夕飯を食べ、風呂に入った。
そのあと少し仮眠しようと思ったが、目が冴えて寝られなかった。ハピネはグースカ寝ていたが。
やがて、時間が近づいたので、俺はヒルドを連れて続き部屋に隠れる。
宿の主人がハピネの兄のラッシュを迎え、隣の部屋にいるハピネのところへ案内する。
ハピネは兄からアンチジェムを受け取る。
余計なことを喋ればヒルドを殺すと脅してある。
魔物に襲われているところは助けたが、自分の身に危険が及ぶようなら容赦しないと伝えた。
俺が魔族に深い恨みを抱いていることをハピネは知っているし、ヒルドを見捨てるようなことはしないだろう。
階下が騒がしくなってきた。
どうやらラッシュがお供を連れてやってきたようだ。宿の主人の謙った声が聞こえてくる。
「こちらでございます」
階段を登ってくる足音と声。
大人数ではないが、足音は重い。
鎧を着ている兵士がいる?
護衛ならそれが普通なのか?
隣の部屋の扉が開く音。
「お兄様……」
「久しいな、ハピネ」
落ち着いた声音が彼女の名前を呼ぶ。
が、続いて、
「お兄様、これはどういう――」
ハピネの焦るような声。それが不自然に途切れた。
なんだ?
バギッ! と続き部屋からの扉が破壊された。
同時に廊下からの扉も蹴破られ、大量の兵士が突入してくる。
くそっ! ハピネのやつ、騙したのか?
「動くな!」
俺は声を張り上げる。
さっき宿の台所から拝借しておいたナイフを、ヒルドの首筋に押し当てる。
「近づくな。妹の大事なメイドの命がどうなってもいいのか?」
俺は窓を背にしてそう告げる。
ヒルドを連れて逃げるしかないか?
この場でアンチジェムは手に入らないが、ヒルドを材料に取引する余地はあるだろう。
そう思っていたが、
「無駄なことはやめろ、人間」
そう言って、続き部屋から男がやってくる。
闇色の肌に、ハピネと同じ銀色の髪と赤い眼。
頭からは、緩くねじれた優雅な曲線の二本角が生えている。
刺繍が大量に施された、高価そうなコートを着ている。
冷徹で見下すような目は、元からなのか、相手が『下等種族』だからなのか。
俺は気圧されそうになるが、すぐさま言葉を返す。
「無駄? そんなことはない。お前の妹はこのメイドをずいぶんと大事にしている。だから交渉の余地は――」
と、そこで俺は言葉を止めた。
ハピネが兵士たちに捕らえられていた。
は?
なんでだ?
この男は、ハピネの兄じゃないのか?
なんでこいつは、妹を拘束している?
「この二人も捕らえろ」
ラッシュが命令を下す。
「くそっ!」
動揺している場合じゃない。
俺はとっさにオーク化し、ここから逃走しようとする。
しかし――、
「ぐぁ!」
兵士の一人が持っていた槍に腕を刺され、動けなくなってしまう。
なんだ……?
身体の力が抜ける。
俺をオークに変異させるため全身を駆け巡ろうとしていたモーフジェムの力が、槍の穂先によって一気に抑制されてしまったみたいだ。
「これが……アンチジェム、なのか?」
俺の呻き声に、微かに笑みを浮かべるラッシュ。
やっぱりそうか。
くそ、それじゃハピネはやはりあの手紙で俺のことを兄に伝えたのか。
だが、
「お兄様! おやめください! 話が違います、お兄様!」
ハピネは必死にそう叫んでいた。
なんでだ?
この状況はお前の望んだものじゃないのか?
わからない。
なにがどうなっている?
「連れていけ」
ラッシュが命じ、ハピネは兵士たちに引っ立てられる。
俺と、同じように捕らえられたヒルドも、引きずられるように連れていかれた。
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