「ところで、カルロス王子はもうこの国にお着きになっているの?」
「はい。昨夜のうちに着かれたそうですわ。一晩迎賓館にお泊りになって、そちらで昼食を済まされた後、午後の謁見のお時間に陛下や姫様にお目にかかるそうです」
午後の謁見は二時からである。リディアは懐中時計で現在の時刻を確かめた。
もうすぐ二時。リディアも昼食を済ませてから身支度を始めたので、ちょうどいい頃合いである。
金色の靴を履いたリディアは、「そろそろ時間ね」とデニスに告げた。頷いた彼は、わざとらしく口調を変えて言う。
「では、この先は自分が責任を持って警護致しますので。姫様、参りましょう」
「……ええ」
謁見の間、つまり玉座の間へ向かう途中、リディアはデニスに小声でツッコんでいた。
「急に態度を変えられたら、わたしの方がやりにくくて仕方ないんだけど」
「仕方ねえだろ。これが仕事なんだから」
言い返すデニスも、小声ではいつもの砕けた口調に戻る。二人の関係は既に知れ渡っているので、今更コソコソしても始まらないだろうに。
――それはさておき。
「デニスも、今日はとってもステキよ」
リディアの言う通り、彼もこの日は礼装をしていた。
刺しゅうの施された青い詰め襟の上着に白い下衣、黒のブーツ。それも、いつもの泥で汚れた編み上げブーツではなく、ピカピカに磨き上げられたブーツだ。
「えっ、そうか? オレは似合わねえなと思ってたんだけど」
「ううん、とってもステキよ。あなたの肌の色にも、髪の色にもよく合ってるわ」
レーセル帝国近衛軍団の伝統的な礼装を、褐色の肌をした彼が着ると、いつもに増して異国風に見えるから不思議だ。
「そうか? ありがとな。オレはこんなの着慣れないから、肩こって仕方ねえよ」
「それくらい我慢しなさいよ。仕事なんだから」
――とまあ、小声で漫才(?)のようなやり取りを続けるうち、二人は城の一階中央にある大きな両開きの扉の前に到着した。
デニスが扉をノックし、「姫様が参られました」と中に声をかけると、中から兵士の声で「どうぞ、お入りください」と返事が返り、扉が開けられた。
リディアは姿勢を正すと、ドレスの裾を両手でつまみ上げ、玉座に座る父・イヴァン皇帝の隣りまで胸を張って歩いて行く。前を歩く護衛官デニスの先導によって。
「おお、リディアよ。来たか。――カルロスどの、紹介しよう。これが私の一人娘で我が国の次期皇帝、リディアだよ」
父に「カルロスどの」と呼ばれた褐色肌の青年に向かって、彼女は優雅に自己紹介をした。
「初めまして、カルロス様。レーセル帝国へようこそおいで下さいました。わたしはこの国の第一皇女、リディア・エルヴァートでございます」
腰を屈めて深々とお辞儀すると、その美しさに、隣国の客人達の中からは「ほう……」とあちらこちらからため息が漏れる。
顔を上げたリディアは、青年の顔をまじまじと眺めた。
デニスと同じような褐色の肌に赤い髪、茶色の瞳をしている。ただ、髪はカルロスの方が長いし、肌の色もデニスより彼の方が若干濃い気がする。多分、こちらが純粋なスラバット人の肌の色なのだろう。
でも、彼の澄んだ茶色い瞳だけは、デニスと同じだとリディアは思った。
「……リディアよ、どうしたのだ?」
無言のまま王子を見つめていたら、隣りから父の怪訝そうな声がして、彼女はハッと我に返る。
「あ……、いえ。何でもありませんわ」
(……いけない。わたしったら、ついカルロス様に見蕩れてしまったわ。デニスの前なのに)
チラッと後ろを振り返ると、デニスは少々機嫌が悪そうである。
(もしかして、わたしが彼に見蕩れていたこと、バレたのかしら?)
