「ただね、ドレスの時には着けられないの。何だか合わない気がして……」
リディアは申し訳なさそうに、肩をすくめた。本当は、肌身離さず(就寝時や入浴時などは除外して)着けていたいのだけれど。
「どうしてだ? 着ければいいのに。リディアの髪に映えるのを選んだんだから、どんな服にでも合うはずだぞ」
デニスはそう怒った様子もなく、リディアに言った。
表面に可愛らしい花の模様が浮き彫りにされているだけの、茶褐色の髪留めは、確かに彼女の蜂蜜色の髪によく映える。けれど、華美なドレスと合わせてしまうと、この素朴な髪飾りは浮いてしまうのではないだろうか?
「そうかしら?」
「ああ。オレとしては、いつも使ってくれる方が嬉しい」
「……一応、考えておくわ」
――二人が厩舎の前に着くと、白のチュニックにネズミ色のベスト・茶色の革の下衣に革のブーツに着替えたジョンが先に来て、馬の毛並みを撫でていた。
「あら、ジョン。早かったのね」
リディアは思わず目を丸くする。自分達はそんなにダラダラ歩いていただろうかと、デニスと二人で首を捻ったけれど。
「はい。姫様をお待たせするわけにはいかないと思い、城内の近道を使用人の方に教わったんです。お二人よりも早く、ここに着けるように」
(近道? そんなものが、この城にあったなんて!)
リディアは愕然となる。生まれてこのかた十八年間、このレーセル城で暮らしてきたけれど、そんなことは全く知らなかった!
「それはいいけど。ジョン、お前の荷物も大したもんだな」
デニスはデニスで、ジョンの大荷物に呆れていた。
リディアは女性なので、旅の荷物が多いのもまあ分かる。が、男のお前がなぜ!?
……いや、旅の荷物自体は、デニスのそれと何ら変わらない。問題は、鞘ごと背中に斜めに背負っている大剣の方だ。
「それ……、持って行ってどうするの?」
リディアも首を傾げた。デニスは近衛兵という彼の職務上、武器の携行は仕方ないし、彼の剣は身長の半分ほどの長さなので、旅に持って行っても邪魔にならないが、ジョンの武器は大きくて重量も相当なものだ。
邪魔になるのはもちろん、町中で振り回せば大惨事になりかねない。そもそも、こんなに大きな武器、使う機会なんてあるのか。
「まあ、『備えあれば憂いなし』ですよ」
「はあ……、そう」
何だかわけの分からないジョンの言葉に、リディアは引きつった笑顔で曖昧に頷くしかなかった。本人がどうしても「持って行きたい」と言うなら、「ダメです」と止めることはできない。いくら主でも。
(まあいいわ。わたしもデニスも、別に困らないし)
「――さて、そろそろ出発致しましょう。あまり出るのが遅くなると、着く頃には夜になってしまいますよ」
ねえ姫様、と言うジョンに、リディアは懇願した。
「そうね。――ところでジョン、一つお願いがあるんだけど。この旅の間は、わたしのことを名前で呼んでほしいの。昔みたいに」
「はあ。では、『リディア様』と?」
「うーん……。まあ、それでいいかしら」
一応は名前で呼んでもらえたので、リディアは納得した。けれど、内心では「〝様〟はいらないのに……」ともどかしく思う。
(ジョンも、もう少し砕けた態度で接してくれたらいいのに。デニスみたいに)
……いや、デニスの場合は砕けすぎか。あまり馴れ馴れしすぎるのも、どうかと思う。
(まあ、ジョンの場合は仕方ないわよね。家柄が家柄だし、彼自身もカタブツだから)
そんなわけで、「姫様」と呼ばれないだけでもよしとしよう、とリディアは思った。
****
――三人はそれぞれ、三頭の別々の馬に跨った。
馬術は男女問わず、皇族や貴族の嗜みである。また、帝国兵を志す者が、一番最初に始める修行でもある。そのため、三人とも乗馬はお手のものだ。
レムルにあるレーセル城から二時間ほど馬を走らせ、標高がそれほど高くない丘の頂上にさしかかると、そこからシェスタの港が見えた。町まではあと数分というところ。
「――ところでデニス。あなたが『シェスタに行こう』って言った理由、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
