けれど、彼女は剣を持ってきていない。どうするのだろうかと、ジョンが心配していると――。
「リディア、オレの剣を使えよ」
デニスが自分の腰に装備していた剣を、鞘ごと彼女に手渡した。
「オレが使ってる剣は、近衛兵専用に誂えられたモンだ。鞘には金属の板が貼りつけられてて、盾代わりに使えるぜ」
なるほど、リディアが受け取った剣は、普段彼女が使用している剣よりもズシリと重みを感じる。それは、こういう理由からだったのか。
彼の厚意と、この剣を打った「名工」といわれる鍛冶職人の想いを受け止めたリディアは、この剣を託してくれたデニスに礼を言った。
「ありがとう、デニス。これ、遠慮なく借りるわね!」
デニスは大きく頷く。この町の、そしてプレナの運命は皇女リディアに託された。
「準備はいいかい? 姫さんよ」
「ええ、こちらはいつでも」
そう言って、リディアは刀身を鞘から抜いた。鞘を左手に、剣の柄を右手に持ち、構える。
頭も刀身を抜いた。こちらは三日月刀だ。刃の長さは違うが、戦いに支障はない。
「フン。では、こっちから行くぜ!」
先方から斬りかかってきたが、太刀筋はメチャクチャだ。ただ剣を乱暴に振り回しているだけに過ぎない。
こうなると、リディアが相手の攻撃を受け流すのは簡単だ。彼女は元々、相手の太刀筋を読むことが得意なのである。
カキーン! カキーン!……
リディアは舞でも踊るようにスカートの裾を翻しながら、刀身で、時には盾代わりの鞘も使って、相手の太刀筋を受け止めた。
そして、一瞬の隙をつくと。
……カッキーーーンッ!
相手の手から、カットラスを弾き飛ばした。カットラスはクルクル回ると、持ち主の足元にカランと音を立てて落下した。
「――勝負あったようね、海賊さん?」
リディアは丸腰になった頭の前にツカツカと歩いていくと,足元のカットラスをブーツの爪先で蹴飛ばし、彼の鼻先に剣の切っ先を突きつける。
「すごい……」
主の勇姿に絶句するジョンの肩に手をかけながら、デニスは得意げに言った。
「だから言ったろ? 大丈夫だって」
ジョンはただ、コクコクと頷くしかできなかった。
「さて、わたしが勝ったんだから、こちらの要求を飲んでもらおうかしら」
「ま、待て! 待ってくれ! もう一度、パーレイを要求――」
「パーレイは、先ほど断ったはずよ?」
〝待った〟をかける頭の言葉を遮り、リディアは冷ややかに言う。話し合いに応じるつもりはない、と。
「あなた方には即刻、プレナ及びこの国からの退去を命じます。拒否した場合は、帝国法に則ってあなた方を処刑します。これ以上、人々を苦しめることは許しません!」
皇女――いや、次期皇帝の威厳と剣幕を前に、ついに海賊の頭は降伏した。
「わ、分かった! 俺達が悪かった! おい! お前ら、今すぐ撤退だ!」
命じられた子分からは「えっ!? しかしお頭……」という声がいくつか上がったが。
「いいから撤退だ! 処刑されてえのか!?」と頭に怒鳴られれば、子分達も従うしかない。みんな命は惜しいのだ。
港から海賊船が見えなくなると、シェスタの町は嵐が過ぎ去ったように静かになった。
――いや、別の意味で賑やかになった、というべきか。
「姫様、ありがとうございました!」
「いやー、女だてらに海賊と勝負して勝っちまうなんて、姫様は強くて頼もしいなあ」
「姫様がいてくれたら、この国は安泰だ」
などなど、リディアへの感謝や賛辞の言葉が、町中の人々から彼女に投げかけられる。――もちろん、プレナ出身である宿のおかみからも。
「デニス、これ返すわ。貸してくれてありがとう」
リディアは借りていた剣を返しながら、デニスに礼を言った。
「ああ。リディアなら勝てるって、オレは信じてたぜ」
リディアは嬉しそうに頷く。やっぱり、恋人に信頼してもらえるのは喜ばしい。そして少し照れ臭い。……ので。
「そ、そういえば刀身と鞘、傷んでいないかしら?」
慌てて話題を変えるように、彼女はデニスに訊いた。自分の剣ならともかく、彼に借りた大事な剣である。もし刃こぼれでもしていたら、何だか申し訳ない。
「大丈夫だ。傷んでたら、また鍛冶屋のおっさんに叩き直してもらうからさ。それより、お前が無傷で本当によかった」
デニスはどっぷり二人だけの世界に浸り、リディアの髪を一撫でした。……が。
「デニス……、ジョンが」
「えっ? ――うわ、やべっ!」
リディアが指差した先を見たデニスは、何やら複雑そうな表情で立ち尽くしているジョンと目が合った。
二人はジョンの存在をすっかり忘れて、恋人同士の雰囲気を漂わせていたようだ。
――これは、完全にバレた。いずれ気づかれるとは思っていたけれど、まさかこんなに早くバレてしまうなんて!
