黒狼（こくろう）による加速は瞬時に明久を射程距離に捕らえます。

　次は何も持たず、何も握らず、ただシンプルに、ヒロは拳を撃ち出しました。

　間合いを詰められた明久が手にしていた刀をその場に手放すと、左右の脇差しを抜きました。刃渡り２０センチ程の短い刀、それを振り下ろしヒロの拳を打ち弾（はじ）くと、蹴られた時と同じように甲高い金音が御影城の夜闇に響き渡ります。

「まだまだっ!!」

　ヒロは続けざまに拳を打ち続けました。

　右、左、右、左、シンプルに、ただ早く、ただ早く。

　夜闇の城に木霊する拳と刃の乱舞音。

　牙が刃鳴（やいばな）らし、火花散らす拳と刀の剣戟（けんげき）に辺りの土煙りが吹き上がり立ち登る。

　コンクリートを易々と打ち砕く速拳の連打、対して明久はただの脇差し二刀流の構えにて防戦。

　殴る、弾（はじ）かれる、

　殴る、叩（たた）かれる、

　殴る、逸（そ）らされる、

　殴る、落（お）とされる。

　常人離れの連続攻防、打ち合い、落とし合う、爪を突きつけ掻き合う獣同士の戦いのようでした。

（やろう、俺の連打についてきやがる）

　拳速に自信がありました、三十センチ離れた位置から撃たれた弾丸を指先で掴める程の動体視力と拳です、ならば両拳の連打はマシンガンを撃ち続けるのに等しい猛攻、それを目の前の男、明久は悠々と叩き落とすのです。

（磁力で籠手と小刀の速度を上げてるだけじゃねぇな、拳が来る位置を把握してるみてぇだ）

　いくつかフェイントを混ぜても騙されることなく着いてきます。

　なばらばと、ヒロは打ち込んでいた拳を突如止めます。

　明久の胸元で止めた両の拳を開くと、巨大の拳の爪先はその顎先にまで伸びます。

　竜の顎、噛めば岩を砕く握力と肉を抉る爪、ヒロの狙いはその喉元への握撃。

　弾かれるのなら食らいつけ、掴んで砕いて投げ飛ばせと、紅竜は主人に従い顎をバクリと閉じます。

　然し、顎は空を噛みました。

　食いつくはずだった明久の身体が、何かに引っ張られるように後ろへと飛んだのです。

　予備動作はなし、まるで重力など無いようにふわりと間合いを離されます。

（胴体に鎖帷子かなにか着けてんな……、いい能力の使い方だ）

　空気を噛んだ両手を下げて、ヒロは再び拳を前に構えます。

「さすが殿様だな、喧嘩慣れしてるじゃねぇか」

「お主もな、南蛮の娘……だがそろそろ視えてきたぞ」

　距離を取られ、間合いを図りながらこちらを睨む明久の視線。

　その視線に、なにか嫌な予感がありました。

　気味の悪い視線、まるでなにかを見聞するような、身体の中を探られるような目、じっとりとした目つき。

　皮膚を通過し、中身を舐るような視線、ヒロの背中がゾクリと泡立ちます。

「……ふむ、娘よ、肺腑（はいふ）を痛めておるな？」

「ん……？　……お？」

　何故知っている、何故わかった？　そんな僅かな疑問がヒロの思考を掠（かす）める、その刹那にも満たない僅かな隙を明久は逃しませんでした。

　腰を切るような動作、あの一撃、しかし間合いは四歩半、届くわけがない……、そうヒロが思った時には既に明久の右脚の加速は終え、横薙ぎに放たれた足刀（そくとう）が、

「うおっとっ!?」

　間合いが消え、落雷を彷彿とさせるた一撃が脇腹へと迫る中、唯一反応できた両脚の黒狼（こくろう）が主人を護ろうと身を挺します。

　持ち上げた左膝にて受け、衝撃を逃がすために飛ぶと、黒狼の動きに呼応して紅竜も両手をついて側転、キュルキュルと体操選手のように回って衝撃を殺してから、ヒロに距離を取らせました。

　無音、無動作で間合いを詰める鉄草履のスライド移動。

　思ったより、これが厄介でした。

「これも受けたか、胸の傷は身体に触ってはいないようだな……よい、実にいいぞ、南蛮娘」

「あああぶねぇ……へっ、なんだよおっさん、こんな時に俺の胸なんか見てたのかよ」

　否、胸を見たくらいで分かるはずがありません。

　確かにその昔、片方の肺を痛めた事がありました、敵の一撃が肺を貫通し、その時は生死を彷徨いましたが、今では治療の能力者のおかげで治癒しています。外見から見てわかるものではありません。そもそもピーシーと違い、しっかりと肌着を着ているのですから。

