――三人は、幼い頃からいつも一緒に過ごしてきた。
デニス、ジョン、そして……皇女・リディア。リディアはこのレーセル帝国の現皇帝、イヴァン・エルヴァートの一人娘にして、第一皇位継承者。つまりは、女子でありながら次期皇帝という身である。
この国では今まで、女性の君主も当たり前のように君臨してきた。それは皇族と国民の距離が大変近しく、たとえ女帝であっても広い心で受け入れる国民の寛大さゆえのことだった。
そして、デニスの父もジョンの父も、イヴァン皇帝に仕える兵士であったため、三人の子供達は身分を越えた「幼なじみ」の関係になったのである。……それはさておき。
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「――ねえデニス、わたしにも剣術を教えてくれない? それから、体術も」
それは、三人が十二歳になった頃の春のこと。
お忍びで町娘の格好をしたリディア姫が、幼なじみのデニスにそう頼み込んだのだ。
デニスは十歳の頃から、元帝国兵が開いている剣術鍛練所で剣術を習っていたのだが。
「ええ? 剣術と体術って、なんでまた」
姫にそんなものが必要なのか、と彼は首を傾げた。
「だって、わたしは将来皇帝になるのよ。民を守るのが皇帝の務めでしょう? だったら、まずは自分の身を守る術を身につけなきゃいけないはずでしょ!」
リディアの真摯な眼差しと、その熱意に負けたデニスは、「分かった」と頷く。
「お前がそこまで言うなら……。ただし、姫様相手だからって、手加減は一切しないからな。覚悟しとけよ」
「もちろんよ!女に二言はありません」
リディアは彼を真っすぐ見据えたまま、力強く頷いた。
――こうして、デニスを師匠に迎えての、皇女リディアの剣術・武術の特訓の日々が始まった。
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……それから一ヶ月後。
カーン! キーン!
レーセル城裏の一画で、リディアとデニスが剣を交える度に、金属音が鳴り響く。他に聞こえるのは、二人の激しい息遣いのみ。
――そして。
カキーーーーンッ!
リディアの剣が、デニスの手にしていた剣を弾き飛ばした。剣はそのままくるくる回転し、土の地面に突き刺さる。
「リディア、参った! 降参だ」
丸腰になったデニスが、白旗を揚げた。息を切らしながら、リディアは剣を鞘に収める。彼女のポニーテールが、風に揺れた。
「情けないなあ。そんなことで降参してたら、ガルシアどのに叱られるわよ」
彼女は呆れたように、半目で「師匠」を見た。ちなみに、「ガルシア」とはデニスの父の名前である。
「いやいや。リディア、お前腕上げたなぁ」
「……そう? ありがとう」
デニスに褒められ、リディアは嬉しいやら照れ臭いやら。
「……あなたの教え方がよかったからよ。いつも手加減なしで、熱心に教えてくれるから……」
リディアは「ありがとう」と、もう一度デニスに礼を言った。彼の熱意に応えるためには、自分自身も本気でかからないと相手に失礼だ。
「――そういや,なんでオレに教わろうと思ったんだ? 剣の腕なら、オレよりジョンの方が上なのに」
地面に刺さったままの自分の剣を引っこ抜きながら、デニスはリディアに訊いた。
実際、剣術鍛錬所でもジョンの腕はずば抜けている。それこそ、デニスなんか足元にも及ばないほど。
そのことは、この国の皇女である彼女の耳にも入っているはずなのだが……。
「ジョンは確かに腕は立つけれど、誰かに教えるような部類の人じゃないわ。それに、わたしはデニスに教わりたかったの。どうしても」
リディアはデニスの茶色い瞳を見つめて、そう言った。
彼女はもうだいぶ前から、彼に好意を寄せていたのだ。そして、彼もまた……。リディアはまだ気づいていないけれど。
「――ねえ。デニスも将来、お父様みたいに帝国兵になるの?」
侍女に持って来させた紅茶を飲みながら、リディアはデニスに問う。
二年前に剣術を習い始めてから、彼の体つきは少しガッシリしてきたように見える。まだ十二歳なのでそれほどでもないが、あと五~六年もしたら屈強な兵士にもなれそうだ。