馬を降り、手綱を引きながら丘を下る途中で、リディアが言った。何となく分かってはいるけれど、やっぱり思い立った本人から直接聞きたいと思う。
「俺も聞きたい。『今回の旅は理由アリ』ってどういうことなんだ?」
ジョンも彼女に同意した。出発前にデニスが、「それは後で話す」と言っていたことを覚えていたからである。
「――実は今日の午後、プレナからの使者が城を訪ねて来てたんだよ。国の中で、荒くれ者達がのさばってる、って。そうだったな、リディア?」
「ええ。その対処のために、帝国の力を貸してほしい、という話だったわ」
デニスに念を押され、リディアは頷いた。ついでに補足もしておく。
「ああ、なるほど。……で?」
「シェスタとプレナは、目と鼻の先だ。それに、あの町にはプレナからの移住者も多い。だから、何か情報が仕入れられるかもしれないと思ってな」
続きを促したジョンに、デニスは自分の考えを全て話した。リディアが言を継ぐ。
「今、お父さまは留守でしょう? だから軍は動かせないけれど、わたし達にできることを何かしたいと、わたし自身も思っているの。動くなら、早い方がいいと思って」
実際に話を聞いたのは、父のイヴァン皇帝ではなく彼女だ。責任感と使命感の強い彼女が、話を聞いただけであとは父に丸投げ……なんてことが、できるはずもなかった。
「姫様……じゃなかった、リディア様とデニスのお考えは分かりました。プレナで起きていることは、帝国軍の力を借りなければならないほど深刻な事態なのですか?」
ジョンは納得したうえで、さらに首を傾げる。小国とはいえ、軍を有する国が他国に援護を求めることが理解できないようだ。
リディアは静かに首を横に振った。
「詳しいことは、わたしにもよく分からないの。ただ、プレナは元々は都市国家で、軍の規模もそれほど大きくないと聞いているわ。だから自国の軍だけでは対処しきれず、帝国に助けを求めてきたんじゃないかと思うの」
「そういうことですか……」
その説明で、とりあえずジョンは納得してくれたようだった。 ――丘を下りきってしばらく歩くと、シェスタの賑やかな町に入った。水平線に沈みかけた夕日が、港を薄紫色やオレンジ色に染めている。
「さて、まずは宿を見つけないとな。――おいジョン。オレが戻るまで、ここでリディアと一緒に待っててくれ」
デニスがやたら張り切って、この旅を仕切り始めた。
「どうしてあなたが残らないの?」
「そうだよ。宿なら、俺が見つけてくるから……」
リディアとジョンが抗議するが、デニスはあっけらかんと言ってのける。
「いや、お前が残った方がいいんだって。お前の方がデカいし迫力あるし、威嚇になるからさ」
「「はあ!?」」
彼の言葉に、リディアとジョンの二人は面食らった。リディアは心の中でツッコむ。
(一体,何に対しての威嚇よ)
……ああ、そうか。この町とプレナは、船での行き来ができるのだ。万が一、プレナの荒くれ者達がここに渡って来た場合のことを考えて、デニスはああ言ったのだろう。
「じゃあジョン、頼んだぞ!」
ジョンが頷いたので、デニスはさっさと宿探しに言ってしまった。
「「……………………」」
リディアとジョンが二人っきりになることはほとんどないので、二人の間には気まずい空気が流れていた。――いや、この日はいつもに増して気まずかった。
(んもう! デニスがあんなこと言うから)
ジョンのことをどう思うか、なんて! あんなことを言われたら、意識しない方がムリというものだ。
(わたしが好きなのは、デニスの方なのに)
ジョンのことだって、何とも思っていないわけではない。彼もデニスと同じく、大切な幼なじみだ。それは決して変わらない。けれど。
彼が自分のことを「姫様」と呼ぶようになった頃から、彼と自分の間に越えられることのない線が引かれているのだと、リディアは思うようになったのだ。もう、昔のような関係に戻ることはないのだと。
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