「性分でな、人体の構造は四肢を除いて普通の人か、肺腑にまだ少し傷跡がある、なるほどなるほど、大分解ってきたぞ」

「ちっ、気持ち悪いなぁ、お殿様てのはお医者さんごっこが好きなのかよ」

「医者？　そうさな、金瘡医（きんそうい）の真似事ぐらいならできる、だがもっぱら得意なのは……、――解（・）剖（・）す（・）る（・）ほ（・）う（・）だ（・）っ（・）た（・）が（・）」

　そう言うと、男は背負っていた野太刀を抜きました。

　それも手など使わず、刀が独りでに鞘から動き出し、その刀身を現します。

「司源刀（じげんとう）――夜鵠丸（やこうまる）、南蛮娘、こやつは滅多には使わぬ、誇れ、誉れとするがいい」

　月光に青光りする刃先、長さにして９０センチの刃渡り、鞘の長さに対しては明らかに短く、重量にして恐らく５キロはある刀身が空を飛ぶと、明久は身体に括り付けていた鞘紐を解きました。

　すると鞘も身体から離れて宙へと浮きます。鉄です、鉄でできた鞘です。

　宙に浮く青光りする刃が柄から外れ、鉄の黒鞘の中へ逆さに収まると、一本の武器へと変わりました。

「……ふーん、刀じゃなくて、薙刀（なぎなた）か」

　長さは２メートルと半、薙刀となったそれは明久の両手に収まります。

「左様、待たせたな……、では死合うとしよう、名乗れ、南蛮娘」

　向けられた殺意の視線、鋭く、重い、確かな意図。

　さらに互いの命に踏み込むために宣言せよと、男が頬を釣り上げ嗤った。

　久しく感じてなかった、命の一線に触れ合う感覚、ヒロも小さく嗤って答えました。　

「――異世界対策特殊委員会（いせかいたいさくとくしゅいいんかい）、図書委員（としょいいん）、皇之火色（きみのひいろ）だ」

　宿した神獣の四肢を構え、拳を構え、ヒロは名乗りました。

　名乗りに、男も手にした薙刀の柄で地面を突き、胸を張り応えます。

「我が名は磁祈明久（じきあきひさ）っ！　御影五十万石の御影城が城主にして御神の血筋を継ぐ者なり！」

　手にした大薙刀を宙へと浮かせて回転させながら高々と名乗りを上げ、

「我が牙城に迷い込んだ南蛮の化生よ！　いざ尋常に！」

　互いの間合いは五歩と半。

　勝負と呟くと同時、明久が腰を落とし薙刀を構えました。

　――瞬間、刃先が目の前に来ました。

「ちっ!」

　疾突、ただ真っ直ぐに薙刀を突く、しかしその動作、その初動が余りにも静かで、早く、ヒロの反応が僅かに遅れました。

　五歩半の間合いはいくらリーチの長い薙刀でも二歩を詰めねばまず当たらない距離です、二歩進めば動きを察知することは容易、しかしその刃先はヒロの喉元に迫るまで気配を悟らせませんでした。

