予期せぬ遭遇。
その驚きから立ち直り、ラドミラは、冷静に問いかける。
「やけに小さい怪牛魔人ね。もしかして、まだ子供なのかしら?」
特徴的な二本の角と、牛そっくりの顔立ち。首から上を見る限りは、確かに怪牛魔人なのだが……。
本来ならば怪牛魔人は、人間の二倍以上の巨躯を誇る怪物なのに、目の前の一匹は、ラドミラと同じくらいの背丈しかない。
しかもモンスターらしからぬことに、ボロ布をマントのように巻きつけて、首から下をスッポリ覆い隠していた。
マガリーやミシェルの話では、この怪牛魔人は、人の言葉を用いるという特殊な個体。ならば、これくらい奇異な点があるのも、不思議ではないのかもしれない。
「子供だから貧弱で、だから人間のように服を着ているとか? 広々とした外で暮らすのではなく、こんなジメジメした塔に住み着いたのも、まだ子供だったから?」
当て推量を口にするラドミラに対して。
言葉を理解するはずの怪牛魔人は、唸り声を上げることもせず、ただ返事の代わりに、大斧を振りかぶった。
「あら、やる気ね! いいわ、相手になってあげる!」
子供だろうが何だろうが、怪牛魔人は怪牛魔人。とはいえ、このサイズならば、自慢の怪力もタカが知れているはず。再生能力の程度は不明だが、とりあえずサポート役なしでも、ある程度は対処できそうだ。
そう考えたラドミラは、呪文を唱える。
「燃やせ! 烈火燃焼!」
強大な炎の塊が怪物に向かう。アシャール村の怪牛魔人を焼き尽くした魔法であり、それより小さいこの個体には、さらに効果的なはず。もちろん、身に纏うボロ布でも、振りかざした大斧でも、防げない炎だった。
ところが、怪物の大斧はフェイントであり……。
「弾け! 魔力反射!」
怪牛魔人は、ラドミラのように呪文を詠唱したのだ!
この怪牛魔人が血文字で人の言葉を記したのは聞いていたが……。
まさか、人間同様の発声器官を有しているとは!
しかも、それで発した言葉が呪文詠唱とは!
「驚かせてくれちゃって!」
怪牛魔人が唱えたのは、ラドミラにも使えないような、特殊な魔法。魔力反射といって、魔力のこもった攻撃は全て反射してしまう。だからこの魔法の使い手は、魔法士との対戦では、圧倒的に有利となるのだった。
実際に、今。
ラドミラの放った巨大な炎は、そのまま弾き返されてきて……。
正直、火炎が広範囲すぎて、とてもじゃないが避けきれない。かろうじて直撃は避けたとしても、高熱でダメージを負うのは必須だった。
一瞬のうちに、そこまで判断して。
「燃やせ! 烈火燃焼!」
ラドミラは冷静に、再び同じ魔法を唱えた。
二つの強大な炎が、ラドミラと怪牛魔人の中間地点で衝突する。炎に含まれた魔力が弾けて、大爆発が巻き起こった。
「げほっ、けほっ……」
巻き上げられた埃で、むせ返るラドミラ。
壁や天井が崩れ落ちてきたような音も振動もないので、塔そのものに被害はないらしい。瓦礫で生き埋めにされることはないようで安心したが、埃と爆煙のために、一時的に視界は奪われている。
やがて、煙が晴れると……。
怪牛魔人は、先ほどと同じ場所に立ちすくんでいた。
相変わらず大斧は手にしたままだが、それでラドミラに追撃を仕掛けるつもりはないらしい。
大斧は、単なるハッタリ……?
そう思ったところで、ピンと来た。
苦笑しながら、ラドミラは話しかける。
「あんた、怪牛魔人じゃないわね?」
「大正解」
答えながら、牛頭の被り物を脱ぐ男。
現れたのは、ボサボサの金髪と、欲深そうな目と、頬骨の浮いた顔だった。
「最初から怪牛魔人なんて、いなかったのね……」
「もちろんさ」
正体を現した男は、下卑た笑みを浮かべている。
ラドミラは、男をじっと睨んだ。
「それじゃ、村娘のジゼルを殺したのは……」
「おいおい、それは俺じゃないぜ」
男が返した、ちょうどその時。
ラドミラは、脇腹の辺りに、焼け付くような痛みを感じた。
魔法によるダメージとは違う、物理的な直接攻撃。背後から刃物で刺されたのだ。
敵は目の前にいるし、何かした様子もないのに……?
