愛とシュークリームは世界を救う ムダに壮大な設定のホームドラマ

公開日時:2022年11月2日(水) 22:28更新日時:2022年11月2日(水) 22:28
話数:1文字数:5,747
ページビュー
86
ポイント
9.5
ブックマーク
1
レビュー
0
作品評価
N/A

「今日はみんなに話したいことがあります」


 夕飯の跡片付けを終えたママは、家族を居間に集め、おもむろに切り出した。


「ママは今日を持って、この家を出ます」


 ソファに寄りかかっていたぼくと妹は度肝を抜かれ、のけぞる。


「今まで黙っていたけれど、実はママは光の国の巫女で、いずれ国に帰らなければならない約束だったの。これまでその期限をずっと先延ばしにしてきたけど、とうとうごまかせなくなってしまったのよ」


「なんてね、驚いた?」とママが冗談めかして言うのを待っていたけど、ママからはそんな気配がちっとも感じられない。パパはといえば、座布団にあぐらをかいてむっつり黙っている。あらかじめ話の内容をわかっていたみたいだ。


良夫よしおれい、元気でね。あなたたちは私の誇りよ」


 ママはそれだけ言うと、すっと立ちあがり、いつのまにか用意していたスーツケースをゴロゴロと引いて、出て行ってしまった。ぼくと妹が追いかけて「ママ、待って!」「どうして!?」と呼びかけても振り返りもせず、マンションの廊下の向こうのエレベーターに吸いこまれるようにして、消えてしまった。


 ぼくたちは困り果て、パパを見つめる。パパはエヘンと咳払いして、切り出した。


「実はパパからもお話がある」


 ぼくはすごく嫌な予感がした。


「今まで隠していたが、パパは闇の国の帝王で、いつかはもとの国に戻らねばならない身分だったのだ。ママがいなくなったことで決心がついた。でも、お前たちのことは心から大切に思っているぞ。達者でな」


 パパはテーブルの下から大きなカバンを取り出して肩にかけ、悠然と出て行った。さすがにまずいと思ったぼくは必死に引きとめたけれど、パパは聞く耳をもたない。去り際に「お前たちのことはすべて管理人さんに任せてあるから、心配するな」と言い残して、エレベーターに吸いこまれた。


 ぼくは途方に暮れた。10歳のぼくと7歳の妹で、どうやって暮らしていけっていうんだろう。こんなことになって、いつ妹が泣き出すんじゃないかとハラハラした。


 意外なことに、妹は泣き言ひとつ言わなかった。


 それどころか……


「おい、ヨシオ」


 と初めてぼくのことを呼び捨てにし、


「シュークリーム食べたくなったから、買ってこい」


 ふんぞり返ってそう命令した。ぼくは耳を疑った。


「ど、どうしたんだよ零……あ、そうか。こんなことになって気が動転しているんだな。わかるよ。ぼくも今、アイスクリームを爆買いしたい気分だ」


「は?」と眉を吊り上げる妹。


「なに知ったような口を利いている。わかってないのは、お前のほうだぞ」


 ぼくは戸惑いを隠せない。いつもお兄ちゃんお兄ちゃんとかわいらしくぼくの後をついてきた妹と、目の前の妹は、姿は同じでもまるで別人のようだった。


「ま、無理もないか。私だって、たった今覚醒したばかりだからな」


 ぼくはなぜか座布団に正座させられ、仁王立ちの妹に見下ろされる。


「いいかヨシオ。パパとママが言っていたことは冗談なんかじゃない。全部本当のことだ。ママは光の国の巫女で、パパは闇の国の帝王だった。決して相容れない世界にいたふたりがなぜ結ばれることになったか、わかるか?」


「全然わからない」


 パパとママの出会いのきっかけも、妹がどうして急に偉そうな口調になってしまったのかも。


「シュークリームだ」


 妹はぼくの疑問を置いてけぼりにする。


「あれはヨシオが生まれる3年前のことだった」


 妹は唐突に語りだした。


「金曜の夜、一軒のケーキ屋でふたりは出会った。ママの甘いもの好きは言わずもがなだが、パパもその週は仕事が立てこんで相当疲れていたのだろう。無性に甘いものが食べたくなり、ぶらりとその店に立ち寄った。


 しかし、閉店間際の遅い時間だ。ケーキというケーキは売り切れ、残っているのはシュークリームがたったの一つだった。もう、わかるよな? パパとママはそのシュークリームに手を伸ばし、譲り合い、結局この日はじゃんけんをして勝ったママがシュークリームを買った。それで、店の外でふたりで分け合って食べたんだよ。


 パパはそのシュークリームの味が、というかママのことが忘れられなくて、次の週も、その次の週もケーキ屋に通った。ママのほうもまんざらじゃなくて、金曜の夜に現れるパパを心待ちにするようになった。


 モンブラン、いちごショート、ミルフィーユ、チーズケーキ……なぜかふたりがやってくる金曜の夜だけ、種類はちがえど1個のケーキしか残っていなくて、譲り合っては半分こして一緒に食べるということが繰り返された。まあ、種明かしをすればパパと店員が手を組んでいたわけなんだが。そうして、ふたりは仲を深めていったのさ。