　あるはずの間合いが消失させる、この技。

「……ほう、今のも避けるか」

　ヒロが後方へと飛べたのは両脚の黒狼の鼻が嗅ぎ取った尋常ならざる明久の殺気のおかげでした。

　両腕の紅竜も今の一撃に鱗を震わせヒロを叱咤（しった）します。

（わかってるっての……しかし厄介だな）

　届かないはずだった二歩を埋めたのは、滑るように動くあの足です。

　鉄板を仕込んだ草鞋が本来の摺り足で詰める間合いを音も、動作も無く詰め寄る、無音無動の歩方（ほほう）。

　全ての行動には初期動作があります、足、呼吸、重心。

　それらをまったく察知させない移動術による接敵、首突（しゅとつ）、そしてあの横薙ぎの足刀も、手甲による手足の加速も、全てが巧い。

「良い、久しくなかった高ぶりよ、儂は楽しいぞ、南蛮の化生よ……ではこれはどうだ？」

　ヒュルと風を斬る音。

　再びの高速突き、それも今度は一度ではありません。

　ヒロの高速の拳に追いつくほどの剣戟を見せた、あの加速をもっての連続の牙突。

　思わず後方へ、後方へと逃れるヒロを追いかけ、放たれる五月雨の如き乱れ突き。

　黒狼が器用に後方へと飛び退くおかげでなんとか回避できている状態でした。　

「くそっ、スルスルと移動しやがって、てめぇはドムか！」

　某ロボットアニメに登場するMS（モビルスーツ）に例えて悪態をつきながらもヒロはとにかく後方へと飛びます。

　しかし明久は両足でホバリングするかのように直進し、時には方向を変えヒロを壁際へと追い詰めます。

　やがて先ほど自分が落ちてきた場所、城壁の石垣にまで後退させられ、後が無いヒロが突如叫びました。

「撃（・）つ（・）な（・）メ（・）ク（・）ル（・）っ!!」

　城壁の上、開けた穴よりメクルが銃を構えていました。

「こいつの力は恐らく磁力だ!!　銃は止めとけ！　持ってかれるぞ！」

　ここなら充分にＭ９でも射程距離、必中と思ったメクルが引き金に掛けた指をかけていました。

「……わかった！　でもその子には時（・）間（・）が（・）な（・）い（・）！　胸部が開放骨折してる！　出血も酷い！」

　逆側の壁際、あの脚撃をもろに受けた少女へとヒロが視線を飛ばします。

　僅かに動いています、が、折れた骨が胸の外へ飛び出し、もしかすると肺にも刺さっているかもしれません。

　時間を稼げば照明弾の明かりを見た誰かが恐らく応援に来るでしょう、しかし少女に残されている時間は？　呼吸が止まるまで１０分？　

　５分？　それとも数十秒？

　ヒロの中ですべき事、助けたい者、優先すべき事柄がどっちなのかを逡巡します。

「メクル！　スモークだ！　ありったけ撃て！」

　叫びと同時に迫る明久に向けて砂利を蹴り上げました。

　威力は小さくとも磁力に影響されない石礫の一投は功を成し、明久の前進を僅かに止めます。その隙に、ヒロは続けざまに砂利を両手で握りしめました。

「ほう」

　ヒロの思惑に気付いたのか、明久は後方へと下がりながら、手にしていた薙刀を宙に投げるとそれを高速で回転させ始めました。そこへすぐさまヒロが投げた砂利の散弾が襲います。先ほどのように横に滑って避けるのではなく、薙刀を皿のように構えたのは、間合いの近さと同時に放たれた二倍の礫のためでしょう。

　後方へと滑り間合いをとり、的を小さくし空中で回転する薙刀が盾とするその判断の速さ、戦闘センスにヒロは思わずまた笑いそうになりました。

（つええ、本当につええよ、くそっ、楽（・）し（・）い（・）っ（・）！　もっとやりてぇ！）

　殆どの砂利は弾かれるも、運良くすり抜けた一粒がありました。

「ぐっ」

　僅かに一粒、しかしそれはしっかりと明久の瞼を打ちました。

　ダメージは軽微、しかし好機、ヒロは黒狼に加速を命じます。

　身体を前へ、風よりも速く、今はとにかく疾く奔れ！

　ヒロは飛ぶように前へ、明久の後方へ向けヒロは走り出しました。

「わりぃなおっさん！」

　すれ違い様に一言残し、ヒロは明久の後方へと抜けます。

　それを追うように壁穴から射出された円筒の弾が辺りへと転がります。

　メクルがランチャーに装填しておいた煙幕弾６発は、白い煙を吐き出しながら転がり、広場を煙で埋め尽くし、視界を遮りました。

「ヒロ！　応援の部隊が来るからそれまで逃げ回って!!」

　背後から聞こえるメクルの叫び声を聞きながら、ヒロは煙より早く少女まで走り寄ると、急いで抱きかかえます。

　迫る煙に振り返ると、黒狼が逃げろと主を促しました。

　煙の中、こちらへと迫る気配を感じ取ったのです。

「おいおっさん！　今日の喧嘩は預けたぜ！　また今度なっ!!」

　返事とばかりに煙の中から一本の脇差しが飛来しました。

「うひょっ!?」

　少女を抱きかかえたまま、ヒロは飛んできた刀を宙へ蹴り飛ばしました。刀の腹に向けて蹴りを見舞うと、空中でかち合った狼脚の一撃に脇差しはパキリとへし折れます、冷や汗を流すヒロに対し、さぁ褒めろと黒狼が主人に心の中で催促してきました。

「化生の娘よ!!　楽しき喧嘩であったぞ!!　それは礼だ！　受け取ったか!」

　やろう、言いやがるぜ、とヒロが叫び返そうとしましたが、黒狼が無理矢理主人を動かします。

「はいはい、わかってるよ、逃げます逃げます、あーくそっ」

　心配性の従者の忠告に従い、ヒロは少女を抱えたまま城壁の外へと飛び、夜闇へと紛れました。