(迂闊だったわ……)
リディアはデニスをチラッと見る。彼はまだとぼけられると思っているようだが、リディア自身はこれ以上ジョンを欺き続けるのは心苦しいと思っていた。
「あの、姫様?姫様とデニスとは,本当に昨夜,何もなかったのですか?」
「あのな、ジョン。実はさ――」
「待ってデニス! わたしから話すわ」
口を開きかけたデニスを遮り、リディア自ら本当のことを話し始めた。
「わたしとデニスは昨夜、想いが通じ合ったの。口づけはしたけど、それだけよ。黙っていてごめんなさいね。ショックだった?」
もしかしたら、ジョンを傷付けてしまったかもしれない。彼もまた、自分に好意を抱いているかもしれないのだ。まだハッキリとそう伝えられてはいないけれど。
「……そうでしたか。俺も何となくは、そうじゃないかと思っていました。お二人はずっと昔から、互いに想い合っていたんじゃないか、と」
ジョンの言い方は、何とか自らを納得させようとしているように、リディアには聞こえた。
彼にとってはどちらも大切な人だから。二人のために身を引こうとしているような気がして、彼女はチクリと痛む胸を押さえる。
「姫様、俺のことは気にしないで下さい。俺は、大丈夫ですから」
「ジョン……」
「俺のあなたへの忠誠心は、こんなことくらいでは揺らぎませんから」
(本当に、忠誠心だけの問題なの? あなた自身の気持ちは?)
リディアは心の中でこそそう思ったが、声に出して訊ねることはできなかった。
彼はきっと言わないから。それなら、あえてリディアの方から問うのは野暮だ。
「分かったわ。これからも、我が国のためにわたしに忠誠を尽くしてちょうだいね」
「はい、姫様!」
「――あの、姫様」
不意に、すぐ側から中年女性の声がした。
「まあ、おかみさん! どうなさったの?」
声の主は、昨日から泊っている宿のおかみだった。
「ええ。実は、この町と故郷を救って頂いたお礼にと、ごちそうを用意したんです。まだお帰りにならないんでしたら、昼食に召し上がって行って下さいな」
「えっ、いいんですか?」と目を輝かせたのは、言うまでもなくデニスである。
リディアとジョンも彼を一睨みしつつも、「じゃあ、お言葉に甘えて」とご相伴にあずかることにした。
****
――海の幸をふんだんに使った料理をお腹いっぱい食べ、三人が馬に跨ってシェスタの町を後にした頃、西の空では日が傾き始めた。
「お城に着く頃には、お父さまはもうお帰りになっているかしらね?」
「だろうな。陛下の方が,オレ達より先にお着きになってるはずだ」
懐中時計を覗きながら呟くリディアに、デニスが答える。
「それにしても、お父さまは一体どんなご用でスラバットまで出向いたのかしら?」
父が隣国へ旅立った理由を、彼女は聞かされていない。大臣も侍女も、城の使用人達も誰も教えてくれなかった。ただの「外交」だとしか。
「さあ? オレも聞いてないなあ。もしかすると、お前には話せない理由だったのかもな。たとえば再婚話とか、お前の縁談話とか」
「ええっ!?」
どちらにしても、リディアには嬉しくない理由である。デニスと両想いになった今、もう縁談の話は聞きたくないし、父イヴァンは亡くなった母をそれはそれは愛していた。なので、皇后亡き後の十三年間で、再婚話は一度も出たことがない。リディアも、父が新たな皇后を迎えるなんて想像がつかない。
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