会話が聞こえる。
「今ここで、殺してしまえば……」
ヒルドの声だ。物騒なことを言ってる。
「そこまでしなくても、逃げてしまえばいいではありませんか」
「駄目よ」
メイドの言葉に、ハピネがきっぱりと答える声がした。
「ちゃんと、元に戻してあげないと……」
なんだ? こんな殊勝なやつだったか、こいつは?
ああ、そうだ、これは夢だな。
夢だから、クソ生意気なわがままお嬢様が、こんなこと言ってるんだ。
そう思いながら、俺はまた眠りの深みに落ちていった。
次に目を覚ますと、傍にヒルドが座っていた。
「うっ……」
俺は身を起こそうとするが、全身が痛くて起き上がれなかった。
「じっとしていてください。今治療中ですので」
ヒルドは俺に手をかざして言ってきた。
どうやら治癒魔法をかけてくれているらしい。
なんだか全身がぼんわりと暖かいものに包まれている感じがした。
俺の身体は完全に人間のものに戻っていた。
ただ、エイプウルフと戦ったときに酷使したせいか、あちこちが軋むように痛い。
オークの膂力は、俺の身体にけっこうな負担を強いていたらしい。
辺りを見回すと、すっかり暗くなっていった。
焚き火の向こう側で、ちんちくりんのお嬢様が樹にもたれて寝ていた。
「…………あいつの怪我は、大丈夫なのか」
「はい。先ほど治療しましたので」
「そうか」
ホッと息をつき、そのことに自分で驚いた。
あの小娘は、俺を奴隷にして、豚に仕立て上げたクソ魔族だ。
俺の村を襲って、みんなを殺した奴らの同類だ。
なのに……。
先ほど、エイプウルフからお互いを守ろうとしていた二人の姿が頭を過ぎる。
「なあ」
「なんでしょうか」
「あんたは、どうしてあの小娘にそこまで献身的なんだ? あの屋敷にいた他の使用人たちは、俺が暴れてるのを見てさっさと逃げ出したってのに」
このメイドだけは、ずっとハピネを守ろうとしていた。
いや、今も守ろうとしている。
「あの方たちとわたくしでは、立場が違いますので」
「立場?」
「はい。あの、お嬢様は――」
とヒルドがなにかを言いかけたときだ。
「ぶー太!」
いつの間にか目を覚ましていたハピネが、飛び起きて駆け寄ってきた。
焚き火の火の粉がドレスに飛ぶのもかまわず、俺の目の前に来ると、
「ありがとう、ヒルドを助けてくれて!」
そう告げると、深々と頭を下げて土下座した。
「え、あ……」
俺は驚いて言葉を返せない。
あのハピネが俺にお礼をした?
しかも、自分のことより、ヒルドのことを真っ先に口にした。
俺がなにも言えないでいる間に、ハピネは頭を上げると言ってくる。
「今はゆっくり休んで、身体を癒して。明日にはちゃんとお兄様の屋敷に案内するから」
「……」
「ヒルド、しっかり治してあげて。お願い」
「はい。承知いたしました」
ヒルドの言葉に満足そうに頷くと、ハピネはまた焚き火の向こうに行ってしまった。
俺を豚奴隷にしたわがままお嬢様。
なのに、メイドを思いやり、俺のことすら気にかけている。
いったい、こいつは……。
ハピネのことをどう扱えばいいのか、俺はわからなくなってきていた。
翌朝。
俺はハピネとヒルドの手錠を外した。
二人は驚いた表情で俺を見てくる。
「いいの、ぶー太?」
「こんなことをすれば、あなたを殺して逃げ出すかもしれませんよ?」
そう言ってくる時点で、そうしないのは明らかだろうが。
「…………また魔物に襲われて、うっかり死なれでもしたら困るからな」
そう。
二人が死んだら、俺は魔族領のど真ん中に取り残されることになる。それは困る。
これは俺がモーフジェムの呪いを解くために必要だからやっていることだ。
決して二人に気を許したわけじゃない。
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