――悲愴感に浸っていたリディアが、再び左側をチラッと見遣ると……。
「あら? ジョンがいないわ」
彼が乗ってきた馬だけがそこにいて、肝心のジョンの姿が忽然と消えていた。
ちなみに、デニスが乗ってきた馬もリディアが預かっているのだが、それはさておき。
「ジョン、どこに行ったのかしら……?」
しばらくキョロキョロと辺りを見回していると、露店が並ぶ一画の方からジョンが大股に歩いて戻ってきた。手には何やら、小さな紙の包みを持っている。
「すみません、リディア様。お声もかけず,離れてしまって」
「本当だわ。心配してたんだから。どこへ行ってたの?」
リディアが問うと、彼は手にしていた包みをスッと彼女に差し出した。
「これを、リディア様のために買いに行っていたんです。あちらの露店で見つけたので」
ジョンは自分が来た方向を指さしながら、そう答える。
リディアが受け取った包みを開くと、そこにあったのは小さな髪留めだった。木製で、港町らしく可愛らしい魚などの絵が、絵の具で描かれている。
「ステキねえ……。これ、いくらしたの?」
金額を訊くのも野暮だが、彼がムリをして高価なものを買ってくれたのだとしたら、リディアとしては何だか申し訳ない。
「三ガレです。高いものではありませんが、俺からあなたに何かを贈ったことが、今まで一度もなかったもので……」
ちなみに、レーセル帝国の通貨では銅貨が一ガレ、銀貨が一〇ガレ、金貨は一レンスとなり、一レンスは一〇〇ガレに相当する。
「リディア様によくお似合いだろう、と思って。――ほら、リディア様は、こういう時のための髪飾りをお一つしかお持ちではなかったので……」
頬を染めながら弁解するジョンは、さながら思春期の少年のようで。照れはたちまち、リディアにも伝染した。
「それがデニスから贈られた、あなたの宝物だということは分かっています。ですが、俺が贈ったものも、時々で構わないので使って頂けないでしょうか?」
「ジョン……」
はにかみながら手を取ってくるジョンに、リディアは言葉を詰まらせる。――知らなかった。ジョンが、自分に好意を抱いていたなんて……。デニスの気持ちすら知らないというのに。
「ありがとう、ジョン。これ、大切に使わせてもらうわ」
彼からの好意をどう受け止めればいいのかは分からないが、思いもよらない贈り物に対しては、リディアは素直に礼を言った。
――そこへ、デニスが戻ってきた。
「おーい、お待たせ! 宿決めてきたぞ……、お?」
彼はリディア達に声をかけたけれど、そのままその場を動けなくなる。
自分がいない間に何やらいい雰囲気になっている彼女とジョンは、さながら美男美女のカップルのようで。何だか、あの間に入っていくのが気まずく感じられたのだ。
「あ、デニス! ご苦労さま」
すると、彼の声がちゃんと聞こえていたリディアの方が、デニスに気づいてくれた。
「あ、ああ……。えっと、南の宿のおかみがプレナの出身なんだってさ。だから、そこに泊まることにした」
「でかした、デニス! ――ではリディア様、参りましょう」
「ええ」
リディアとジョンの間の甘酸っぱい空気は相変わらずで、デニスは何だか面白くない。
「なあ、リディア。――オレが離れてる間にジョンと何かあったのか?」
嫉妬心むき出しで、デニスが問うてきた。
「え? 何かって……。ステキな髪留めを買ってくれたから、嬉しかっただけよ」
変な勘繰りをしているらしい彼に、リディアは事実のみを打ち明ける。
「は? それだけで嬉しいのか?」
「嬉しいわよ。だってわたし、淋しかったんだもの。ジョンには何だか距離を置かれているみたいに思ってたから」
そんな彼からの思いがけない贈り物。嬉しくないはずがない。
「リディア、まさかジョンのこと……」
「――え?」
「いや、何でもない。ああ、馬、預かっててくれてありがとな」
デニスの様子が何か変だ。馬の手綱を引きながら宿に向かう途中、リディアはずっと、首を傾げていたのだった――。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!