巨大な怪物が城を破壊していく。
背中を燃やしながら、怒りの咆哮を上げ、丸太のように太い腕を振り回す。
一振りしては塔を破壊し、一振りしては城壁を破壊する。
「ああああ、私の城が!」
絶望的な悲鳴を上げるラッシュ。
彼は背後にいたハピネを睨むと、暴れ回る怪物を指差して叫ぶ。
「なんとかしろ! あいつはお前の言うことならきくんだろう?」
「無理です」
ハピネはゆるく首を振る。
「さっきは一瞬動きが止まっただけです」
「一瞬でいい! その隙に、特大のアンチジェムを撃ち込んでやる! これなら絶対に仕止められれるはずだ!」
いつの間に命じていたのか、部下が巨大な投射装置を運んできた。
本来ならば城塞を攻略するために投石などを行う兵器だ。
そこに、人では到底扱えないような巨大な矢が取り付けられる。
「ははははは! どうだ。これで貫かれれば、あの化け物もひとたまりもあるまい!」
「…………」
ハピネは、その矢を無言で見つめるだけだ。
「やれ、ハピネ! もしあの化け物をなんとかできたなら、命だけは助けてやるようお父様に頼んでみてもいいぞ!」
「本当ですかっ」
そう声を上げたのはハピネではなくヒルドだった。
ハピネの背後に控えていたメイドはラッシュに詰め寄る。
「本当に……本当にお嬢様を……っ」
「ああ、もちろんだとも」
鬱陶しそうに手を振りながら、ラッシュは心のこもらない声で答える。
ハピネは……なおを暴れ回る怪物を見上げて、言った。
「わかりました。やります」
数人の兵士に伴われ、ハピネは崩れかけた城壁を登っていく。
さすがに手錠はもうつけられなかったが、左右を挟まれ、逃げられないように囲まれている。
(いまさら逃げるはずがないのに)
咆哮を上げるぶー太を見る。
周りの兵士たちは彼の声が響くたびに身を竦ませるが、ハピネは一切怯えを感じることはなかった。
自分にはどこにも行く場所などないとハピネは知っている。
キューブリア家の令嬢として生まれ、食べ物も、服も、屋敷も、なに不自由なく与えられた。
ただしそれは、未来がないことと引き換えの自由だった。
『今この瞬間』好きなことができるハピネは、将来なにかをやりたいという自由は与えられていなかった。
それはハピネに一つの箱をイメージさせた。
ハピネはその箱に入れられている。
箱はハピネが動くのに合わせて移動する。
なのでハピネは自由に好きな場所へ行くことができる。
けれど箱には窓がないので、ハピネに見えるのは箱の内側の壁だけなのだ。
形だけの自由。
言葉だけの自由。
どこへ逃げようと、箱は追いかけてくる。
だからハピネは動くのをやめた。
その場にじっとしていれば箱のことを意識しないで済む。
望むものはいくらでも与えられるのだから、動かなければ自由だけを感じていることができる。
だから逃げない。
死がもたらされるそのときまで、好き勝手に生きていよう。
そう思っていたのだ。
「グオオオオオオオオオオオオ!」
咆哮が間近から響いた。
ぶー太がこちらに気づいて、歩を向けてきたのだ。
がらんがらんと城壁を壊しながら、どんどん近づいてくる。
「うわああああ!」
「逃げろ逃げろ!」
兵士たちはあっという間に逃げ出してしまった。
ハピネは城壁の上に一人取り残される。
「ぎゃあああ――」
兵士の一人を巻き込んで、背後の城壁が崩れる。
退路が断たれてしまった。
正面には巨大な怪物。
ハピネはもはやどこへも行きようがなかった。
「ふふ」
ハピネの口から思わず笑みが溢れる。
「私はいつでも逃げられないのね」
逃げられない。
だから逃げなかった。
本当にそうだろうか?
自分はただ、怯えて、不貞腐れ、目を背けていただけじゃないか?
運命を受け入れたふりをして、ただ流されていただけじゃないだろうか?
覚悟など決まっていなかった。
認めることなどできていなかった。
だからぶー太が現れて、助けると言ってくれたとき、涙が止まらなかったのだ。
「ぶー太」
ずっと誰かに、手を差し伸べて欲しいと思っていたから。
「私はぶー太とまだまだ一緒に過ごしたい」
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