 悲劇はここからだ。恋は実り、いよいよ結婚しようというときになって、ふたりはお互いの境遇を初めて知った。巫女だの帝王だの、特殊すぎる職業だからな。本当に添い遂げる覚悟がなければ明かせないことだったのさ。まさか相手が日夜戦い続けてきた敵だったなんて、夢にも思わなかっただろうがね。


 しかしふたりはあきらめなかった。ロミオとジュリエットって知ってるか?……知らない? まあいいや。とにかく乗り越える試練が大きいほど、恋は盲目になるものなんだよ。ちがうな、これはヴェニスのほうだった。いや、知らないならいい。


 ふたりはあちこち駆けずり回り、根回しをして、どうにか二国間に当面のあいだ休戦協定を結ばせた。もちろん、親は大反対だったよ。だけど、どうしても一緒になりたかったパパとママは知恵を使った。結婚を認めれば、いずれ相手の国が手に入るように思わせたんだ。その目論見は上手くいき、どうにかめでたく結ばれたってわけさ」


 妹(と呼んでいいのかもうわからない女の子)はふうと息をつき、「わかったか?」とぼくを見た。


 パパとママのなれそめを聞くなんてちょっと恥ずかしいような後ろめたいような気がした。けど、そんなことよりずっと気になる問題がある。


「どうしてぼくよりあとに生まれた零がそのことを知っているんだよ? 計算が合わないじゃないか」


「お前が疑問に思うのも無理はない」


 女の子は不思議な貫禄をたたえて、ぼくを見下ろす。


「いいだろう、血を分けたよしみで教えてやる。私は大いなる意志の使いだ」


「大いなる、意志」


 すでに十分変てこな状況にいるせいで、あんまり驚けない。


「高次の存在といってもいい。パパやママよりもさらに上の大きな存在だ。本来は個ではないのだが、非常時にはこうして一部を切り離し、地上に送りこむ」


「今は非常事態、というわけ?」


 大いなる意志はうなずく。


「というより、パパとママが一緒になると決めたときから、かなりの非常事態ではあった。これまでにない太平の世か、これ以上ないほど悲惨な状態になるか、究極の二択だったからな。後者に転んだ場合、私の中の大いなる意志が覚醒するように仕組まれていたのだよ」


「パパとママが離れ離れになったのがきっかけだったってこと? そんな急に言われても信じられないんだけど」


「別に信じてくれなくても構わない。どの道、私のやるべきことは変わらない」


「やるべきことって?」


 背中をつーっと冷たい汗が流れる。


「私の仕事は、この世界をリセットすることだ」


 大いなる意志は皮肉な笑みを浮かべた。


「光の国の民と闇の国の民がぶつかって本格的な戦争が始まれば、この世界はとんでもなく凄惨な未来を迎えることになる。その前にすべてゼロにするのさ。最初からやり直して、全面戦争が起こらない、クリーンな世界をつくる」


「そんな、なかったことにするっていうのか!? パパとママの出会いも、ぼくと零の思い出も全部……」


「私にはどうすることもできない。時が来たらすべてをゼロにすることしか」


 大いなる意志、いや零は、瞳をうるませながら言った。


「だからお兄ちゃん、パパとママをもう一度くっつけてあげて。戦争を止めて、世界を救って!!」


 ぼくははじかれたように立ち上がり、家を出た。でもどうしたらいいのかわからなくて、玄関の前でおろおろしてしまう。


 どこかからカレーの匂いが漂っている。窓を開けているのか、小さい子のキャーッという歓声が聞こえてくる。週末の、ふつうの夕飯時だ。戦争だの、世界の終わりだの、やっぱりうそなんじゃないかと思えてくる。


「何してるんだヨシオくん。隣の姉ちゃんなら引っ越したぞ」


 突然声を掛けられ、ぼくは飛び上がった。管理人さんがすぐそこに立っていた。考え事をしていたせいで気づかなかったみたいだ。


「べ、別にお姉さんに用があるわけじゃ……」


「そうか? 気難しい顔で右往左往してるから、てっきり告白でもするつもりなのかと思ったよ」


 たしかに、ぼくの家の隣にはちょっときれいなお姉さんが住んでいて、時々おしゃべりすることはあった。引っ越しちゃったのか、残念だな。


「いや、そんな場合じゃなかった。管理人さん、ぼくのうち大変なことになってるんです。パパとママが出て行っちゃって……」


「ああ、知ってるよ。さっき君のパパから連絡が来たからね。君たちを保護してほしいって。もうじきここは戦場になる」


 なんだ、何も知らなかったのはぼくだけか!?