浮気者と思われただろうか? あれだけ大口を叩いたのに。
「リディア、こちらが西の隣国・スラバット王国の王太子、カルロスどのだ」
「カルロス・マルロッソと申します。この度はお招き頂き、ありがとうございます。皇女リディア様、お会いできて光栄です。噂以上にお美しいですね」
自己紹介したカルロスが、爽やかに微笑んだ。リディアは恋人の手前、どんな反応を返していいのか分からない。
「ありがとうございます、カルロス様。お世辞でも嬉しいですわ」
とはいえ、ここは社交辞令で素直に礼を述べておくのが正解だろうと彼女は判断した。
――と、カルロスの隣りに控えていた一人の中年男性が、ここぞとばかりに出しゃばってきた。
「いやはや、本当に美しいですな。王子が妻にしたいと思い描いていた、まさに理想通りの女性ではございませんか」
ヒヒヒ、と下衆な笑いを漏らすその男に、リディアは薄気味悪さを感じた。
着ているものは王子と同じようなスラバットの礼装で、身分はそれなりに高いはずなのだが。
(一体何なの? この人)
「伯父上!」
カルロスが鋭く咎める。リディアはそれにより、この薄気味の悪い男の正体に思い当たった。
「カルロス様。この方は……、あなたの伯父上様なのですか?」
「はい。私の伯父で、サルディーノ・アドレといいます。我が国の宰相を務めてくれています。また、私の後見人でもあります」
カルロス王子が、リディアにその男を紹介した。
「丁寧にご紹介頂いて、畏れ入ります。ですがカルロス様、伯父上様の姓が違うのはどうしてですか?」
リディアの疑問にも、彼は親切に答えてくれる。
「伯父の姓は、母方の姓なのです。彼は母の兄にあたる人なので」
「ああ、なるほど。そうでしたの」
リディアは納得しかけたものの、このサルディーノという人物に関して、いささか疑問が残った。
(〝宰相〟って、君主に代わって政治を執り行う人のことよね)
レーセル帝国においては、大臣がそれにあたる。皇帝イヴァン・皇太子リディア(皇位を継ぐ立場なので、〝太子〟という地位なのである)共に不在の時には、彼が代わりに政に関わるのだ。
けれど、現在スラバット王国を治めているのはカルロス王子だと、父は言っていた。まあ宰相がいるのはともかく、伯父が王子の後見人だというのも引っかかる。
スラバットの法律は知らないが、二〇歳になっているはずのカルロス王子に、後見人なんて必要なのだろうか?
(もしかして、王子はただのお飾り君主?)
そんな可能性がふとリディアの頭の中を掠めた時、彼女は父に呼ばれて我に返った。
「リディア、カルロスどのはこの城の中を見て回りたいそうだ。そなたが案内して差し上げなさい」
「あ……、はい。分かりました」
リディアが了承すると、すかさずデニスが「自分もお供します」と申し出る。
「自分は姫様の護衛官です。お供しても構いませんよね?」
彼の台詞は、自らの任務に忠実な者の台詞のようにも聞こえるが、その真意をリディアは見抜いていた。
(要するに、わたしをカルロス王子と二人っきりにしたくないわけね)
リディアは半目になって、恋人である護衛官をギロッと睨んだ。
「え、ええ。私は構いませんが……。イヴァン陛下、リディア様、いかがでしょうか?」
カルロス王子は少々戸惑いながら、皇帝父娘の意向を確かめる。
「よかろう。――そなたはどうだ?」
「わたしも構いませんわ」
(むしろ、わたしはその方が安心だわ)
そんな本心を隠して、リディアは頷いた。
「ではカルロス様、参りましょうか」
****
城の敷地内にある各施設――剣術鍛錬所や兵士の宿舎、厩舎など――を一通り案内した後、リディアはデニスを伴い、カルロス王子を中庭へ案内した。
ここには毎夜、リディアとデニスが逢瀬を重ねている四阿があるが、庭自体も大したものだ。
まず広い。これは言わずもがなである。その広い庭は、宮廷専属の庭師によって隅々まで手入れが行き届いており、四季折々の草花や樹木が植えられている。
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