この日霧生は一人で、稲佐山の山頂に向かっていた。ロープウェイの人混みの中でアナウンスを聞いている。これが夜なら良かったのだが、流石に知らないところで一人で夜道を歩く気にはなれなかったのだ。
思えばせっかく長崎に引っ越したというのに、観光スポットを全く見て回っていない。今日はオフにしよう。そう決めて一人で歩くことにした。午前中は原爆資料館に足を運び、歴史を学んだ。
山頂に着くと、他の観光客と同じように展望台を目指して歩く。デジカメで写真を撮りながら進んだ。
「ほほう、こりゃあすごい」
展望台からは、長崎の景色が一望できる。夜なら一千万ドルの夜景だが、昼間はどれぐらいの価値なのだろうか。
もっと景色を堪能しようと思い、場所を移そうとしたその時である。
「お兄さんお兄さん、ちょっとさあ、暇じゃない?」
少女が一人、霧生に話しかけてきたのだ。
「ああ、暇だよ。でも君は誰だい?」
見た感じ、自分よりも年下であろうその女の子は、
「私はね、月影智代。東北地方の高校二年生」
と自己紹介をした。
「俺は霧生嶺山。市内の受験生だ」
霧生も紹介して返す。すると、
「お兄さん、普通の人じゃないでしょ?」
奇妙なことを智代は言うのだ。
「いいや? 俺ほど通常の人間の人生を送っている人物は、そういないぜ? 君こそ、一人で長崎に来ているのかい? それこそ普通じゃないな」
「そうじゃなくて……。見えない物が見えたりするでしょう?」
ピンときた霧生は、
「まさか君、召喚師…?」
「アッタリ〜!」
指を鳴らしてそう返事をした智代から、霧生は距離を取った。
「どうやら、俺に安息は訪れないらしいね。いいだろう、君がその気なら、相手をしてやるよ」
敵の召喚師が目の前に現れた。霧生は[リバース]の札を手に取った。
「違うよお兄さん。私はただの旅人さ。敵? 何のことだか」
「とぼけるなよ…。嘘を言っても、意味はない! [リバース]!」
[リバース]が智代のバッグに手を伸ばす。それを動物に変えるのだ。
だが、バッグは犬に変わった。
「……訂正しよう。君は嘘は言っていない。もし嘘を吐いているなら、キツネに変わるはずだからな」
敵ではない。とすると智代は一体…?
「へえ、なかなか面白いチカラを持っている式神なんだね。[リバース]って言うの、カッコいいじゃん姿も名前も!」
バッグは元に戻した。敵じゃないなら、いつまでも変えておくのは失礼だ。
「ねえねえお兄さん。ちょっと下のレストランで話さない?」
展望台の二階には、レストランがある。智代が何者なのかを探るためにも、霧生は提案に従った。
腹は空いてなかったので、二人はジュースだけを頼んだ。お金は、霧生の奢りだ。女性に払わせるのは、彼のプライドが許さない。
「霧生の兄さん。何で式神って言うのか知ってる?」
「さあね。俺はその概念をつい最近知った。でも誰かは、造られた神って言ってたっけな」
ハイフーンがそう言っていたのを思い出した。
「こっちじゃそう言うんだ? 私の故郷では、陰陽道から名前を取っているんだけど。まあそれは置いておいてさ、伝説の式神って知ってる?」
「伝説…?」
それもハイフーンから聞いたことはある。だが、本当に耳にしたことしかない。
「地を揺さぶるチカラを持つっていう、アレか?」
「詳しいんだね。私はここ、長崎か広島にあることしか知らなかったよ」
広島にも? と霧生は聞いた。
「他にも伝説はたくさん存在する。だから式神も全世界にいて、それぞれが伝説と言われているんだ。私はそれを求めて旅をしてるんだけど、広島は空振りで、長崎ではお兄さんの方が知ってるみたいだね。なら、元々ダメ元だったし諦めようかな」
「旅をしてって、君はまだ高校生だろう? 学校に行かないといけないんじゃないのかい?」
「通信制だし、たまにしか行かないよ」
と智代は答えた。
次は霧生が質問する番だ。
「何で俺が召喚師ってわかったんだ?」
「雰囲気かな? 従弟も式神を従えてるんだけど、独自の雰囲気があるっていうか、まあそんな感じ。その従弟から式神について聞いたんだ。まあ従弟はまだガキガキのガキだけどねー。家が霊媒師やってるから、そういう知識は並以上に持ってるんだよ」
「じゃあソイツから伝説も聞いたってことか。でも日本には長崎と広島の二ヶ所にしか、伝説ってないのか?」
それは不思議な話だ。霧生は智代の見解を是非とも聞いてみたいと思った。
「日本だって各地に神話があったり、伝承が伝わってたりするじゃん? でも私が探していた式神はそれらとはタイプがちょっと違う。長崎と広島は、地球上でも特別な場所なんだよ」
「……原爆か」
霧生は落ち着いた、けれどもどこか深刻そうなトーンで答えた。
「そう。あの時に生じた怒り、悲しみ、苦しみ、嘆き…。それが式神となったっていう噂。そしてそれは、今もどこかに封印されている。もし手に入れられるなら、それは自分の実力がそれほど高いって証明にもなるし、それ以上に、あの時に生じた憎しみを鎮めることもできる。一人歩きしてる式神もいるけれど、やっぱり召喚師がいないと式神も不安定らしいよ?」
「そうなのか。でも簡単に諦めちゃうのか?」
「だって、存在自体の話ぐらいしかフォッサマグナを越えてないんだもん。手がかり不足できっと、お兄さんに先を越されちゃう。それに、誰かと敵対しているんでしょう? 伝説の式神を従えることができるなら、切り札になるかもよ?」
「切り札、ね…」
[リバース]のチカラに不満があるのではないが、少し力不足と感じるのも事実。現に海百合には苦戦を強いられて逃げられる羽目になったし、第助には興介に代わりに戦ってもらったのだ。もし姫百合も敵として登場していたら、自分が今日生きているかどうかも怪しかったりする…。
「その伝説とやら、本格的に調査してみようかな? 他に情報は?」
「ないよ。お兄さんの方が私よりも知っている。他に知っている人はいないの?」
「心当たりがないわけではないが、教えてくれるかどうかは…」
ハイフーンに聞くのが一番早いだろう。だが彼も霧生の敵であるのだ。簡単にはいかない可能性は高い。
「智代、せっかくだから、他にも式神の情報はないのかい? 伝説の式神についてじゃなくて、式神の基本知識とか。一人歩きしている式神は、どうすれば自分の物にできる?」
霧生は一人歩きしている式神を見たことはある。芽衣の[ディグ]がそうであった。だが[ディグ]は、自ら望んで芽衣の式神になった。智代の話す伝説の式神は、従えることができるとしたら、という前提がある。一筋縄ではいかないかもしれない。だが智代なら、一発で仲間にできる方法を知っているかもしれない。
しかし、
「それは、式神の気分次第だよ。運が悪いと話すら、聞いてくれないかも。それでも従えたいなら、戦って強さを示すしかないね。式神を造る時は簡単だけど、もうできている式神の場合は難易度が跳ね上がるから…」
智代も答えは、知らなかった。
「私はまだ、旅を続けるよ。そしてら他の伝説にも巡り会えるかもしれないじゃん? 私はそっちの伝説の式神を手に入れるだけでいいや」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!