「はい、でもぼくはこのまま引き下がるわけにはいかないんです。でないと、リセットされちゃう」


「リセット?」


 管理人さんは眉をひそめる。大いなる意志のことは知らないみたいだ。


「とにかく、パパとママを止めなきゃいけないんです」


「気持ちはわかるが、大人の世界の話だ。君ひとりがあがいたところで、どうにもならないだろう」


「そうかもしれないけど、ああ、どうしたらいいんだろう……」


 シュークリームだ、という妹の声が蘇る。


「そうだ! 管理人さん、パパとママが出会うきっかけになったケーキ屋さんのこと、知ってる?」


「ああ、たしか商店街の安寧堂あんねいどうって店だ。それがどうかしたかい?」


 さすが、ぼくらの後見人だけのことはある。


「そこのシュークリームを買ってパパとママに食べさせれば、思い直してくれるかもしれない。ああでも、ふたりがどこにいるのかわからないや」


「知ってるぞ」


 と管理人さんが得意げに言う。


「え、なんで!?」


「このマンションの管理人だからだ。君のママは最上階に、パパは地下1階にいる。届け出もされてるぞ。ヨシオくん、追いかけてみなかったのか?」


「いや、だって」


 そんな近くにいるとはふつう思わないよ。


「光の国の拠点と闇の国の拠点が同じ建物の中にあるなんて、おかしな話だよな。どこまで張り合えば気が済むのやら……つまり君たち家族は、その二大勢力のちょうど中間にいて監視されていたわけだが」


 ゾッとする話だけど、今は構っていられない。ぼくは管理人さんに妹のことを頼んで、夜の街へ飛び出した。安寧堂を目指して。




 こんな時間にひとりで出かけたことはなかった。酔っ払ったおじさんや、派手な格好のお兄さんとすれちがうたび、ぼくはびくついた。それに、夜の闇が街灯のあいだを縫って、ぼくを追いかけてくるような気がした。パパが闇の帝王ならぼくはその息子なのに。暗闇は苦手だ。


 商店街に入り、ようやく安寧堂という店を見つけたとき、ぼくはほっとして座りこみそうになった。でも、そんな暇はない。


「いらっしゃいませー」


 店員さんの明るい声が響く。どこかで聞いたことのある声だなと思ったら、なんと隣に住んでいたお姉さんだった。


「あらヨシオくん、こんなところで会えるなんて! ごめんね、急な引っ越しだったから、挨拶もできなくて」


「お姉さん! ここの店員さんだったの?」


「ええそうよ。もう暗いのに、ひとりで歩いてきたの?」


「うん。実は今、ぼくのうちが大変なことになってるんだ……」


「知ってるわ」


「えっ、なんで!?」


「店長に聞いたの。パパとママ、仲直りしてくれるといいわね」


「う、うん。ありがとうお姉さん」


 もっとしゃべりたい気持ちは山々だったけど、急いでいたので「シュークリーム1個ください」といってお金を出した。財布の中身の半分にあたる、216円。


「よかったね、これ最後の1個よ。あ、そうだ、新作ケーキの試食、してみない?」


 ぼくは今にも走り出したかったけど、お姉さんとケーキの誘惑には抗いきれなかった。一口ぐらいならいいよね。


 お姉さんがスプーンに乗せて手渡してくれたケーキは、黒と白が混ざり合って、奇妙なことにきらきら輝いて見えた。ぼくはなぜだか少し緊張して、それを口に運んだ。


 甘くて、しょっぱくて、クリーミーで、ほろ苦い。


 それはいろんな味がする、とても不思議なケーキだった。


「これ、ユーゴーっていう名前なのよ。変わってるでしょ? 昔、仲の悪い家柄どうしの男女が恋に落ちてね、店長がどうにかしてあげたいと思って、ずうっと考えてた作品なの。これを食べると、世界が平和になるんだって」


 笑っちゃうよね、というお姉さんの声が遠くなっていく。ぼんやりした意識の中、ぼくは自分の中に拮抗している何かが一つに溶けあっていくのを感じた。






「良夫ったら、こんなところで寝たら風邪ひくでしょ」


 ママに揺り起こされ、ぼくはソファーで目を覚ました。


「あれ、帰ってきたの?」


「なに寝ぼけてるの。ママは今日、ずっと家にいたじゃない」


「ただいま」とパパが玄関からやってくる。


「久しぶりに安寧堂のケーキ買って来たぞ」


 わーっと妹が自分の部屋から走り出てくる。


「あたし、ミルフィーユ! あ、やっぱチョコもいいな」


「おいおい、ひとり1個だぞ」


「いいじゃない。どっちも半分こにすれば」


「半分こか。それもいいな、ママ?」


「ええ、なんだか懐かしいわね。でも4個あるんだから、4分よんぶんこじゃない?」


「たしかに。家族みんなで4分こか! でも、シュークリームを4等分するのは難しいぞ。中のクリームがあふれてしまう」


「あら、いいじゃない。安寧堂のシュークリームは、あふれるぐらいたっぷり入っているカスタードクリームが売りなんだから」


「ねえ、早く食べようよ!」


 これって……すべてうまく収まったってこと?


 なんだかまだ眠くてそのままうとうとしていたら、零がとことこやってきて、


「お疲れ様」


 と言って、ぼくの口にシュークリームを押しこんだ。


「何するんだよ」って言おうとしたら、カスタードクリームの優しい甘さが舌いっぱいに広がった。


 よかった。ぼくの小さな世界は平和になったんだ。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

コメント

コメントはありません。

エラーが発生しました。