驚きと共に振り返ると。
血染めのナイフを手に、ミシェルが立っていた。
「魔法士様がいけないのですよ。関係もない事件に、首を突っ込んでくるから」
場違いな笑顔を浮かべて、言葉だけは優しく、しかし冷たい口調でミシェルは告げる。
「私、やんわりと『手を引くように』って言ったのに。伝わらなかったようですね」
「そういえば『死んでも構わない、姉と会えるから』って言ってたわね……」
あの時のミシェルは、とても死を覚悟しているようには見えなかったが、それもそのはず。本当に死ぬ気があったのではなく、ただ「だから怪牛魔人退治なんてしなくて結構」と伝えたかっただけなのだから。
ちょうど「あれじゃ私が悪者みたいで」とも言っていたが、別の意味で――いや本当の意味で――彼女は『悪者』だったわけだ。
「あら。ようやく意味が伝わりました? でも残念。もう手遅れですわ」
ミシェルが冷酷に見下ろす先で。
ラドミラは傷口を押さえながら、うずくまっていた。
出血が止まらないのは、どこか重要な臓器をやられたのだろうか。
意識も遠くなりそうだが、それでも。
ミシェルが男のところへ歩み寄り、仲睦まじく寄り添う姿が、ハッキリと視界に入ってきた。
「つまり……。逆だったのね?」
貴族くずれの男に引っ掛かったのは、姉のジゼルではなく、妹のミシェルだったわけだ。
姉妹仲が悪くなっていたのは本当だが、諌めようとしていたのは、ミシェルではなくジゼル。
事件の夜、二人とも家を出たのは本当だが、逢い引きするはずだったのはミシェルで、それを追いかけた方がジゼル。
「魔法士様は知らないでしょうけど……。嘘をつく時は、完全な作り話をするより、微妙に真実を混ぜる方がいいのですよ。だから、姉と立場を入れ替えた話をしたり、彼のことを悪人扱いしたり……」
「おいおい、俺は悪人かい?」
「だって、あなたったら! せっかくの貴族の家も捨てちゃったでしょ? それも、私と駆け落ちするためじゃなくて、兄に冷や飯を食わされたから、って理由で」
「まいったなあ。その程度で悪人扱いかよ……」
ミシェルが上目遣いで媚を売るような表情を見せると、男は彼女の腰に手を回し、グッと抱き寄せた。
最初にミシェルと会った時、彼女の笑顔を見たラドミラは、男に媚びるような不自然さではなく素直で魅力的な表情だと感じてしまったが。
今にして思えば、あれはミシェルの『仮面』であり、今現在の態度こそが、彼女の本性なのだろう。
恋愛経験が豊富とは言えないラドミラにも、二人がラブラブのカップルではないことくらい、一目瞭然だった。
男がミシェルに向けているのは、女を愛している者の目ではなく、こきつかって金をたかろうとするヒモ男の目だ。
ミシェルも、それくらい見抜いているのだろう。微妙に真実を混ぜたという『嘘』の中で、男のことを『悪い男』とか『女の敵』とか言っていたのだから。
いや、それだけではない。
あの話の途中で、ミシェルは取り乱していたではないか。
「あなた、言ってたわね。『どう間違っても、彼が本気で姉を愛していたとは思えません!』って。あれ、心の底からの叫びだったのね。『姉』って言ってたのは、本当はあなた自身のことなのだから、つまり……」
ラドミラの指摘に、ミシェルの表情が変わった。痛いところを突かれたらしい。
やはりミシェルは、男の愛情が本物ではないと悟っているのだ。
同時に、男とジゼルの間にも何かあるのではないかと、根拠のない嫉妬も感じていたのだろう。立場を逆にした『作り話』の中で『姉』が『妹』にやきもちを示したように。
ラドミラは、それも言ってやろうかと思ったが……。
二人に先手を打たれてしまった。
「なあ、ミシェル。お前一筋だぜ、俺は。……安心しな」
「知ってるわよ。あなたには、私が一番よく似合ってるんだから。……だいたい、あの真面目なジゼル姉さんが、あなたの相手なんてするはずないし」
投げやりな口調の男に対して、ミシェルは複雑な表情で、自分に言い聞かせるような言葉を口にする。
二人は、さらにギュッと密着して……。
男の視線が、ミシェルからラドミラに向けられる。
「もうわかってると思うが、一応、言っとくぜ。姉のジゼルってやつを殺したのは、ここにいるミシェルだからな」
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