真実と偽りの境界

杜都醍醐
杜都醍醐

実衣の[フィル] その二

公開日時: 2020年9月5日(土) 13:00
文字数:2,632

 隣の客室では霧生が海鮮料理を食べ終えていた。


「さあて。本命の温泉にでも行くか」


 浴衣に着替えて部屋を出る。途中、受付と売店に顔を出したが、芽衣はいないようだ。


「仕方ねえ。一人で行くしかねえようだな」


 もっともここの温泉は混浴ではないので、いたところで何かしてもらえるわけではない。

 脱衣所で着替えると同時に、他の籠を確認した。どうやら他に入浴客はいないらしい。


「なら、のびのびとくつろげそうだな。なあ[リバース]?」


[リバース]も召喚する。これは警戒しているからではなく、式神にも温泉を楽しませるためだ。霧生はこういうところに来れば、いつもそうしているのである。

 他の客がいないから、霧生はかけ湯をすませると湯船に飛び込んだ。


「この熱さ! 傷に染みるぜ!」


 ザパン、と音を立てて水しぶきが大きく上がる。一人しかいないので贅沢に温泉を堪能できる。霧生は子供のようにはしゃぎ出した。


「どうだ、[リバース]?」


[リバース]も湯船に浸かっている。その表情を見るに、ご満悦のようだ。


「ふああ〜こりゃいい湯だぜ。一生入っていられるほどなぁ!」


 アホみたいな感想を言って述べるが、ここに来た目的も忘れない。霧生は左腕の傷を撫でながら、


「うぐぐ、ちょっと染みっけど、そんなこと言ってられないぜ。あの海百合のヤロウ…女子だからって調子に乗んなよな、危なく死ぬところだったんだからな!」


 次に会ったら、あまり趣味ではないが徹底的にいたぶるつもりである。女子には手を上げたくない霧生をもってしても、許せない相手だ。


「しかし、あのマンモス型の式神も見過ごせねえ。榎高校の誰かの式神だ。だとすると、校内を調べ上げる必要もあるみてえだな。それは芽衣や真菰に協力させねえとな、俺一人じゃ無理だ」


 この休暇が終わったら、やることが多い。一つ一つ潰していくだけではあるが、その一つがとても大きな事なのだ。

 相手も一人じゃないかもしれない。だから霧生も、仲間を連れて行く。


「あと気になることといえば、伝説の式神だっけか? あのハイフーンが言っていたヤツ」


 確かにハイフーンは芽衣の[ディグ]を見て、他の式神が伝説のそれであると言っていた。大地を揺さぶるチカラというのは、何なのだろうか?

 気になることが山積みであった。これ以上一人で考えても進歩しなさそうなので霧生は、ゆっくりと温泉に浸かって疲れも取ることにした。



 数十分は温泉に浸かった。だから傷の方はもう大丈夫だろう。後は傷口が開かないよう気をつけて生活していればいい。

 脱衣所には、他の客が来ていた。だが召喚師でなければ[リバース]を見ることはできない。だから霧生は、まだ札に戻さなかった。


「さあて。また売店の方を覗いてみるか。今度こそ芽衣がいるかもだぜ」


 だが予想は外れ。芽衣は旅館の裏方を手伝っているのか、チェックインの時以外は見かけていない。

 仕方なく霧生は部屋に戻り、[リバース]を札に戻すとテレビをつけた。面白い番組はやってなさそうだが、他にやることもないのでとりあえず、ザッピングした。


「見る価値なし…。こんなので金取ろうなんて、犯罪じゃねえかよ」


 もう一度芽衣を探しに行こうと体を起こした時、部屋のドアが勝手に開いた。


「誰だ! って、芽衣か。丁度良かった。暇でさ、遊ぼうぜって誘おうとしたところだったんだ」


 ドアを開いたのが芽衣に見えたので、霧生は怒らなかった。


 だが彼女は、芽衣ではない。実衣なのだ。厄介なことに見かけでは判断できず、おまけに実衣はまだ自己紹介もしていなければ、芽衣も妹について詳しく喋っていない。


(ここのさじ加減が微妙なところ…。あまりにもワザとらしくすれば、私が芽衣じゃないことがバレる。けど、芽衣が霧生のことをどのぐらい知っているのかはわからない…)


 実衣は蜂島高校なので学校で姉妹間の交流はない。お互いに学校での出来事を話し合ったりもしない。もっと言えば、今日初めて霧生を目にする。

 だが、騙し通す自信がある。何故なら自分の持つ式神なら、それが可能だからだ。


「ちょうど私も仕事の手伝いがひと段落したところ。ねえ、少し散歩しない?」


 大胆にも実衣の方から霧生を誘った。


「いいね。でも珍しい。君の方から誘ってくれるなんて」

「今日はあんまりかまってあげられてなかったからね。それに真菰の存在も私の中では大きいの」

「おいおい、気にすんなよそれは。真菰も捨てがたいけどな、綺麗過ぎると手が引っ込んじまうんだ」

「本当に? 怪しいな〜」

「事実だぜ。連絡先こそ交換したけどよ、緊急事態ぐらいしかメールは出さないし」

「そうなんだ。なた私も少し安心できそう!」


 自分でも驚くぐらい、実衣は話を合わせられた。


 それもそのはずだ。彼女の背中…霧生からは見えないところに大きな蝶が一匹、張り付いている。もちろんこれは式神で、名前は[フィル]という。


(ふふふ…。[フィル]は相手との能力差を埋めてくれる式神。今、そのチカラを発揮してくれている。でもその相手は、霧生じゃない。芽衣だ。芽衣と私の能力差を埋める…つまりは芽衣と同じように霧生に接することが可能)


 芽衣の方は霧生とよく話し、一緒に行動するぐらい仲が良い。

 実衣の方は霧生とさっき初めて出会った。もっとも霧生は自分が芽衣じゃなく実衣であるとは夢にも思っていないだろうが。

 霧生とは、芽衣の方が仲が良い。だがその差すら、[フィル]は帳消しにしてくれるのだ。


 物理的な力はそこまでではないが、式神の本領はチカラだ。霧生の[リバース]の弱点を掴めば、自ずと攻略の糸口は見えてくる。海百合によれば、物体を生き物に変えることができるらしい。


(偽りの姿を捨てて、真実の姿を解き放つ……? バカバカしくてかまってられない。単純に物を生物に変える、でいいじゃん)


 そのチカラも、どこか穴があるはずなのだ。実衣の[フィル]が、触れている人にしか効果がないのと同じように。[リバース]にも何か、制約がある。それを探ることが、今回の目的だ。

 一番知りたいのは、式神にそのチカラが使えてしまうかどうか、である。要と堤の顔を実衣は知っているが、だからといって全ての情報が入ってくるわけではない。そのためハイフーンや海百合が暴いたことは、把握していない。故に彼女は、ほとんど独力で霧生の素性を調べなければいけないのである。


 だが実衣はそれほど深刻に考えてなかった。霧生は自分のことを芽衣だと思っている。それを利用すれば、楽勝である。逆に今しかできないことではあるのだが…。

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