見張りの兵士から隠れながら、俺とヒルドはラッシュの居城の廊下を歩く。
会話を交わす余裕はなく、ヒルドが言った言葉の意味は確かめられないままだった。
そして俺たちは城壁の上に出る。
ここから城門のところまで行けば外側に降りられる。水堀にかかった橋を渡ればもう城外だ。
「なあ、さっきの話の続きなんだが」
俺は周りに人がいないのを確認してからヒルドに言う。
ヒルドはうなずいて、すぐに答えた。
「お嬢様の周りには、お友達と呼べるような、対等な関係の者がおりません。わたくしのような使用人か、ラッシュ様が送り込んできた見張りの兵士くらいで……」
ラッシュが送り込んできた?
そういえば、ハピネの屋敷にいた兵士は、ハピネに対する忠誠心みたいなものはまるで感じられなかった。
豚化して暴走してた俺に襲われるハピネを助けようともしなかったし、オーク化した俺を見てさっさと逃げてしまった。
「お嬢様にとっては、人との関係といえば主従関係しかないのです。わたくしには多少打ち解けていただけておりますが、一番はやはりふー太でした」
ふー太。
ハピネが飼っていたというフォックスハウンド。
「そのふー太はどうしたんだ?」
「一年ほど前に亡くなりました。もともとハピネ様のお祖父様が飼われていた犬で、かなりの歳でしたので……」
その後、ハピネはしばらく自分の部屋に引きこもってしまったという。
そして、しばらくして久しぶりに出てきたハピネはこう言い出した。
『人間の奴隷を買う』と。
「……お嬢様は仰っていました。人間ならきっと長生きするからと。自分より先に死ぬことはないから、と」
それはどうだろう。
人間と魔族でそれほど寿命に差はない。俺はハピネより歳上だから、俺の方が先に死ぬことだってあるはずだ。
まあ老犬よりは長生きするだろうけどさ。
「お嬢様は……」
ヒルドが続ける。
「あなたが屋敷に来てからすごく楽しそうでした。わたくしはお嬢様が乳離れしてからずっとお側に置いていただいておりますが、あんなに楽しそうなお嬢様を見たことがありませんでした」
「……だからそれは、ペットと遊べて楽しいってことだろ?」
たとえそれ以外に人との接し方を知らなかろうが。
それがあいつにとって親愛の現れであろうが。
あいつは魔族で、俺を奴隷として買い、豚として扱った。
その事実は変わらない。
「はい……それは否定できません。ですが……ですが、わかっていただきたいのです。お嬢様は決して、あなたを苦しめたかったわけではないと。お嬢様は……」
ヒルドはその先を告げようかどうかと迷った末に、意を決したように口を開いた。
「お嬢様は、最期の時間をあなたと過ごしいと願って、それで」
「最期?」
その聞き捨てならない言葉の意味を問いただす暇はなかった。
「そこにいるのは誰だ!」
兵士の声が響く。
鎧の音がガチャガチャと響き、こちらに近づいてくる。
城門のほうにも兵士が現れる。
挟み撃ちになった形だ。逃げ場がない。
「っ、見つかったか」
「ぶー太様」
ヒルドが俺に鍵束を押し付けてきた。
「お逃げください。どうか、ご無事で。それがお嬢様の最後の願いですから」
「待て、どういうことなんだよ。あいつは……死ぬのか?」
不治の病にでもかかっているのだろうか?
とてもそんなふうには見えなかったが……実はあの幼い身体が病に侵されてでもいたというのか。
だが、ヒルドは俺の想像していなかった事実を告げた。
「お嬢様は……ラッシュ様によって殺されることになっているのです」
それがどういう意味なのか、問いただすことはできなかった。
ヒルドは俺を思い切り突き飛ばす。
「なにを――」
手錠をかけられたままの俺は簡単にバランスを崩し、城壁から飛び出してしまう。
俺はそのまま水堀に落下した。
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