「なるほどね……」
と、相槌を打ちながら、少し考え込むラドミラ。
怪牛魔人は、本当に『異界の魔塔』をアジトにしているのだろうか……?
その点、疑問を感じてしまったのだ。
怪牛魔人が「塔で待つ」と言ってきた以上、素直に考えれば、そこで待ち続けているのだろう。
だが、わざわざ「十日後に来い」と期日を指定しているのだ。ならば、別の解釈も成り立つではないか。その日以外は『異界の魔塔』にはいない、つまり塔に住んでいるのではなく時々やって来るに過ぎない、という考え方だ。
マガリーとミシェルの話では、塔を荒らしていたらしい獣たちが追い出されたのは、ジゼルが殺された翌日。ならば、もしも怪牛魔人が『異界の魔塔』を住処にしているのだとしても、事件の前ではなく後で引っ越してきたことになる……。
そもそも。
アシャール村の事件に際して、ラドミラは一応、怪牛魔人の習性について調べたのだが……。
一般的に怪牛魔人というものは、狭い場所よりも開放的な空間を好むのだという。肉食性の怪牛魔人を例えるには不適切だろうが、ラドミラとしては、牧草地で草を食む畜牛のイメージだった。
実際、ラドミラとリリアーヌは、最後に怪牛魔人を洞窟に追い詰めて、そこで倒している。怪牛魔人は、広々とした野外で暴れていた時よりも、精神的な余裕を失った様子であり、それもあって有利に戦えたのだとラドミラは感じていた。
もちろん、今回の怪牛魔人は、人間の言語を使えるという特別な個体だ。そこから推測して、実は『異界の魔塔』で生まれたのではないかという可能性も、ラドミラの頭に浮かんだほどだった。住居環境に関する好みが普通と違うのも、当然なのかもしれない……。
「あの……? 魔法士様……?」
黙り込むラドミラを見て、ミシェルが、少し心配そうな表情を浮かべる。
「ああ、何でもないわ。気にしないで。それより……」
彼女を安心させるつもりで、微笑んでみせるラドミラ。ペトラやミシェルのような美人顔ではないが、それでも若い女性特有の、チャーミングな笑顔だった。
「確認しておきたいんだけど。村の人たちも怪牛魔人を目撃した、って言ったわね。それって、いつ頃の話?」
「さあ……? 確か、目撃されたのは三度だと思いましたが……。正確な日付までは……」
あやふやなマガリーに対し、ミシェルは、しっかりと覚えていた。
「四日前と三日前と、あとは昨日だわ。だって、おばあちゃん、最初は二日連続だったでしょ。それから一日、間が空いてたもの」
「ああ、そういえばそうだったね。……そうです。ミシェルの言う通りでした、魔法士様」
「それで、時間帯は? いつも決まって同じ頃なのか、あるいは、日によってバラバラなのか……」
「まちまちですね。最初が午前中で、次が夕方。昨日のは、お昼過ぎくらいだったと思います」
ミシェルが明確な答えを返し、隣でマガリーが頷いていた。
同じ辺りで頻繁に目撃されたからといって、その近くに住んでいるとは限らない。理由があって別の場所から通ってきているのかもしれない。その場合、いつも同じ時間帯に『異界の魔塔』近辺をうろつく可能性が高いのではないか……。
そうした考えを捨てきれずに、わざわざラドミラは時間を尋ねたのだが、結果は一定していなかった。そうなると、やはり「怪牛魔人は『異界の魔塔』に住み着いた」と考えるべきなのだろうか。
「ついでに、もう一つ。村の人たちもミシェルみたいに、怪牛魔人の姿をハッキリ見たの?」
「いいえ、魔法士様。角を生やした黒い影が木々の間で動いていた、という程度だそうです」
「でもシルエットだけでも、特徴的な二本の太い角は、見間違えようがないでしょう」
と、ミシェルがマガリーの発言を補足する。
「うーん。だったら、同じ怪牛魔人とは言い切れないわね。ミシェルが遭遇したのとは、別の個体という可能性も……」
「まさか! 魔法士様は、あんなのが二匹もいるとおっしゃるのですか!」
「いや、あくまでも可能性ってだけよ。そんなに心配しないで」
老婆が飛び上がらんばかりに驚くので、あえてラドミラは軽く言ってみせたのだが。
そもそも、この件にラドミラが首を突っ込む気になったのは、最初に考えたからだ。自分たちが倒したアシャール村の怪牛魔人と関連あるかもしれない、と。
その後で「それはないだろう」とも思ったが……。もしも家族や仲間であるならば、当然、一匹とは限らない。
いや、アシャール村の事件とは関係ないとしても、わずか一ヶ月の間に、二度も怪牛魔人が出没したのだ。この地方は現在、何らかの条件が揃って、怪牛魔人が出現しやすいエリアになっているのかもしれない。
