「――それにしても、退屈ねえ……」
行儀が悪いと怒られそうだが、リディアは誰にとなくそう呟いて、ウンザリとテーブルに頬杖をついた。
「ねえ。今日はもう、他に来客の予定はなかったのよね?」
「はい。わたくしは特に伺っておりません」
大臣に確かめると、そう返事が返った。
改めて、彼女は盛大なため息をつく。大してやることもないのに、城の留守を預かっている時ほど、退屈な時はない。
せっかく外は,うららかな春の陽気だというのに……。
「――そうだ、リディア。退屈してるなら、久しぶりに一緒に遠出しないか? シェスタまで。ジョンも誘ってさ」
「え?」
デニスからの思わぬ提案に、リディアは目を丸くした。この若造の皇女に対しての不敬で砕けた物言いを、側に控えていた大臣は快く思ってはいないものの、決してそれを咎めようとはしない。それは、この二人――皇女と若き近衛兵――が親しい幼なじみの関係であることをよく知っているからだろう。
ちなみにシェスタは、帝都レムルの南方に位置する、帝国一栄えている港町である。
リディアとデニス、そして現在は帝国軍一の大剣使いとして名を轟かせているジョンの三人は、時々城を抜け出し、そして時には馬を走らせて遠出するのだ。
とはいえ、シェスタの方へ馬を向けるのは数ヶ月ぶりとなる。しかも、じきに夕暮れになるので、これから出発となると日帰りは不可能だ。
「ジョンも一緒なのね? ――ねえ大臣、ちなみに明日のわたしの予定はどうなってるかしら?」
向こうで一泊するとなると、翌日の予定も把握しておく必要がある。
「は? ――ええとですね、明日も特にご予定はなかったかと。それとですね、陛下がお戻りになるのも、確か明日の夕刻だったと伺っております」
大臣は少々うろたえつつも、皇女の翌日の予定と、主の帰国予定を伝えた。
「お父さま、明日お戻りになるのね。じゃあプレナの問題について、あなたからお父さまに伝えておいてくれるかしら?」
「承知致しました。姫様の仰せのままに」
大臣の返事を、リディアは外泊の承諾と受け取った。視察旅行は、皇族の立派な公務である。反対する理由はないのだろう。
「――じゃあ、早速旅の支度をして出発しましょう。デニス、あなたも一度宿舎に戻って着替えてらっしゃい」
「分かった」
リディアの言葉に、デニスは何の疑問も抱かずに従った。お忍びで出かける時には、必ずそうするからである。
デニスが応接の間を後にすると、リディアも城の大階段を上がった。二階にある自室で着替えて、旅の支度を整えるために。
彼女は侍女の手を借りなくても、自分の身支度ができる。それはこういう侍女を連れて行けない旅の時でも困らないように、幼い頃より訓練していたからである。
リディアは動きにくいドレスから、純白の詰め襟風のブラウスに赤茶色のベスト、黒の膝下丈のスカートに革の編み上げブーツという、町娘風の服装に着替えた。
豪華な装身具は全て外し、ポニーテールに着けたのは昔デニスから贈られた木彫りの髪留めのみ。
宿泊用の荷物を詰めた麻袋を提げて城を出ると、ちょうど着替えを済ませたデニスが宿舎から出てきたところだった。
彼も生成り色のチュニックに黒のベスト、黒い革の下衣に革の編み上げブーツという町人風の服装だ。――護衛する関係で、剣は鞘ごと腰に装備しているけれど。
「リディア、待たせたな」
「ううん。わたしもたった今、来たところなの」
デニスも麻袋を提げているが、見るからに中の荷物は少ない。
「しかしまあ、リディアの荷物はいつ見ても多いな」
「仕方ないでしょう? 女は何かと物要りなんだもの。――ところでジョンは?」
リディアは膨れっ面をしつつ、まだ姿の見えないもう一人の幼なじみについてデニスに訊ねた。すると、彼から返ったのは意外な答え。事もなげに、しれーっと。
「まだ声もかけてない。今から呼びに行くところだ」
「ええっ!? 一緒に行くって決まってたんじゃないの!?」
リディアは心底驚いた。彼の先程の口ぶりから、もうジョンにも同意を得たものとすっかり思い込んでいたのに。
「大丈夫だって。アイツのいそうな場所ならオレ分かってるから。リディアも一緒に誘いに行こう」
「えっ!? 行くってどこによ?」
「剣術の稽古場だ。――行くぞ」
リディアの「ちょっと待って!」の声も聞かずに、デニスは彼女の前に立って歩き出した。剣の鍛錬が日課のジョンは、ほぼ毎日そこに入り浸っている……らしい。
「もし、ジョンが『行かない』って言ったらどうするの?」
リディアはデニスの歩調に合わせて歩きながら、彼に訊いた。
デニスは彼女を護衛する任務についているため、公の時には常に彼女の前を歩いているのだが、こういう私的な外出の時などには、女性であるリディアに歩く速さを合わせてくれる。無骨なように見えて、実は紳士的なのである。
「それも大丈夫だ。アイツがリディアの誘いを断ったこと、一度でもあったか?」
「……なかった、と思う」
ドヤ顔のデニスに訊ねられ、リディアは少し悩んだ後に答えた。
確かにジョンは今まで、リディアに「出かけましょう」と誘われたら、一度も断ることなく同行してくれた。けれどそれは、ただ単に忠誠心からなのか、はたまた本当にリディアと出かけたいからなのかは、彼女にも分からない。
「――そういや、話変わるけどさ。リディアももう年頃だろ? 縁談の話とか来るのか?」
(年頃って……ねえ。あなたも同い年でしょう?)
リディアは、デニスの言葉に面食らった。自分と全く同い年の人に「年頃」なんて言われると、変な感じがする。
「縁談のお話? ええ、山ほど来てるわよ。国の内外も、年齢も問わずにね。こないだなんて、名前も言語も知らなかった遠方の国の貴族から、『息子を婿入りさせたい』って言われたのよ。あれには参ったわ」
ため息をつきながら、リディアは答えた。――もちろん、申し出は通訳を介して伝えられたのだが。
「皇女の婿」ともなれば、これ以上の逆玉はあり得ない。だから、近隣諸国の王族・貴族が子息のために必死になるのは当然のことなのだろうが。当事者であるリディアにしてみれば、好きでもない男に群がられるのはウンザリなのだろう。
「まあ、言葉の通じない婿さんを迎えても、困るだけだよなあ」
「ええ。――それに、わたしが結婚したい相手は、この国の中にいるのよ」
――そう。幼い頃からずっと、彼女はただ一人だけを想い続けてきたのだから。
「それって……、オレも知ってるヤツ?」
(あなたのことだってば)
リディアは隣りを歩く幼なじみをチラッと見遣り、こっそりツッコミを入れた。
この男は、昔からこと色恋に関しては鈍いのだ。リディアの自分への恋心にだって、未だに気づいているのか気づいていないのか分からない。
「……教えられません!」
けれど、彼女はそんなことはお首にも出さず、すっとぼけて見せた。
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