「ああ。さすがに、父さんみたいなバリバリの軍人にはならないけど。お前をすぐ側で守りたいから、近衛兵に志願したいと思ってるんだ」
まだ声変わりしきっていない声で、彼は答えた。
「近衛兵……、ね。いいんじゃない? わたしも、あなたが守ってくれるなら頼もしい」
リディアは目を細める。何より、大切な人が自分のすぐ側にいてくれるのが嬉しくて。
「でも、お前はオレに守られる必要ないかもな」
「ちょっと! それ、どういう意味よ!?」
デニスの軽口に、リディアは眉を跳ね上げた。
「お前は充分強いから。オレが守るまでもないかな、って思っただけだよ」
「う…………」
あっけらかんと言ってのけるデニスに、図星をつかれたリディアは言葉を詰まらせる。
「まあでも、仕事ならちゃんとやるよ。お前のこと、ちゃんと守ってやるからさ」
渋々、という口調で言うわりに、彼の表情が心なしかはにかんでいるようにリディアには見えた。
「……それはどうも。そんなことより、デニス。あなたのその横柄な態度、何とかならないの? わたしは皇女なのよ。せめて、敬語くらいは使ってほしいものだわ」
いくら幼なじみだからといって、自分の身分はわきまえてほしい。リディアはそう訴えかけるが……。
「それはムリだな。いくら皇女だからって、幼なじみに敬語なんか使えるかよ」
デニスにバッサリ斬り捨てられた。
せっかく親しくしていたのに、敬語で話したら壁ができてしまう。……彼の言い分も分かるのだけれど。
「でっ……、でもっっ! ジョンはちゃんとわたしのことを敬ってくれてるわよ」
リディアはもう一人の幼なじみを引き合いに出して、口を尖らせる。同じ幼なじみなのに、二人はどうしてこうも違うのか。
「ああ、ヤツは生真面目だからな。でも、オレは違う。一緒にしないでくれ」
ジョンと比較されたデニスは、面白くない様子。不機嫌そうにそう吐き捨てた。
「だいたい,十二歳のガキが、大人のマネして『姫様』なんて。幼なじみの顔色窺うことなんかしなくていいんだっつうの。今までずっと呼び捨てだったのにさ」
「それは……、まあ……そうね」
デニスの言うことにも一理ある。それは、ジョンが一足先に大人になったからだと、リディアも何とか納得しようとしたけれど。本音を言えば戸惑ったし、少し淋しくもある。
「姫様」と呼ばれることで、自分との間に距離を置かれたようで。……でも。
「ジョンはお父様が厳しい方だから、そうなってしまったのかもしれないわね」
ジョンの父・ステファンは帝国兵で一,二位を争う手練れで、次期将軍との呼び名も高い男だ(ちなみに争う相手はガルシアである)。
父に限らず、ジョンの一族は先祖代々、歴代皇帝の下で将軍を務めてきた、レーセル帝国では知らぬ者のない由緒正しき家柄なのである。ジョンもきっと、一族の名に恥じないように振る舞っているだけなのだろう。
――それはさておき。
「……まあ、今は敬語なしでも許してあげるわ。まだあなたはわたしに仕えてるわけじゃないし、今はわたしが剣を教わっている側。つまり、わたしは弟子なんだものね」
「えっ、いいのか!?」
リディアが出した妥協案に、デニスは瞬いた。思わず、声が上ずってしまう。
「ええ。ただし、成長して一人前の兵士になった時には、その横柄な態度は即刻改めてもらいます。――いいわね?」
ニッコリと含みのある笑みを向けられたデニスは、一瞬怯んだ。けれど、すぐさまいつもの不敬な調子に戻り、頷く。
「分かったよ。そん時は、ちゃんと改めるから。……おいおい、そんなに睨むなって」
「本っっ当に、態度を改めてくれるんでしょうね?」
「本当だって! オレを信じろよ。――さて、特訓を再開するぞ!」
「はいはい」
デニスの態度には納得がいかないものの、師匠の顔に戻った彼には、弟子であるリディアは逆らうことができない。
――思春期にさしかかり、少しずつ変わり始めた幼なじみ三人の関係性。それが大きく変わるのは数年後のことだが、まだ幼いリディアとデニスはこの時には知る由もなかったのであった――。
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