どちらにせよ。『異界の魔塔』を中心として、二匹、三匹と集まってきている可能性は、ないとは言えないのだ……。
しかし目の前の老婆の様子を見れば、そこまで詳しく告げるのは酷だと、ラドミラは思うのだった。
ふと窓に視線を向ける。
いつのまにか、西日が差し込む時間帯になっていた。
ラドミラは夜までにエマールの街へ戻るつもりだが、せっかくケクラン村まで来た以上、一応は『異界の魔塔』の様子も見ておきたい。
ならば、ここで長話を続けるわけにはいかなかった。だいたいの事情は把握したし、最後に聞いておくべきことは……。
「ところで、お姉さんの話に戻すけど……」
ラドミラは、ミシェルの様子を見ながら問いかける。
「……事件の夜、彼女が森に向かった原因は、ミシェルの言うところの『悪い男』だったのよね? そのラファエルって男について、おばあさんは、どれくらい知っていたの?」
ミシェルの話ではラファエルは怪しい男のようであり、ラドミラとしては、彼が怪牛魔人と関係している可能性も考えてしまう。だからミシェル以外の者から見たラファエルの人物像を聞きたくて、今度はマガリーに話を向けたのだが、
「はあ。恥ずかしながら、何も知りませんでした」
「何も……?」
「はい。ジゼルは元々、男にうつつを抜かすような子じゃありませんでしたから。そんな事態になっているとは、思いもよりませんでした」
悲しげな表情で、老婆は首を横に振った。
「ジゼルとミシェルの様子を見ていて、何か変だとは感じておりました。あれだけ仲の良かった姉妹なのに、ギスギスした雰囲気を漂わせていましたから」
「……おばあちゃん。気づいてたのね……」
ミシェルの悲しそうな声を耳にして、マガリーは孫娘に目を向ける。だが変えたのは視線の方向だけであり、相変わらず言葉はラドミラに向けられていた。
「……ですが、なるべく気にしないようにしていたのです。年頃の姉妹のちょっとした喧嘩なんだろう、と思って。今までが仲良すぎたのであって、これくらいがちょうどいいんだろう、と思って。それが……。まさか、こんな結果を招くなんて……」
「私がいけなかったんだわ。心配かけまいと思って、内緒にしてたのに……。いっそのこと、最初から全部、おばあちゃんに相談するべきだったのね……」
悔やむ老婆に語りかけてから、ミシェルはラドミラの方を向いた。
「私は……。大きな問題になる前に、姉を説得するつもりでした。出来ると思っていました。でも姉は、私の言葉には耳を貸そうともせず……」
「ミシェル、そんなに自分を責めるでないよ。ジゼルを正しい方向に導こうとしたなら、それで十分だよ」
続いて、マガリーもラドミラに顔を向ける。
「結局、私は顔を見ることもありませんでしたが……。ミシェルの話からだけでも、ある程度の人物像はわかります。夜中に若い娘をあんな森まで呼び出す男が、まともな人間のはずありません!」
マガリーが一度もラファエルの顔を見ていないということは……。
「そっか。ラファエルって男……。恋人が死んだっていうのに、挨拶にも訪れていないのね」
「はい、魔法士様。薄情な話ですよ、本当に……」
吐き捨てるように言う老婆に続いて、ミシェルがポツリと呟く。
「考えてみれば……。あの晩も、約束の場所に来なかったくらいです。もしかしたら彼は、もうこの辺りにいないのかもしれませんね」
だとしたら、ジゼルはデートにすっぽかされた上に、怪物に出くわして殺されたことになり、本当に救いのない話なのだが……。
そんなことを考えるラドミラの前で。
「おや、まあ!」
マガリーが突然、素っ頓狂な声を上げた。
「すっかり空っぽじゃありませんか! これはこれは、私としたことが、気づきませんで……」
老婆の視線の先にあるのは、ラドミラのティーカップ。
ラドミラが飲み干したのはかなり前なので「今さら」感もあるのだが、老婆は慌てて注ごうとしていた。
ところが。
「あれまあ、すっかり冷めてしまって! 魔法士様、今、新しいのを持ってきますから。少しお待ちください」
ティーポットの中身も冷たくなっていたため、立ち上がるマガリー。
「おばあちゃん! お茶なら私が……」
「私が用意するよ。お前はここで、魔法士様のお相手を続けてなさい」
「でも……」
「もう十分、休ませてもらったからね。これくらいは私にやらせておくれ。少しは体を動かさないとね」
孫娘を手で制してから、マガリーはポットを持って、お湯を沸かしに行く。
「いや、私、そろそろお暇しようと思うんだけど……」
と小声で呟くラドミラを、その場に残して。
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