吸って呼吸を整え、頭を整理します。そして、
「……初めまして、よければ名前を教えてもらっても?」
まずは大事なご挨拶からです。
『あ、えっと、そうですね名前が無いと呼びづらいですよね、ではそちらで呼んでいる名前で構いません、僕は貴女達の間ではなんと呼ばれているのでしょうか?』
どこか惚けた空気を漂わせつつ、丁寧な口調で返される問いに、
「さぁ? 私は貴方がどこの誰なのか検討もつきません、とても落ち着いた声ですね、もしかして学生ではなく成人された男性のかたですか?」
こちらも惚けて見せると、電話口からクスリと小さな笑いを男が漏らします。
『なるほど、では話をもっと早くしましょうか』
自分の言葉を理解させる小さな間を置いてから、男はさらに深く落ち着き払った声で言いました。
『演劇部の影柄輝男君を殺したのは、僕です』
風も吹かない水面のように揺れず、ただ静かにそう言うのでした。
メクルの頭に浮かぶのはあの日の光景、今でも鼻腔に残る腐った残り香。
「……殺したのは、彼だけですか」
『あぁそうですね、田中君のお父さんも僕が殺しました、二人です、これで誰か分かってもらえますか?』
どこか照れくさそうに『殺した』と彼は続けました。
まるでなにかのついでに殺したかのように、声色は後悔の欠片もなく、ただ淡々と告白を続けます。
『その他には殺していません、まだ、ですが』
「まだ、ですか……でも殺人を認めるんですね?」
『ええ、認めます、僕が殺しました』
「何故、殺したのですか?」
『必要のない人間を、必要なので殺しました』
必要なので殺した?
その答えにメクルの中で組み上げられつつある男の人物像が歪みます。
「……そうですか、影柄君は最後になんと言っていましたか」
『さぁ? 最後の言葉を聞いたのは貴女達のはずですが』
温和、冷静、それでいて殺人を躊躇わない冷淡な人格。
現状への理解、接触におけるリスク、それを鑑みて情報サイトを使っての一手。
知能指数は高め、判断力が強く、情報収集から行動における早さもある。
「そうですか……そうですね、では私達は貴男の事をこう呼んでいます」
手に浮かぶ汗を握りしめながら、メクルは続けます。
「死者を蘇らせる者、命を操る男、貴男の名前を私達は死者蘇生《レイズデッド》と呼んでいます」
御影学園の生徒であり、影柄君の仇であり、一連の蘇生殺人事件を引き起こした犯人であり、
「貴男が、レイズデッドですか?」
問いに、反芻するような微かな間を置いて、
『――はい、僕がレイズデッドです』
死者蘇生、生命操作、破格のチート能力を持つと認めた男との、対話が始まったのでした。
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