「来年の大会は、絶対優勝するぞ」
歩きながら、ケンちんと話した。
ケンちんって言うのは、ガキの頃から一緒だった幼馴染のことだ。
ケンちんと俺は、同じ高校で、同じ野球部に所属していた。
去年の夏の成績は、2回戦進出。
ケンちんはチーム1の運動神経だったから、2年生の時点でもうレギュラーだった。
俺はまだ補欠だった。
俺の今年の目標は、レギュラーを取ることだった。
『優勝』なんてチーム事情は、まだ全然考えられなかった。
自分のことで精一杯だったからだ。
「レギュラーなんてすぐ取るーって」
そう簡単に言うけども。
俺の他に2人もいるんだぞ?
同じポジションに。
ケンちんみたいに運動神経良くねーし。
少し歩いたところで、俺たちはベンチに座って、バスを待っていた。
どこに行くかはわからない。
だけどここじゃない場所へ行こうとしていた。
バスを待ちながら、俺たちは話し合った。
「まあ、カオルはちょっとフライば取るとが下手すぎ」
神妙に語るその口ぶりからは、現実味が帯びる。
「鈍足なもんで(苦笑)」
「鈍足っていうかお前の場合、ボールを目で追っとうやん」
「ボールは目で追うもんだろ」
「そこがつまらんばい」
「そこってどこが?」
「お前ん下手な博多弁と一緒」
俺は元々四国生まれだったから、生粋の博多弁を取得できていなかった。
言葉と言葉の間に、時々へんな音が出る。
気にしたことはなかったが、自然な言葉使いの淀みのなさと、フライの取り方の上手さが、どう関係あるのか知りたかった。
「博多弁ばマスターすりゃ、フライもちゃんと取るーと?」
「そうやなあ」
本気で言ってんのかこの人。
ケンちんは生粋の博多人だから、冗談なのか冗談じゃないのかわからない時があった。
信じる俺の方もバカなんだけど。
俺はまじまじ聞いた。
「じゃあまずは博多弁ば取得すりゃいいんやな」
「いやそこはフライば取る練習せえや」
だからそのフライを取るために博多弁を取得すればいいんだろ?
空に上がった白い球が視界からいなくなる。
だから俺は目を切らないで、ボールを追いかける。
監督は目を切れという。
目を切るというのは、野球用語で、落下地点に素早く到達するために、打ち上げられたボールがどこに落ちるかを先に予測して、一旦ボールから目を離しながら全速力で球が落ちる場所に行くってこと。
つまり未来を予測しなきゃいけないってこと。
そんな超能力が使えるのは現代の科学では不可能でして。
ええ。
「お前が下手くそなだけばい…」
ボールが落ちる場所を先に予測する。
こんな聞いただけでも難しいことを下手くそという一括りで片付けられる世の中が憎い。
随分人類は進化してきたんですね。
生まれる時代を間違えた。
俺はまだ白亜記時代の恐竜レベルです。
口を開けて大きい牙で敵を噛み殺す。
そういう素朴な力強さだけなら、なんとか習得できそうな気もするが。
「打ったボールがどこしゃぃ飛んでいくかなんて未来でもなんでんなかし、ただん物理」
「その物理が俺には不可解でして…」
困惑する顔の俺に向かって、ケンちんは優しく説いてくれた。
バッターが打ったボールがどこに飛んでいくか。
その一瞬の判断が、勝敗を分ける。
ボールは風に乗る。
風の中に俺たちはいると言った。
なに言ってんだコイツ…と思いながら、上手くなりたい俺はうんうんと頷いてその言葉を真剣に聞いていた。
一番重要なことは、ボールの速度と、打球の音だと教えてくれた。
「よかか、ボールは目で追うもんやなか。肌で感じるったい。スピリチュアルやスピリチュアル」
うん、なるほど、わからん。だいたい物理ってさっき言ってなかったか?
いつから野球は霊的なものに変化したんだろう。
ますます訳がわからない。
ケンちんの支離滅裂な説明に気が滅入りそうになりながら、焦る心。
俺は真剣だってのに。
「物理…だよな?」
まじめに聞いている俺がやっぱりバカなんだろうか。
ケンちんの答えは爽やかだった。
「スピード。流れん中にボールは飛んでる」
かっこいいことを言ってるつもりなんだろうか。
だけどなんとなく、言いたいことは分かった。
分かるから、その難しさも分かった。
物理でもスピリチュアルでもない、シンプルな難しさがそこにはあるってこと。
案外、「スピード」という言葉にすべてが凝縮されている気もした。
そういう気持ちに不意にさせられてなんだか悔しい気持ちになった。
俺の頭の中で冴えない打球の音が聞こえた。
「ようするに、練習あるのみってことね」
「センスがあるかなかか、ってことで」
「俺向けの発言でよろしくお願いします」
「そんなら、ボールば目で追うな」
バスに乗った俺たちは、そのまま海岸近くを走りながら、できるだけ遠くまで行こうとした。
夏の季節が終わる。
その先に見える秋の背中が、積乱雲の向こうに青い空を広げていた。
俺たちは知らない場所にいた。
知らない土地の色を見ていた。
打ち上げられた打球が、俺たちの未来に向かって進んでいるとするなら、俺は全力でそれを追いたい。
ボールをキャッチできるかどうかギリギリのライン線上に、たった1つの未来がある。
だから俺たちは、ボールから目を切らなければ行けないのかもしれない。
グラウンドの一番深いところにボールが飛べば、ボールを目で追っているうちは、そこに追いつけない。
たった一度の瞬間。
ボールとバットが当たった瞬間。
その一直線上の刹那の先に、ギリギリの未来がある。
そのスピードを、今すぐに体現したい自分がいる。
どこに行きたいのかがわからない訳じゃない。そんな簡単なことくらいわかっていた。
俺が向かいたい場所が、このバスの向こうに続いているかどうか。
そのことを、今すぐに理解したいわけじゃなかった。
…ただ、だからといってじっとうずくまっていられるほど、俺の心は強くできていなかった。
「明日」の世界に行きたい。
その思いが、未来に途絶えているってこと。
明日が来なくなるかもしれないということ。
そのことを信じたくないから、俺は走っていた。
この世界のどこかに、「確かなもの」を探してた。
空に上がった白球が、——まだ、グラブの届く所にあることを信じて。
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