ラッシュの城の牢屋は、俺が先日まで世話になっていたハピネの屋敷の牢屋よりずいぶんと立派だった。
といっても生活環境が改善したとは言えない。
寝床は床に古びた藁が敷いてあるだけだし、トイレも個室になっていない。
壁が丈夫そうで、檻が頑丈そうになっただけだ。
それになにより、俺は手錠をつけられていた。
これもアンチジェムが使われているらしい。
オークに変身しようとすると全身の力が抜けて動けなくなってしまう。
オークになれれば、このくらいの檻は破壊して抜け出せるのに。
俺は仕方なく、壁にもたれ、ジッとしていた。
そのうち抜け出す機会もあるかもしれない。
そのときのために無駄に体力を消耗しないようにしておく。
「……ハピネ。お前はなにがしたかったんだ?」
思い出すのはちんちくりんの小娘のことだった。
彼女の兄――ラッシュと遭遇してわかった。
あの男が俺を見ていた目。
あれが人間種の奴隷を見る目なんだとしたら、ハピネは俺のことをまるでそんなふうに思っていなかった。
彼女が俺を見るときには、もっと無邪気な親愛のようなものがあった。
心を通わせようという意思があった。
……気のせいか?
オークになった俺を恐れて従順になったから、情け心がわいただけだろうか。
けど、俺がラッシュに捕らえられる様子を見て、ハピネは兄を止めようとしていた。
あれはどういうことだ?
ハピネは本当に俺のモーフジェムの呪いを解くつもりだったのに、兄がそれを拒否したのか?
それとも、ハピネのあの態度も芝居だったとか?
なんのために?
わからない。
俺は、魔族のことも、ハピネのことも知らなすぎる。
「ぶー太様」
ふと、小さく抑えた声が聞こえて俺は顔を上げた。
ヒルドが立っていた。
手には鍵束を持っている。
「なんだ。兄貴のほうのメイドになったのか? 俺は次はなにに変えさせられるんだ?」
嫌味を込めて問う俺に、ヒルドは静かに言ってきた。
「お静かに。お嬢様のご命令で、あなたをここから逃します」
○
ヒルドは牢の鍵を開け、俺を出してくれた。
続いて手錠も外そうとしてくれたが、鍵束の中のどれが手錠の鍵なのかわからない。
「先にここを出ましょう」
そう言われ、彼女についていく。
ラッシュの居城はハピネの屋敷に比べ簡素な内装だった。
目に刺さるような赤と黒の一抹模様の床はなく、石造りの無骨な造り。
ただ、サイズはずっと大きいようだ。
時折通りがかる見張りの兵士をやり過ごしながら、俺とヒルドは出口へ向かう。
「……なあ」
広大な中庭を抜けながら、俺はヒルドに問いかけた。
「あいつは……ハピネはなにを考えてるんだ? 俺を奴隷にしたり、豚にしたり、かと思ったらやけに従順になったり。あいつは俺をどうしたいんだ」
「…………」
ヒルドはすぐに答えなかった。
警戒しているのかと思ったが、そうではなく、言うべきかどうかを迷っていたようだった。
「お嬢様は……ずっと、あなたを大切に思っていらっしゃいました」
「はっ、冗談はよせ」
「本当です。何度か、あなたのことを『ふー太』と間違って呼ばれていたことがありましたでしょう?」
「ああ、あったな……」
自分でぶー太ってつけておきながら間違えんなよって思ってたが。
「あれは、昔お嬢様が飼われていた犬の名前です。フォックスハウンドでしたので、ふー太と名付けておられました」
……狐狩り用の狩猟犬だ。領主が飼っているのを見たことがあるな。
そういえば、奴隷市場で俺を購入した際、ハピネは俺に名前をつけるときこう言っていた。
『あなた、名前は?』
『へえ、ブルータスね。ちょうどいいわ』
『じゃああなたは今日からぶー太ね!』
そのときはなにが『ちょうどいい』のかわからなかったが、あれは昔飼っていた犬に似た名前にできるという意味だったのか。
「それに」
とヒルドが続けてくる。
「あなたがオーク化してお嬢様を襲ったとき」
「……なんか誤解を招く言い方だな」
襲ったのは事実だけどさ。
「お嬢様がいたのは、あなたがこれから住むためにと用意されていた部屋でした」
「……っ」
俺はそのときのことも思い出す。
まだ家具があまりなくてガランとした部屋。
そこでハピネはカーテンを選んでいた。
あれが俺のための部屋?
「お嬢様は、おっしゃっていました。最近あなたと心が通い合ってるみたいで嬉しいと。だからご褒美を用意するのだと」
……それは、俺があいつを油断させるために従順なフリをしていたからだ。
あいつは俺の演技にまんまと騙されていた。
俺は一瞬申し訳ない気分になるがすぐに思い直す。
「っ、ふざけんな。つまり、あいつは俺をペット扱いしてたってことじゃねえか。昔飼ってた犬代わりにするために、俺を豚化させて喜んでたってことだろ」
けっきょく同じことだ。
あいつは魔族で俺は人間。
しょせんは主人と奴隷の関係ってわけだ。
「違う、違いますっ。お嬢様は……」
ヒルドは必死な様子で言ってくる。
「ハピネ様は……他に、人との接し方を知らないのです」
「なに……?」
そのとき近くで灯りが光った。
見張りの兵士が歩いているらしい。
俺たちは慌てて口を閉ざし、身を隠して移動する。
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